二章:陰陽師の資質〈七〉

文字数 7,763文字

 葛寿は幼い頃、喧嘩のたびに泣かされていた。
 口喧嘩なら問題ないのだが、手や足が加わるともう駄目だった。一方的に叩かれたり蹴られたり突き飛ばされたり──体格はいい方だったが、やり返すことができず大声で泣いて大人を呼んでいた。
 そんな葛寿のことを母親は「優しい子」と言って撫でてくれた。
「自分の強さがわかっているから人を傷つけないよう、やり返さないのね。あなたは賢くて優しい子。あなたならきっと、昔、お母さんを助けてくれた陰陽師のように、大切な人を守れる大人になれるわ」
 母親は、幼い葛寿に『助けてくれた陰陽師』の話もよくしてくれた。
「あなたがもっと小さかった頃、お祭りの日にたくさんのウツロが現れたの。お母さんは、あなたを抱っこして買い物をしていたのだけど、突然、大きな鬼のウツロがやって来て、私たちを金棒で叩こうとしたの。もう駄目だと思ったその時、颯爽と陰陽師が現れて、ウツロを滅し、私たちを安全な場所まで連れて行ってくれたのよ。まだ年若い陰陽師だったけれど、とても強くて優しい人だったわ」
 柔らかな表情と声で語る母親を見て葛寿は幼いながら──いや、幼いからこそ『おんみょーじになったら、おかあさん、よろこんでくれるかな』と思った。
 恐らくそれが陰陽師を目指す切っ掛けだった。
 実際、葛寿が陰陽生になったことを家族は喜んでくれた。母親も勿論、喜んでくれたが、何かと「無理はしないでね」と言ってきた。それが妙に煩わしく感じられ、いつからか母親とはあまり顔を合わせなくなった。
 陰陽師を辞め家を出てからは会ってもいない。記憶の中にある母親の顔が日に日に朧になっていくが寂しいと思うことはなく、むしろ清々したくらいだ。
 ひと月ほど前にいざこざの末、寮を飛び出した時も実家には帰らず、日中、鱗拾いで日銭を稼ぎ、夜通しちびちびと安酒を呑み、朝方、路地裏で一眠りし、昼過ぎに鱗拾いをするという生活を選んだ。
 換金の際、顔見知りの陰陽師がいないか確認すること以外は、別段、支障はなかった。あの晩、繁華街の片隅で思わぬ人物と再会するまでは──……。
「──乙木之葛寿くん」
 まさか覚えられているとは思わなかった……──。
 モグラと蔑称で呼ばれても揺るがない真っ直ぐな眼差しが恐ろしかった……──。
 狩衣に刻まれた陰陽官の紋章が眩しかった……──。
 気がつくと無様に叫びながら逃げ出していた。
 行くあてもなく飛んでいるうちに頭はすっかり冷えたが繁華街に戻る気力は失せていた。休める場所はないかと探しはじめた直後、廃墟とヒソカを見つけた。スネコスリと呼ばれる子犬のような姿をした怪異で、薄く開いた扉の隙間から廃墟に入っていくところだった。葛寿は念のため周囲を見回し、人気がないことを確認してからスネコスリの後を追うように廃墟に入った。
 スネコスリは基本、好戦的ではない。仮に襲いかかってきても竜道をある程度使えるならば子供でも対処できる非力なヒソカだ。
「大丈夫、大丈夫、大丈夫……」
 譫言のように繰り返しながら葛寿は廃墟の中を見て回った。
 陰陽師は陰陽生の頃からヒソカやウツロが微量ながら発している竜気を感知し居場所を特定する術を叩き込まれる。しかしこの方法では竜気が滞りやすい室内では通用しないため、室内では気配を探りつつ隅々まで見て回るという最も単純で初歩的な方法が用いられる。そのため、陰陽師経験者の多くは建物に入ると、つい中を見回ってしまうという難儀な癖がついてしまうのだ。
 廃墟は静かだった。人が入り込んだ形跡はなく、怪異の気配も感じられない。
 ──と、二階から物音がした。恐らくスネコスリが何かにぶつかったのだろう。
 葛寿は二階に上がり物音がしたであろう部屋に入り──
