三章:旅行者の目的〈一〉

文字数 9,082文字

 目を開くと同時に田村鋼太郎の意識は覚醒した。後ろ髪引かれるような眠気のない実に清々しい目覚めだったが身じろいだ途端、彼方此方に痛みが走った。
「いってぇーっ‼ ……ううぅ……っていうか、ここどこだ?」
 田村は寝転がったまま涙目で周囲を見回した。そこは極上の寝具の上──ではなく、硬く冷たい廊下の床だった。天井から目に優しい光が降り注いでいるが人気はない。
 痛む身体を叱咤しつつ田村は上体を起こし胡座を掻いた。
 服装は多少乱れているが昨晩のまま。靴は揃えた状態で壁際に置かれている。わざわざ匂いを嗅がずとも少し動けば酒と料理と熱気の残り香が服や髪から立ち上った。
「あぁそうだ……そうだった」
 眠りにつく前のことを完全に思い出した直後、傍らの扉がゆっくりと開いた。
 顔を向けると、スーツをきっちり着込み、髪もしっかりセットした鈴木渓が部屋から出てくるところだった。
 後ろ手に扉を閉めながら心の底から呆れているとわかる顔つきでこちらを見下ろす鈴木に、田村はニッと笑顔を向けた。
「よう渓ちゃん。おはよう! ──で、いいんだよな?」
「……そうですね。おはようございます」
「ところで渓ちゃん、俺の記憶が確かなら俺は渓ちゃんの部屋で寝たはずなんだが、どうして廊下にいるのかな?」
「あなたが寝たのを確認して僕が廊下に引きずり出したからです。靴はあなたがベッドに飛び込む際、ご丁寧に脱ぎ散らかしてくださったので揃えておきました」
 悪びれることなく鈴木は、さらりと応えた。
「ひどいっ‼」
「ひどいという言葉は、酔っ払って他人の部屋に突撃してベッドを占拠するような人のことを言うんです。つまりあなたのことです」
「昨日行った飲み屋がマジで当たりだったから一刻も早く渓ちゃんに知らせてやらないとと思ったんだよ。渓ちゃんだってたまに一人で呑みに行くだろう? でも俺たちには時間制限がある。いい店の情報は可及的速やかに共有すべきだ」
「飲み屋の情報はありがとうございます。しかしそれとベッド占拠は別問題です」
「ちぇっ」
 淡々と正論を返された田村は唇を尖らせつつ立ち上がり靴を履いた。
「渓ちゃん、今から朝飯?」
「はい。食堂で朝食を食べてそのまま見学会に行く予定です」
 見学会とは旅行者向けの日帰り旅行のことで、大まかな内容と日程が迎賓館の出入り口に設置された掲示板に張り出されているので期限までに届けを出せば参加することができる。竜之国の民であっても中々立ち入れない工場や施設を案内つきで見て回れるとあり、ほぼ毎日見学会に参加している旅行者も少なくない。
 ちなみに鈴木の場合、日曜日は必ず参加するようにしている。そのことを知っている田村はポンッと手を打ち「あぁそっか。今日は日曜か」と言った。
「田村さんもたまには参加しませんか? 一度も参加していませんよね」
「掲示板に目は通しているんだけど、興味が湧かなくてな。──まぁ渓ちゃんがどうしてもと言うなら……」
「安心してください。興味がない人に無理強いはしません」
「え~そこは可愛く『どうしてもです☆』って言うところじゃない?」
「絶対に言いませんが言ったところで田村さん絶対参加しないでしょう。日曜日の午前中はごろごろしていたい派──でしたっけ?」
 鈴木の指摘に田村は「てへ」と言いながらペロッと舌を出した。まったく以て可愛くないが妙に熟れている。これ以上何を言っても無駄だと悟った鈴木は「はぁ」と大きなため息を吐き出し、爪先を食堂に向けさっさと歩き出した。
「渓ちゃん、俺もシャワー浴びたらすぐ行くから席取っといてくれ!」
