一章:竜之卵の行方〈二〉

文字数 5,393文字

 玻璃菜の家は西市の片隅で【雨宿り亭】という定食屋を家族で営んでいる。家族経営のため忙しい両親に代わり玻璃菜と弟の面倒を見てくれたのは、一緒に暮らしていた母方の祖母だった。
 二ヶ月と少し前、その祖母が亡くなった。事故でも病気でもなく寿命だった。元々身体が弱く子供を産めるかどうかも怪しいと言われていたが、三人の子宝に恵まれ、最愛の夫が天に帰るのを見届けることもできた。一年ほど前から少しずつ──しかし確実に弱っていき、最後は自室で家族に見守られながら穏やかに息を引き取った。
 そしてその身体は淡く輝きながら収縮し──竜之卵になった。

     ☯

 玻璃菜の家に向かう道すがら扇は玻璃菜から詳しい話を聞いていた。
 勿論、速午も一緒だ。にこにこしながら玻璃菜の話に耳を傾けている。
 梓には、遊びに来るであろう子供たちに事情を説明するため詰め所に残ってもらった。梫太郎も巡回中だったので学び舎の敷地を出たところでわかれた。その前に速午のことを包み隠さず紹介したところ、なんとも言えない顔になった。押しかけ部下という荒技は、生真面目な検非違使には異次元の所業だったようだ。然もありなん。
「竜之卵は陰陽官に渡さなきゃいけないって、お母さんが教えてくれました。でも湖太郎(こたろう)がどうしてもおばあちゃんと離れたくないって言うからお父さんとお母さんがお願いしてくれて、三ヶ月だけ家にいてもいいことになったんです。それから、おばあちゃんの竜之卵を拭くのが私と湖太郎の日課になりました。でもお母さんが言うんです。あと二ヶ月だけよ。あと一ヶ月だけよ──って。少し前にあと二週間だよって言われて……」
「思い詰めた湖太郎くんが竜之卵諸共トイレに閉じこもってしまったというわけか」
「はい。──……あれ? なんで弟の名前……」
「やっぱり気づいていなかったか。何度か口にしていたよ?」
「えぇっ⁉」
 扇の指摘に玻璃菜は目と口をまん丸にした。
「それと、今後は往来で竜之卵の話はなるべくしないようにした方がいい。特に大海の島から旅行者を受け入れている期間は気をつけてほしい」
「わ、わかりました。でも、どうしてですか?」
「俺たち至竜が死後、竜之卵になることは、大海の島の人たちには秘密なんだ」
 玻璃菜の疑問に答えたのは、口元に人差し指を添えた所謂『しー』のポーズをした速午だった。
「昔の話だけど、悪いことをした罰として、死後、竜之卵を大海の島に預けるというものがあったんだ。大海の島の限られた人たちにだけ竜之卵がどういうものか説明した上で預かってもらっていたんだけど、その中の一人が、竜之卵欲しさに至竜を殺めてしまったんだ。それ以来、この罰は行われなくなり、大海の島の人に竜之卵の正体を教えてはいけないという決まりができた」
「や、やっぱり、大海の島ってこわいところなんですね……」
 速午の説明を聞き玻璃菜は真っ青な顔で呟いた。どうやら大海の島に対してあまりいい感情を抱いていないらしい。これは珍しいことではない。国同士はともかく、個人的によく知らない相手に対して不信感を抱くのは、むしろ必然だ。だからこそ扇は努めて明るく、それでいて真摯に玻璃菜に語りかけた。
「警戒するのはいいことだ。誰が悪人で誰が善人かなんて見ただけじゃわからないからね。しかし、悪人が一人いたからその場所は危険、悪人だらけと考えるのはよくない。かといって皆が皆、善人だと信じ込むのも危険だ。悪人だって善人になるし、善人だって悪人になる。これは大海の民に限った話じゃない。私たちだってそうだ。だから家に鍵をかけたり、大声で悪口を言う人とは距離を取ったりするだろう? 竜之卵のことを伝えないのも同じだよ。できる範囲の予防は大切だろう?」
 扇の問いかけに玻璃菜は、素直に頷いた。顔色はすっかりよくなっている。
「ちなみに現在滞在中の旅行者で先ほどの検非違使くんが護衛と案内を担当している田村くんと鈴木くんは中々愉快で楽しい殿方だよ。善人とは言い切れないけどね」
「陰陽師のお姉さんは大海の人と仲がいいんですか?」
「楽しくお話しする仲ではあるね」
 玻璃菜は「そうですか」と言ったきり黙り込んでしまった。きっと色々なことを考え、整理し、組み立て直したり強化したりしているのだろう。
 扇が微笑ましい気持ちで玻璃菜を眺めていると、袖を引かれた。振り返ると速午が笑顔でこちらを見上げていた。自然な笑顔ではない。作り笑顔だ。
 嫌な予感がして扇は眉をひそめた。次の瞬間──
「扇少将、申し訳ないのですがその田村くんと鈴木くんのこと、もうちょっと詳しく教えていただけませんか? と言うか一回会ってみたいのですが可能ですか? 大丈夫です何もしません。えぇ扇少将に誓って何もしません。ただちょっとお話がしたいなぁ~っと思いまして。具体的には扇少将のことをどう思っているのかとか……」
 作り笑顔のまま、速午は立て板に水のごとく話しはじめた。
 そんな速午に扇は冷たい視線を投げかけ、これ見よがしにため息を吐く。
「君は私の保護者か。父兄や弟妹と同じ反応だぞ。あと、彼らに会いたいならその殺気をどうにかしてくれ」
「わかりました! 殺気を巧妙に隠す方法を模索します!」
「隠すな、散らせ滅しろ」
 扇が虫を手で払うような動作をした直後、雨宿り亭の看板を掲げた建物が進行方向に現れた。