 ぞわり、と全身の毛が逆立つような強烈な畏れを覚えた。慌てて廊下に引き返し、這々の体で階段に向かう。そこで足を踏み外し──……。

「ぅわっ⁉」
 すぐそこまで迫っていた何かに左手を伸ばし掴むと甲高く幼い悲鳴が上がった。
 左手から柔らかく温かい人肌の感触が伝わってくる……──葛寿は、そこでようやく自分がたった今、夢から覚めたのだと気付き目を開けた。
「……お前は」
 寝起きだからかいつもより低い声が出た。目と鼻の先にいる見覚えのある子供──初空がびくっと肩を揺らす。しかし逃げ出すことなく、むしろ挑むように「こんばんは!」と元気よく挨拶してきた。
「……五月蠅い。もう少し小さい声で話せ」
「それって小さい声でなら話していいってことですよね?」
 にこにこしながら確認してくる初空に対し、葛寿は思いっきり顔を顰めた。
 しかし初空は怯まず、「手を離してもらっていいですか?」と言ってきた。
 葛寿が夢うつつで掴んだのは、初空の右腕だったのだ。すぐに手を離すと、初空の右腕にはうっすらとだが赤い手形が残っていた。
「……悪かったな」
「──っ⁉ お兄さんが謝った!」
「五月蠅い。これで二度目だ。次は追い出すぞ」
 初空は慌てて口を手で押さえこくこくと頷いた。
 それから、いそいそと葛寿の左隣に少しだけ距離を置いて座ると、二人の間にできた空間に持参した風呂敷包みを置いた。結び目を解くと一つ一つ竹の皮に包まれたおにぎりが数個と瓶入りのジュースが二本、現れた。
 ジュースは色合いからして林檎のようだ。
 喉が渇いていた葛寿は瓶を一本手に取った。「あっ……」と初空が戸惑いの声を上げたが構わず蓋を開け──ぶしゅっ! と飛び出した液体が顔面を直撃した。
「ごごごごめんなさい! それ、りんごサイダーで、急いでいたから風呂敷の中でたくさん転がっちゃって……わざとじゃないんです!」
 ほぼほぼ闇に包まれた埃っぽい廃墟の廊下に甘酸っぱい香りが広がる。
 葛寿は、初空が顔を真っ青にして言いつのる様子を、髪や顎からぽたぽたとりんごサイダーを滴らせながら呆然と眺めていた。その口から「ふっ」と息が漏れる。そして──
「ふっ──ふふ、ふははははっ! はははははっ! あははははっ!」
 腹を抱えて笑い出した。突然のことに今度は初空が葛寿を呆然と眺めることになったが、笑い続ける葛寿を見ているうちに、初空も「ぷっ」と吹き出したかと思うと、腹を抱えて笑い出した。

 笑って笑って笑って──……笑い疲れた葛寿と初空は、どちらからともなく、りんごサイダーとおにぎりに手を伸ばした。おにぎりには、具材が書かれた付け札が紐で括りつけられおり、葛寿は鮭を初空はあさりの佃煮を選んだ。
「おれは、花朝之初空といいます。属性は木です。さっきは、ごめんなさい」
 葛寿が一つ目のおにぎりを食べ終えた直後、半分になったおにぎりを手にした初空が急に自己紹介と共に謝罪を口にした。
「……俺は、乙木之葛寿だ。属性は木。それで、さっきってなんのことだ?」
「寝てたのに起こしてしまったことです。息をしてるか確かめたくて。妹が寝てるとたまにお母さんが確認しているんです。息が止まってるかもしれないからって」
「……優しいな」
 おかかのおにぎりを手に取り葛寿は皮肉な笑みを浮かべた。
「俺は、お前とおともだちを引き離した上、使いっ走りにしてる不逞の輩だぞ。その心配をするなんて、恐怖すら覚える優しさだな」
「それは……」
 初空は気まずそうにうつむいた。
 スネコスリを追ってこの廃墟に入り込んだその日、葛寿は階段で足を踏み外し、そのまま転がり落ちて気を失った。目が覚めたのは翌日の昼過ぎで、存外近くから聞こえてきた「ごんご~」と呼びかける幼い声に驚き、飛び起きた。