 その言葉に続いて扉を開閉する音が背後で響いた。鈴木が肩越しに振り返ると田村の姿は消えていた。言いたいことだけ言って自室に戻ったようだ。田村に割り振られた部屋の扉をなんとなく一瞥してから鈴木は顔を前に戻し食堂へと歩を進めた。

 とんとんっ──と扉を叩く音がした。
「うん?」
 機嫌良くシャワーを浴び着替えを済ませ、スーツケースの中身を整理していた田村は怪訝な顔で扉に近づき、のぞき穴を覗き込んだ。
 レンズの向こうには、大きなトレーを手にした鈴木が立っていた。
 トレーの上には皿が二枚。それぞれおにぎり三つと卵焼き、漬け物が載っている。
 鈴木は、むっとした表情をしていた。不機嫌そうに見えるが数ヶ月の付き合いで、それが照れ隠しだと察した田村はニヤニヤしながら扉を開けた。
「食堂が混んでいたのでテイクアウトにしました。文句は受け付けません」
 先手必勝とばかりに鈴木が早口に言い放った。
 田村は「ふはっ」と吹き出した。
「文句なんて言うもんか。ありがとう、渓ちゃん。俺が絶世の美女だったらほっぺにチューくらいしてやったんだがな。ともかく入った入った」
「失礼します」
 軽く頭を下げると鈴木は田村の脇を通り抜け躊躇うことなく奥へと進んでいった。
 扉を閉めてから田村もあとに続く──と、ダブルベッドの前で足を止めた鈴木が、げんなりした様子でこちらを振り返り、
「急に訪問した僕が言うのもなんですか、生活感が溢れすぎていませんか?」
 と、苦言を呈してきた。
 その視線の先を追うとベッドの上に広げられたスーツケースがあった。詰め込まれた衣服や筆記用具の上にボクサーパンツが堂々と鎮座している。
「大丈夫。洗濯済みだ」
「問題はそこじゃ……いえ、もういいです」
 鈴木は言葉を飲み、ため息を吐いた。そのままベランダへと続くガラス戸の手前にある天板が丸いモダンなテーブルにトレーを置き、傍らにある籐のリクライニングチェアに腰を下ろした。
 田村もシンプルで造りのしっかりした背もたれのある椅子に腰を落ち着ける。
「いただきます」鈴木は静かに手を合わせ箸を手に取った。
「いっただっきまーすっ!」田村はパンッと勢いよく手を合わせ──
「あっ、緑茶飲も」
 おにぎりに伸ばしかけた手を引っ込め慌ただしくミニキッチンに向かった。
「渓ちゃんも飲むか?」
「頂きます」と言って鈴木は卵焼きを頬張った。

     ☯

「あと一ヶ月で帰国かぁ……」
「丁度一週間後にある流水之祭が最後にして最大のイベントになりそうですね」
 コンロにかけた薬缶を注視しながら田村がポツリと呟くと、胡瓜のぬか漬けを箸で摘まみながら鈴木が応えた。
「最大? 七月だか八月にやった祭と何か違うのか?」
 ぴーっと鳴き出した薬缶に急かされ火を止めながら田村は鈴木の方を振り返った。
 鈴木は咀嚼していた胡瓜のぬか漬けを嚥下してから呆れ顔で口を開いた。
「梫太郎さんが祭について説明してくれた時、あなたも一緒にいたはずですが?」
「はっはっはっ、渓ちゃん面白いこと言うな。俺が覚えているわけないだろう」
 茶葉を入れた急須にお湯を注ぎながら田村は得意気に胸を張った。
「はぁ」と特大のため息が鈴木の口からこぼれ落ちた。
「いいですか、田村さん。竜之国では大々的に行われる祭が六つあります。
 二月初旬に行われる春を招く草木之祭、
 五月下旬に行われる夏を招く火炎之祭、
 六月中旬──夏至に行われる陽を司る竜に感謝する陽之大祭、
 八月初旬に行われる秋を招く鋼鉄之祭、
 十一月初旬に行われる冬を招く流水之祭、
 十二月下旬──冬至に行われる陰を司る竜に感謝する陰之大祭──です」
 緑茶を淹れ終え、椅子に座り直した田村は、おにぎりに齧り付きながら「ふむふむ」と頷いた。
「中でも最も重要視されているのが、創世竜話に於いて大地になったとされる陰を司る竜に感謝する陰之大祭です」