 雨宿り亭は店舗と住居が一体化した平屋建ての家屋で、通りに面した方が店舗、奥が住居になっていた。玻璃菜は店舗の出入り口ではなく垣根と家屋の間を通り裏にある住居の玄関に向かった。引き戸を開け「ただいまー!」と声をかけるとすぐに慌ただしい足音が近づいてきた。
「玻璃菜っ! あんたどこに行ってたの⁉ 心配したんだからね!」
 現れたのは四十前後の女性だった。菫色の着物を纏い、光を受けると白銀に輝く髪を結い上げている。顔立ちから玻璃菜の血縁者であることは明白だった。
笄花(けいか)おばさん! 陰陽師の人、つれてきたよ!」
「はぁっ⁉ 本当に陰陽師を呼びに行った……えっ? い、一之姫、さま?」
 笄花と呼ばれた女性は玻璃菜の後ろにいる扇を見て目と口をまん丸にした。その視線は扇の狩衣に縫われた陰陽官の紋章ではなく母親である宵之太上妃太(よいのだいじょうひ)と瓜二つの顔に固定され、憧憬を宿した双眸は白銀の輝きを増し、頬は喜びに紅潮している。心境としては、陰陽師が来たと思ったら皇族だった──といったところだろう。
 久しぶりの初々しい反応にちょっと楽しくなりつつ、扇はにっこりと業務用の笑みを浮かべ、優雅な動作で頭を垂れた。
「はじめまして。学び舎の詰め所で所長を務めている土属性の陰陽師、黄櫨染之扇だ。本日は玻璃菜くんの相談を受け馳せ参じた。湖太郎くんはまだトイレかな?」
「はっはいッ‼ こ、湖太郎はトイレです‼ えっと、その、今は学び舎に詰め所なんてあるんですね! 一之姫さまも、ついこの間、陰陽官に就職されたと思ったら陰陽師になられて……」
「学び舎の詰め所は私が陰陽師になった際にできたんだ。八年前だったかな? だからその前に卒業してしまった人は知らなかったりするね」
「八年前‼ じゃあ丁度玻璃菜が生まれた頃ですね!」
「笄花おばさん?」
 いつもと様子の違う伯母に玻璃菜はリュックを下ろしながら狼狽える。
 そこでようやく自身のテンションがいささか高くなってしまったことに気づいた笄花は、気まずさを誤魔化すように「ごほんっ」とわざとらしく咳払いをして営業用の笑みを浮かべた。
「えー……そうそう、本日は湖太郎のためにわざわざご足労いただきありがとうございます。あっ私は香雨之笄花です。金属性です。玻璃菜と湖太郎の母親の姉で、表の店で給仕をしています」ここで笄花は視線を扇の後方に向け、訝しげに「ところで後ろの陰陽生は、扇さ……んの部下ですか?」と続けた。
「いいや、彼は自主的時間外労働中なので正確には陰陽生ではない。しかし追い返そうとしても口八丁手八丁で居残るので、近所の気のいい青年が助力に来てくれた程度の扱いをしてくれると助かる」
 扇が笑顔を崩さず立て板に水の如く説明すると、速午が片手を挙げ「気のいい青年です!」と笑顔で謎の宣言をした。笄花は「はぁ……わかりました」となんとも言えない表情で応えてから「どうぞ、お上がりください。トイレはそちらです」と気を取り直し、三和土の左手にある扉を手で示した。
「妹夫婦によると朝食を食べ終えてからずっと篭もっているそうです」
「その言い方だと、笄花くんは通いなのかな?」
「はい。出勤してきたら湖太郎が籠城していると聞かされて驚きました。お菓子やジュースを持ち込んでいるみたいで、たまに中で食べたり飲んだりしています。幸いと言っていいのかトイレは店の方にもあるので、そこは大丈夫なんですが……」
 笄花の言葉を肯定するように、トイレのドアの向こうからぱりぱりとスナック菓子を咀嚼する音がした。ごくごくと液体を嚥下する音がすぐに続く。
 試しに扇がノブを引いてみたが開かなかった。
「あけないよっ! あけたら、おばあちゃん、つれてっちゃうだろ!」
 甲高く刺々しい子供の声がドアの向こうから聞こえてきた。
「そうだ。本来ならばあと一週間は一緒にいられた。しかし湖太郎くん、君の今回の行動は、竜之卵を預けておくには危険と判断され、竜之卵は陰陽官本部預かりになるだろう。それだけのことを君はしたんだ」