 身体のあちこちが痛んだが、すべて打ち身だったのですぐに慣れた。それよりも、こんな廃墟で何かに呼びかける子供の方が気になった。十中八九、あのスネコスリは、この声の主の〈秘密のともだち〉なのだろうと推測した直後、風呂敷包みを持った初空がのこのこやって来た。
 葛寿は衝動的に「二度と来るなっ‼」と脅して追い出した。
 しかし初空は翌日もやって来た。そして震えながら「ごんごはどこですか?」と訊いてきたので、「失せろっ‼」と怒鳴りつけ追い返した。
 そんなことを三日ほど続けたところで、葛寿は埒が明かないと思い方法を変えることにした。まず、菓子を持ってくることを止めさせ、代わりに午前中のうちに採っておいた竜之鱗を換金させ、食料品を買ってこさせた。勿論、逆らえば『おともだち』はただではおかない、と念入りに言い聞かせた。
 初空は不満そうだったが逆らうことはなかった。
 肝心のスネコスリは、最初に目撃して以降すっかり姿を隠している。しかし、元々隠形して現れることもある怪異なので油断はできない。
「……優しいのは、お兄さん……葛寿さんの方です」
「──はっ?」
 物思いに耽っていると初空がぽつりととんでもないことを言い出した。
 葛寿が訝しみながら隣を見ると、一つ目のおにぎりを食べ終えた初空が真っ直ぐこちらを見つめてきた。
「今日、たくさん家族と話をすることができたんです。父さんも母さんも、大好きだよって言ってくれました。兄さんにも心配したと言われました。妹も、まだ小さいけどなんとなく雰囲気を察して頭をなでてくれたんです。嬉しかった」
 ふにゃりと初空の口が笑み崩れる。
 葛寿はなんの含みもなく「よかったな」と言った。
「はい! それで、兄さんは、学び舎の陰陽師の人にも相談したらしくて、おれがヒソカをこっそり飼っていることも筒抜けだったんです。父さんと母さんからは、それは本当に危ないから、もうやっちゃだめだと言われました」
「当然の反応だな」
「……おれ、その時、実は、ちょっと、むっとしたんです。ごんごは危なくないって言い返したかった。でも、絶対危なくないとは言えなかったんです。ごんごは人を転ばせたり押したりするのが好きだから……そこで、ずっと葛寿さんが守ってくれていたんだって気付いたんです。言われたとおりにしているのに、中に入れてくれない葛寿さんは意地悪だと思っていたけど、そうじゃないって気付いたんです。だからどうしてもお礼を言いたくて、寝たふりをして、こっそり抜け出してきたんです。サイダーとおにぎりは途中で買いました」
 初空は話をしているうちに感情が高ぶってきたらしく、頬が紅潮し、やや早口になっていた。──しかし葛寿は聞き逃さなかった。
「ちょっと待て……ごんごは、人を転ばせるだけじゃなくて押したりもするのか?」
「はい。たまに突進してきたり抱きついたりしてくるんです」
「……ごんごって名前は、お前が考えたんだよな?」
 嫌な予感に苛まれながら問いを重ねると、初空は首を左右に振った。
「違います。えっと、大海の島の中国……だったかな? そのあたりの言葉だったはずです。おかがわ? じゃなくて……」
「……大海の島──日本の中国地方、岡山県」
「そうです、岡山です! ……葛寿さん?」
 つかえが取れて晴れ晴れとした表情の初空に対し葛寿は真っ青な顔で頭を抱えた。
 ウツロやヒソカは大海の島──日本の怪異、妖怪と酷似している。そのため陰陽官では、陰陽生の時分に、日本の地名やそこに現れる怪異、妖怪の特徴や名前を叩き込まれる。スネコスリは、人の足元にすり寄り転ばせたりする怪異のことで、他にコロビやオボと呼ばれる似たような怪異が存在するが、ごんごとは言わない。そもそもスネコスリという名称こそ岡山県で使われているものなのだ。
 岡山県でごんごと呼ばれる存在は、別にいる。それは──
「……なぁ、ごんごは、お前の友達は、河童なのか?」
 恐る恐る葛寿が問いかけると、初空はゆっくり瞬きをしてから──頷いた。