「それ、何年か前に日本でも生放送されたよな? 途中で怪異が出たとかでパニックが起きて放送中断。データは置いて行く約束だったから再放送もされなくて、たまたまテレビ画面を撮ってた携帯の映像が滅茶苦茶な再生回数記録したとかいうやつ」
「そうですそれです。因みに一昨年のことです。竜皇の即位式も兼ねていたので特例で生放送が実現しました」
「日本って一応竜之国の友好国だもんな」
「一応じゃなくて、ちゃんと友好国ですよ」
 田村は曖昧に笑い「続きをどうぞ」と殊更慇懃に先を促した。
 鈴木は釈然としない様子だったが説明を続けた。
「え~……そういうわけで、一番重要なのが陰之大祭です。次いで天となった陽を司る竜に感謝する陽之大祭。残りの四季を招く四つの祭は同列ですが、火炎と流水は大祭の準備という側面もあるので草木と鋼鉄より華やかで賑やかになるそうです」
「つまり前の祭よりも今度の祭の方が華やかってことか。うん。わかった。しかし折角ならその大祭とやらに参加してみたかったなぁ……あちっ!」
 自分で煎れた緑茶を飲もうとして田村は舌を軽く火傷した。それを見た鈴木は慎重に緑茶を啜り喉と唇を潤してから「それなんですが……」と少し言いづらそうに口を開いた。
「昔は旅行者が陽之大祭に参加できるよう滞在期間は二月から六月だったんです。しかし二十数年前、大祭の当日に大規模な事故が起きたため、数年間、旅行者を受け入れず、再開した際に現況の七月から十一月に……大祭と被らない時期に変更されたそうです」
「なんだそりゃ⁉ 大規模な事故? 初耳だぞ」
「でしょうね。旅行者は丁度、海が交わる時間帯だったのですぐに船で太平洋に避難して、そのままこれといった被害を受けることなく全員帰国したので日本や他の国では、ほとんど報道されなかったそうなので……いえ、報道できなかった、と言う方が正しいかもしれません。竜之国はウツロの大量発生が起き、家屋が何軒も崩壊、死者や行方不明者も出たため、しばらく旅行者の受け入れを中止するといった最低限の情報と主張を先に提示して、実質、国交を遮断してしまったんです」
「……調べたくとも現場に入れないんじゃ何も調べられないな」
「そういうことです」と頷いて鈴木は緑茶を飲んだ。
 田村は硬い表情でおにぎりの残りを口の中に放り込んだ。しっかり咀嚼してから緑茶をぐいっと仰ぎ、「ぷはぁっ」と酒を呑んだ時のような息を吐き、ちびちびとおにぎりをかじっている鈴木に「しかし渓ちゃん」と声をかける。
「その事故の話、どこで聞いたんだ? って言うか、それ、聞いていい話なのか?」
 落とされた声音と気まずそうな表情から田村の不安に気付いたのか、鈴木はふっと微苦笑を浮かべた。
「気持ちは痛いほどよくわかります。でも大丈夫みたいですよ。先ほどの話は、酒場で一緒に少し呑んだご老人が、僕が旅行者と知って……その、勝手に話し出したんですけど、竜之国では別に箝口令などは敷かれていないようで、周囲の人も止めたりせず、むしろ補足してくれました」
「はぁ~驚きの緩さだなぁ」
 呆れ顔で応えながら、田村はそっと肩の力を抜いた。
「多分、元々隠す気はなくて、伝えるタイミングを逃しただけなんだと思います」
「うわぁ~あり得そう。しかし、そういうことなら梫太郎ちゃんに聞けば、もっと色々わかるかもしれないな……」
「やけに喰い付きますね。そんなにウツロの大量発生が気になるんですか?」
「まぁ、そんなところだ」
 訝しげな鈴木にニヤリと笑ってみせながら田村は卵焼きを手づかみで頬張った。

     ☯

『見えているからといって気付くことができるとは限らない』
『気付くには、知識が必須だ』
 随分と昔、恐らく先輩から言われたであろう言葉が田村の脳裏に浮かんだ。