 扇の厳しい物言いに笄花がぎょっとした。湖太郎も突然知らない声で厳しい言葉を投げつけられ驚いたのか「だ、だれっ⁉」と強ばった声で誰何してきた。
「陰陽師の黄櫨染之扇だ」
「……まなびやの、つめしょのおんみょうじさん?」
「そうだよ、香雨之湖太郎くん。事情は大体聞いている。今すぐ竜之卵をこちらに渡せば、一週間は無理でも、あと数日、おばあさまと一緒にいられるかもしれない。どうか君自身の手でドアを開け、出てきてほしい」
 先ほどよりも柔らかな口調で扇は語りかけた。
「湖太郎!」
 玻璃菜がドアに駆け寄りながら弟を呼ぶ──同時にドアの向こうで竜気がうねるのを扇は感じ取った。何者かが──十中八九湖太郎が竜道を使ったのだ。止める間もなく玻璃菜の手がノブを掴む。先ほど扇が引いた時はうんともすんともしなかったドアが、あっさり──否、勢いよく開き、大量の水が一同に襲いかかった。
 扇は咄嗟に玻璃菜を抱きしめ水の勢いに押されて背中から三和土に落ちた。顔を上げると開け放たれたドアの向こうに菫色の着流しを纏った男児が浮かんでいた。香雨之湖太郎だ。短い髪は紫がかり、姉によく似た顔を精一杯歪め険しく見せている。その胸元で、包み込むように両手で掴んだ竜之卵が煌めいた。
「おばあちゃんはわたなさいっ‼」
 そう言って湖太郎は身を翻し、壁に空いた四角い穴から外に飛び出した。
「待って湖太郎‼ ──あ、あれ? なんか……体が、重い?」
 浮かび上がろうとしたが何故かうまくいかず扇の腕と柔らかな胸の間で玻璃菜が戸惑っていると、ぱんっ──と柏手を打つ音が周囲に響き、湖太郎の竜道によって生み出された水が一瞬で消え去った。
 目をぱちくりさせている玻璃菜を抱きかかえたまま扇が上体を起こし柏手のした方向に顔を向けると、速午が楊枝のようなものを銜え立っていた。目が合うと速午は嬉しそうに相好を崩し「濡れたままでは風邪を召されるかもしれないので念のため」と言った。その身体から微かに土気がもれている。土剋水──土気を以て水気を消し去ったのだ。「ありがとう」と言ってから扇は玻璃菜と共に立ち上がった。
「えぇっ⁉ 窓がない‼ 湖太郎もいない‼ どこに行ったの⁉」
 トイレをのぞき込んだ笄花が驚きの声を上げる。ドアが邪魔して何も見えていなかったようだ。急に水浸しになったり乾いたりしたが、それくらいの事態は竜之国で暮らしていれば、たまに遭遇するので笄花の動揺はすべて窓と甥の不在に起因しているようだった。
「窓を外したのはきっと湖太郎だよ。竜道を使って外したんだと思う」
 廊下に戻った玻璃菜が真剣な面持ちで断言する。
「何を言っているの? 湖太郎の属性は水よ? 窓枠を外すのは、私やあなたのような金属性じゃないと難しいわ」
「で、でも湖太郎は竜気の量が多いし、おばあちゃんの竜之卵を持っているから金属性も使えたんだよ。竜道の扱いだって金属性のおばあちゃんに習ってたし」
 玻璃菜の説明に笄花は釈然としないものの否定することもできず黙り込んだ。
「二人とも落ち着いて。今は湖太郎くんの身柄確保を優先すべきだ。玻璃菜くん、湖太郎くんが行きそうなところはわかるかい?」
 扇に問いかけられ、玻璃菜は「うん」とすぐに頷いた。
「ならば案内を頼む。笄花くんはご家族に事情を説明してほしい」
 笄花は緊張した面持ちで「は、はい」と頷いた。
「速午くんは笄花くんの手伝いをしつつ、ここで待機だ。二時間……いや、一時間半経っても私たちが戻らない時は、検非違使に協力を仰いでくれ」
「わかりました」
 聞き分けのいい速午に拍子抜けしつつも理由を聞いている時間はないと判断した扇はさっさと靴を履いた。先に靴を履き終えていた玻璃菜が勢いよく引き戸を開ける。
「では、笄花くん速午くん、ここは任せた」
 そう言い残し扇は玻璃菜と共に雨宿り亭をあとにした。
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