「はい。そうですよ。ごんごは河童です。……葛寿さん、知らなかったんですか?」
「俺のことは一先ず置いておけ。それより、どうやってごんごと会ったんだ?」
「たまたまごんごがこの建物に入るのを見て追いかけたんです。丁度お菓子を持っていたので渡したら喜んでくれて……それから、毎日、お菓子を持ってきました」
「話しはしたのか?」
「ごんごは単語しかしゃべれなかったので少しだけ」
「最後にごんごと会ったのは、いつだ?」
「葛寿さんとはじめて会った日の前日です。ごんごは、お菓子、飽きたって言って」
 初空は葛寿から視線を逸らし、元書斎へと続く木製の扉を真っ直ぐ指差した。
「この部屋に入っていきました」
 葛寿は軽く混乱した。それほど何もかもおかしかった。
 ヒソカは基本、発生した場所の付近から離れない。よほど竜気が枯渇するか、他者が運び出さないかぎり、その場に留まり続ける。
 廃墟の池に河童が住み着いた事例はあるが、廃墟に住み着いたという話は聞いたことがない。しかもその廃墟には、スネコスリ──別のヒソカも入り込んでいた。
 まるで何かに誘われるように──……。
 不意に、目の前の扉がゆっくりと開いた。
 葛寿は咄嗟に初空を背に庇うよう前に出た。
 開ききった扉の向こうから姿を現したのは、初空とそう年の変わらない子供だった。真っ白なシャツに汚れ一つない半ズボンを身につけ、これだけは何故か埃まみれの野球帽を目深に被っている。
「今晩は。いい夜ですね」
 ニコニコと微笑みを湛えた唇が言葉を紡ぐ。
 初空が「今晩は」と挨拶を返す。しかし葛寿はそれどころではなかった。
 子供が両手で抱えるように持っている茶色い小ぶりのビール瓶──そこから、異様な気配を感じ取ったのだ。ぞわり、ぞわりと悪寒が止まらない。酒瓶は少し埃を被っているが、それほど古いものではない。栓の代わりに紙が貼り付けられている。
「……その瓶を床に置け」
「へぇ、この瓶を警戒するとは、流石葛寿ですね」
「どうして俺の名前を! ──いや、そんなことより、その瓶だ! 下ろせ!」
「はははっ、怖い怖い。そんな急かさないでください」
 子供は楽しそうに笑いながら身をよじった。
「それにしても僕って本当に運がいい! このタイミングで卵を二個も捕食した部下をゲットできるなんて! はははっ、天は僕に味方してくれているようですね」
 意味を問おうと葛寿が口を開くより先に、子供が野球帽を脱いだ。
「──っ⁉」
 露わになった美麗な少年の顔を見て、葛寿は息を呑んだ。
 忘れられるわけがない。毎日のように見ていたその顔を──
 自分を殺そうとした友人の、幼かった頃の顔を──
「摩耶、どうして……」
 呆然と呟く葛寿に、子供は、悍ましい笑みを浮かべた。そして──

「これからどうしたらいいかわからないんだろう? 何がしたいかわからないんだろう? だったら──……僕のために、死んでくれ」

 四年前と同じ言葉を口にしながらビール瓶から手を離した。
 埃が積もった廊下の床にビール瓶が落ち、派手な音を立てながら砕け散った。

     ☯

 青みがかった靄のようなものが割れたビール瓶の中から溢れ出した。
 それが可視化できるほど濃度を増した竜気だと気付き、葛寿はぞっとした。すぐに振り返り、座り込んだままの初空の腕を掴み無理矢理立たせる。
「逃げるぞっ!」
 初空は何が起きたのかわかっていないようだったが、葛寿の切迫した様子から異常事態ということだけは察したらしく逆らうことなく、こくこくと頷いた。
 しかし走り出してすぐに背後で強烈な風が起こり、葛寿と初空を前方に吹き飛ばされた。足が空を切る中、葛寿は初空の腕を引き、その小さな身体を抱き込んだ。一拍置いて背中を床で強打した。一瞬、呼吸が止まり、次いで「がはっ!」と肺の中の空気がすべて押し出された。