 いつも通り午前中いっぱい自室でごろごろしてから食堂で昼食を取り、迎えに来た検非違使の梫太郎と虹霓の街に繰り出して数十分──祭の知識を得た上で見る街並みには、なるほど彼方此方に気付きがあった。
 家屋の玄関や壁には祭の当日に飾りを置くための台が用意され、雑貨を扱う店や露店では、常緑樹の枝、吊り灯籠、陶器の人形、刀剣、硝子の器などが前面に並べられている。道行く人々は忙しないがどこか楽しげで、陽光を受けて目や髪が青、赤、黄、白銀、紫──と鮮やかな色彩を散らしている。
 彼らが落とした燦めきが空中や地面の上で輝き弾け溶けて消え、その燦めきが溶け込んだ空気を吸い込み、人々はまた燦めきを落とす──……。
 きらきら……しゃらしゃら……──そんな音が聞こえてきそうな光景だった。
 ゆっくり視線を巡らせていると不意にすれ違った若者がこぼした白銀の輝きが目に入ったような気がして、田村は足を止め目を瞬かせた。隣を歩いていた梫太郎が透かさず「大丈夫ですか⁉」と問いかけてくる。
「あ? あぁ大丈夫大丈夫。ちょっと、目がチカチカしただけだ」
 田村の応えに梫太郎は、ほっと胸を撫で下ろしてから、にこっと笑みを浮かべ、
「美しいでしょう?」と、滅多にない穏やかな声音と声量でそう言った。
 本当に──心の底から溢れ出た言葉なのだと、表情と声が物語っていた。
 田村は一瞬、呆気にとられたが、すぐにいつもの調子でニッと笑い、
「あぁ──そうだな」と、素直に応えた。
 すると梫太郎も一瞬、ぽかんとしたが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
 どちらからともなく再び歩き出す。
 梫太郎の足取りはいつも以上に軽く、表情も五割増しで明るかった。
「何か気になるものはありましたか⁉ 自分がわかることならお答えしますよ‼」
「気になるものだらけだけど……聞いても俺、覚えられないからなぁ」
「何度でも説明するのでご安心ください‼」
 意気揚々と拳を胸に当てる梫太郎を横目に、田村はふと朝食の席での話を思い出した。正直、真っ昼間の、それも路上で聞く話ではない。しかし聞くなら今しかない。そんな根拠のない確信に背を押され、田村は何気ない風を装って口を開いた。
「じゃ、じゃあ、二十数年前に陽之大祭で起きた事故について教えてもらえるか? 今朝、渓ちゃんから聞いたんだけど渓ちゃんも詳しいことは知らないらしくて……」
「──十鬼夜行(じゅっきやこう)のことですね」
 梫太郎は、すっと笑みを消し声量を大幅に落として応えた。
 はっとして田村が顔を向けると、梫太郎は前を見据えたまま続けた。
「二十七年前、陽之大祭の最中、ほぼ同時に多数のウツロが出現し、死者が数名、行方不明者が二名出ました。──以上です‼」
「短っ⁉」
「自分もまだ幼児だったのでそんなに詳しくないんです‼」
「あっ、そっか、言われてみればそうだよな。えぇっと、二十七年前じゃ梫太郎ちゃんは三歳くらいか……」
「しかもウツロが関わっているので検非違使にはあまり資料がありません‼」
「そういえばそういう怪異関係は、陰陽寮……じゃなくって、陰陽官が請け負ってるって言ってたもんな。しっかし梫太郎ちゃん、やっぱり仕事熱心なんだな」
「自分はいつも全力です‼」
「いやまぁ、そうなんだけどそうじゃなくて、資料が少ないことを知ってるってことは、二十七年も前の事故についてわざわざ調べたことがあるってことだろ?」
 ぴたりと梫太郎の足が止まった。
 すぐに田村も足を止める。──と、梫太郎が勢いよくこちらに顔を向け、
「田村さん‼ 小腹が空きましたよね‼ すぐそこに美味しい串焼きのお店があるので買ってきます‼」
