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文字数 1,371文字

「松本さん、一緒に懸賞旗(けんしょうき)描こうよ」


 バンビーナとアベイユがやってきた。
 画用紙の下書きに(すで)に『トリガーハッピー』と描かれている。


 女子御用達(じょしごようたし)の有名な防犯用品メーカーである。
 きっと二人も、いざという時は愛用しているのだろう。


 バトーとよっしゃんはバッタ退治に忙しそうである。キャピタルは力仕事、リョウは・・・・・・、目で追いたくてしょうがないのに、探すと(かえ)ってツラいので探せない。


 もう追いかけてはダメだと自分に言い聞かせている時点で、()い上がれないところまで落ちている。


「あ、あの、オレ」


「ダメだよ、昨日。あんなふうに教室出て行っちゃ」


 アベイユとバンビーナに「めっ」とルロイ神父の指言葉(ゆびことば)でたしなめられて、ソロはタジタジである。「バカ野郎、二度とすんなよ」とやられるより、ずっと効果的である。


「ご、ごめん、悪かった。オレ、今日の放課後、ペナルティでまた追試になっちゃった」


「えっ。こんなとこで掃除してる場合じゃないよ。松本さん、国語の教科書持ってる? 」


「僕、教科書あるよ。借そうか? 」


「教科書は持ってる。ちょっと教室行ってくる」


 掃除が一段落して座布団投げの練習が始まると、ソロはこっそり教室へ教科書を取りに戻った。土俵へ戻る途中で体育館の前を通りがかると、静まり返っていた。


 自分のクラスがここで体育をやる予定だったので、周りに誰もいない。
 ちょっと一休みのつもりで、バッタが飛び交う中、ソロは体育館の花壇(かだん)の前に座り込んだ。


 季節柄、というか、バッタに根こそぎ食われてなにも生えていない地面むき出しの花壇(かだん)
 バッタが死屍累々(ししるいるい)()み上がり、まるで恋に(やぶ)れた自分のよう・・・・・・。
 

 バッタの死骸の山を木の枝で崩しながら、ソロは大きなため息をついた。
 頭に浮かぶのは、リョウのことばかり。
 (めぐ)るのはバンクの『天城越え』。
 このまま振り向いてもらえないのなら、いっそ殺し


「ソロ」


不意にリョウの声が聞こえて、ソロは顔を上げた。


「リョウ」


 冬の木漏(こも)れ日が当たるリョウの顔の、なんと美しい。
 優しい眼差(まなざ)しの、関心度の高いこと。


「昨日はごめんね、ソロ」


 声が優しい。差し伸べられる手。
 リョウの手に触れた瞬間、ソロは涙ぐんでしまった。


 居なくなった時に着ていた紺のブレザーとズボン、優しくて気弱そうな表情。
 すべてに遠慮して生きているような弱々しい姿。
 青白い肌にカサついた唇。
 (はかな)げで、守ってあげないと生きて行けないような頼りなさ。


「ソロ、会いたかったよ」


 ソロが言って欲しかった言葉が、リョウの口から(ささや)かれた。


「愛してる、ソロ」


 ソロの視界が涙で(ゆが)んだ。


「それは、どこから眺めたものを言ってるの・・・・・・」


 リョウの姿が涙に(おぼ)れて、見えなくなる。
 ソロはゴーグルの上から目を両手で(おお)い、地に(ひざ)をついた。






 リョウじゃない。





 視界を(ふさ)ぐと、突如(とつじょ)、狂ったようなバッタの羽音(はおと)で聴覚が(おお)われた。


 いつからこんなザマになっていたのか。
 屋外だというのに、凄まじい音の暴力。
 ソロは(すで)に、全身をバッタに(たか)られていた。


 こんなに近くにみ(そら)ゆく捕食者が来るまで、何も気が付けなかったのか。


 だが、優しい幻覚と冷たい現実の往復に、もう、疲れてしまった。


 もう、このまま食べられてしま


「なにをどこからながめてるってエ? 」


 ひょう、と何かが(くう)を切る音がした。


 
 
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