「葛寿さんっ‼」
 葛寿はすぐに立ち上がり、悲痛な声を上げる初空を背後に押しやった。
 青みがかった靄がすっかり晴れた廊下に、摩耶を模した子供の姿はなく、代わりにもっと小柄な人影が佇んでいた。
 服は身につけず、惜しげもなく晒された素肌は、ヌラヌラとした緑色。頭頂部には、白磁のような輝きを放つ皿がはめ込まれ、縁から緑がかった黒い髪が放射線状に伸びている。口があるべき箇所には嘴があり、手足には水掻き、背中に甲羅を背負ったその姿は、まさに──
「河童」
 そのものだった。
「ごんご⁉」
 初空が葛寿の横を通り抜け河童に駆け寄る。
「待てっ!」
「ごんご、よかった、無事だったんだね」
 笑顔で近づいてくる初空に河童もニィッと目を細め、笑みのような表情を浮かべ、おもむろに右手を振り上げた。鋭い刃物のような爪が窓から差し込む微かな明かりを受けギラリと輝く。
「ごんご?」
 初空も異様な雰囲気に気づき足を止めたが、そこはすでに河童の攻撃範囲内だった。
 葛寿は床を蹴ると同時に竜道で空を滑空し、一気に初空との距離を詰め、その腰に右腕を巻き付けた。そのまま思いっきり引き寄せると初空と葛寿の位置がくるりと入れ替わり、振り下ろされた河童の右手が葛寿の左肩から肘にかけて引き裂いた。
 鮮血が、ぱっ──と廊下の床や壁に散る。
「~~~~~っ⁉」
 初空が声なき悲鳴を上げる中、葛寿は河童に背を向け、もう一度床を蹴り、廊下の端にある階段前まで一気に飛んだ。肩越しに河童の様子を窺うと、ケラケラ笑いながら爪についた血をうまそうに舐めていた。実際、河童にとって葛寿の──至竜の血はこの上ない甘露なのだろう。
「ごんご、どうして……」
「お前の友達はもういない」
 階段を駆け下りながら葛寿は淡々と言い放った。腕の中で初空が身じろぐ。
「あれはウツロ──俺たちの天敵だ!」
 一階に辿り着いた葛寿は、真っ直ぐ庭へと続く硝子張りの引き戸に駆け寄った。そこで初空を下ろし、引き戸に手をかける。
「──っ!」
「ど、どうして開かないんですか⁉ 鍵もかかってないのに……」
 泣き出しそうな顔で困惑する初空には応えず、葛寿は竜道を使った。
 最も得意とする風は室内には向かないので両腕に蔓を創造する。
 左腕に巻き付けた蔓で止血しながら、右腕に巻き付けた蔓をドリルのように尖らせ引き戸に突き刺す。先端が硝子にめり込む──が、すぐに弾かれ、折角空いた小指の爪ほどの穴も黄色い輝きと共に消えてしまった。
「……結界だ。属性は土」
「土ならおれたちは木属性なので木剋土です。竜道でなんとか……」
「時間をかければ可能かもしれないが、あのウツロがいる限り無理だ」
 その言葉を肯定するように、階段の方からペタペタと河童の足音が聞こえてきた。
 葛寿は初空を右腕で抱え、なるべく階段から離れた部屋に入った。
 元々倉庫だったのか、それとも廃墟になってからそうなったのか、壊れかけた家具や食器、燭台などが雑然と置かれ、ちょっとした迷路のようになっている。
 葛寿は比較的損傷の少ないクローゼットに近づくと、中に入っていた服だった布切れの上に初空を押し込んだ。
「葛寿さん?」
「お前はこの中にいろ。ついて来ても足手まといだ。いいか、俺を助けたいと思うなら、絶対ここで静かにしていろ」
「──っ」
 葛寿が凄むと、初空は目に涙を溜め悔しそうに唇を引き結びながらも頷いた。
 葛寿はクローゼットを閉じ、更に蔓を巻き付けた。クローゼットが悪目立ちしないように近くにあった他の家具にも適当に蔓を巻き付けておく。
「喰われてたまるか」
 部屋を出た葛寿は、小刻みに震える手を握りしめ禍々しい気配がする方へと自ら近づいていった。
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