 と言うや否や早足で人混みに突っ込んでいってしまった。
 取り残された田村は、突然のことにしばしポカンとしてから一先ず視界に入ったベンチに腰を下ろした。

「ふぅ」と空を仰ぎながら息を吐き出し脱力する。ほぼ同時に、
「はぁ」とすぐ隣で誰かがため息を吐いた。

 なんとなく気になって振り返ると薄灰の狩衣を纏った少年がうつむけていた顔をこちらに向けるところだった。黒と白銀の虹彩に田村の顔が映り込む──見覚えのある少年だった。相手も田村のことを思い出したのか「あっ」と声を上げ目を丸くする。
「旅行者の田村さん、ですよね。お久しぶりです」
「そういうあんたは、扇ちゃんの部下の──……なんだっけ?」
「柃之速午です」
「そうだそうだ速午ちゃん! 今日は扇ちゃんと一緒じゃ──ないんだな」
 目だけ動かし周囲を探るが、あの世にも希なる美貌は拝めなかった。
 速午は扇の名前を出した途端、頭に隕石が当たったような勢いで項垂れ、そのまま絞り出すような声で、
「はい。今日は、扇少将も俺も休日なので……」と応えた。
「うん? でもその狩衣って陰陽師の制服だよな。なんで休日に着てるんだ?」
 田村が指摘すると、速午は、ぎくっ──と肩を揺らした。何かあると踏んだ田村がジーッと旋毛のあたりを見つめていると、逃げられないと観念したのか、速午はのろのろと顔を上げた。
「これを着ていないと、扇少将のお住まいである離宮に入れないというか、入りづらいといいますか……」
「ふぅん。つまりこれから休暇を満喫している扇ちゃんの元に押しかける予定ってことか。本当に押しかけるのが好きなんだなぁ速午ちゃんは」
 膝に肘を置き、頬杖をつきながら田村はニヤリと意地悪く口角を上げた。
 速午が扇の部下になった経緯は、以前、一緒に食事をした際に本人の口から聞いている。まさに純粋で一途故の狂気の沙汰だ。始末に負えないのは、本人もその自覚がありながら改める気が微塵もない点だろう。今も田村の嫌味を込めた返しに対し、気まずそうに目を伏せている。
 しかし実のところ、田村は速午が暴走してしまう気持ちがわからないでもなかった。
 はじめて扇を見た時の衝撃を田村は生涯忘れることはないだろう。
 あれは竜之国に渡航してすぐ──強い日差しが肌を焦がす七月の昼時だった。
 汗を垂らしながら梫太郎の案内で学び舎の周囲をうろうろしていると、女房を一人連れた扇が涼しい顔で出勤してきた。髪型といい衣装といい美貌といい、すべてが浮世離れしたその姿に、田村は見惚れ、至竜は人間ではないという話を実感した。しかし梫太郎に気付いて親しげな笑みを浮かべ気軽に声をかけてくる様子に、自分たちと同じように感情があり生きているのだと再認識した。
 扇は自分が高貴な身分であることを隠さず、かと言ってそれを鼻にかけることもなかった。陰陽師という、この国では戦闘も職務に含まれる過酷な仕事に就いていると知った時は、田村は勿論、鈴木もひどく驚いた。
 しかし、竜之国では竜気と呼ばれる至竜特有の呪力のようなものの保有量が多く、異能の扱いにも長けている皇族や貴族が陰陽師になることは珍しいことではないのだと、梫太郎が教えてくれた。
 それから十分ほど世間話をして別れたのだが、その際、「本当は学び舎の中も見てもらいたいのだが、双方の心の平穏のために今は止めておこう」と言われたのが印象的だった。旅行者は、雲郭と陰陽官の本部、及び詰め所、そして学び舎には、有事を除き立ち入りが禁止されている。理由は不明だが、扇の言う『双方の心の平穏』を保つためには、必要なことなのだろう。
「……っていうか速午ちゃん、いつまでここにいるんだ? さっさと押しかけ──」
 物思いから現実に意識を戻した田村は、先ほどから微動だにしない見習い陰陽師の頭を突く振りをし──はたと気付いた。
