第164話 蹴鞠の会(2)晴れ舞台②

文字数 909文字

 蹴鞠会は清涼殿の庭で催されるということで、
禁裏が近付くにつれ、
路には貴人達の塗輿が列を為し、
たいそうな賑わいとなっていた。

 鞠場で直に拝見することは叶わぬでも、
雰囲気だけでも味わいたい、
もしかしたなら少しなら、
覗き見が許されるのではないかという期待があって、
信長の近侍の誰もが御伴を望んだ。

 岩村城の兵糧攻めは続いていて、
戦況は大きく動かず、
ある意味、膠着状態で、
信忠軍は東美濃に布陣していた。
 長谷川竹丸は自ら強く望んで岩村に出向き、
普請にあたっていた。
 菅谷長頼や堀秀政も代わる代わる岩村に行っては、
岐阜へ戻って後詰に従事し、
目まぐるしく働いていた。
 信長の覇権が拡大するにつれ、
各方面を信忠はじめ、
大将達が任されて戦を担い、
信長と武将達を結ぶのが長頼をはじめとする側近団だった。

 仙千代は信忠や竹丸が戦地に張り付いている時に、
自分は京で蹴鞠会かと、
後ろめたい思いが湧かぬでもなかったが、
今後益々それはお互いなのだから、
まず今は信長を支え、
その家臣として、
誰にも見下げられぬよう振舞わなければならないと胆に銘じた。

 禁裏では、
八つ銀杏の家紋が特に多く見られた。
 八つ銀杏の紋は、
藤原家庶流を祖とする飛鳥井家を表している。
 平安時代末期、
飛鳥井雅経は蹴鞠の祖として飛鳥井流蹴鞠を興し、
宮廷は無論、
鎌倉や室町の幕府に蹴鞠を伝授して厚遇され、
歌道にも通じて、
蹴鞠と和歌という両道の家として今に名を残し、
今日も雅教(まさのり)雅敦(まさあつ)ら、
飛鳥井家の人々が主催者である親王を助け、
よく立ち働いていた。
 
 信長の父の代、
当時の織田弾正忠(だんじょうのじょう)家とも飛鳥井家は由縁があって、
尾張で大きく飛躍を遂げた信秀の時代、
先代の飛鳥井雅綱が勝幡城や平手政秀邸に逗留し、
伊勢神宮に寄付を頼んだ返礼に鞠や歌を指南して、
勝幡織田家に門弟を残していった。
 
 権力闘争の鍔迫り合いに忙しく、
畿内の大名の誰も式年遷宮に協力をせず、
武田や今川といった大大名も戦費の確保に夢中となって
禁裏の困窮や遷宮にさしたる興味を示さぬ中、
信長の父、信秀は、
誰もが驚く巨額を寄進し、朝廷に感謝を受けて、
尾張の一奉行家ながら京で大いに名を売った。
 飛鳥井家とは、
その頃からの(よしみ)なのだった。

 
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