「そうだよ。そもそもなんで扇ちゃんのところに行かないんだ? 詳しい場所は知らないが、雲郭とか竜之宮の辺りなんだろう。だったらすぐそこだ。どうしてこんなところでうだうだしてるんだ?」
 田村は淡々と気付いたことを口に出し、疑問を投げかけた。その表情にも声にも、揶揄いの色はない。
 速午は膝に置いていた手を強く握りしめた。
「扇少将に言えずにいたことが、知られてしまって……」
「秘密がばれたと」
「……はい」
「あら、素直」
「……言いたくとも言えなかったんです。でも、伝える方法はいくらでもありました。俺は、それを実行しなかった……それはどこかで、知られたくないと思っていたからかもしれません」
「それで、扇ちゃんはなんだって? そもそもどうしてばれちゃったの?」
「正確には、ばれたのではなく、最初からわかっていたと言われました」
「あらら」
「すっきりした顔で答え合わせがしたかっただけとも言われて、すぐいつもの調子に戻られて、本当に何事もなかったかのような対応をされるのでこちらも合わせていたのですが、もっと色々言われると思っていたので、なんか、こう……盛大な肩透かしを喰らって距離感がわからなくなってしまって……今までは、休日も押しかけていたのですが、急にこれでいいのかとか考え出してしまって……」
「あ~~~面倒くさい思考サイクルに突入しちゃったかぁ」
 苦笑を滲ませながら田村はベンチの背もたれに寄りかかり空を見た。
 うっすらと竜の姿が複数見える。日本ではまずお目にかかれない光景だ。隣では、やはり日本では神社以外ではあまりお目にかかれない狩衣を着た青年が人間関係に悩み頭を抱えている。
「……春だねぇ」
「もうすぐ冬ですよ」
 田村の独り言を速午が生真面目な顔で訂正した。
 くくっ──と喉の奥で笑ってから、田村は速午に問いかけた。
「それで速午ちゃんは、どうしたいんだ?」
「俺は……」
「相手のことを考えられるのは素敵なことだ。でもな、どんなに考えたって相手が自分の思うとおりに動いてくれないように、思っていることも違うかもしれない」
「…………」
「相手が何を考えるのか──それを知っているのは、相手だけだ。同じように、速午ちゃんがどうしたいか知っているのは、速午ちゃんだけだ」
「──っ」
 息を呑んだ速午の目に、すっと決意の色が浮かんだ。
「……ありがとうございます。俺、行きます」
 柔らかくも芯のある笑みを浮かべ、速午は立ち上がった。
「このお礼は、また後日させてください」
「俺は俺の言いたいことを言っただけだ。……でも、そうだな。どうしてもって言うなら……」
 田村はわざとらしく考え込む振りをしてから人差し指を立てた。
「十鬼夜行について教えてくれ」
「十鬼夜行、ですか」
 一瞬、速午はぽかんとしてから、ふっと苦笑を滲ませた。
「わかりました。では、また」
 軽く頭を下げ速午は人混みに消えていった。
 入れ替わるように串焼きを両手に持った梫太郎が人混みから現れた。
「お待たせしました‼」
「おぉ梫太郎ちゃん、お帰り」
 ベンチを離れ梫太郎に近づく。串焼きは肉、野菜、魚介と種類が豊富で、炭火と甘辛いタレのいい匂いがした。田村は適当に半分、受け取り、目に付いた豚肉の串焼きに齧りついた。
「うまいっ!」
「お口に合ったのなら何よりです‼ ところで、誰か一緒にいませんでしたか⁉」
「速午ちゃんがたまたま隣に座ったから少し話をしたよ。しかしあれだな。天でも地でも、人の悩みは尽きないんだなぁ」
 何やらしみじみしている田村に首を傾げつつ梫太郎は海老の串焼きに齧りついた。
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