第26話 龍城(20)岡崎の朝②

文字数 1,104文字

 中食(なかじき)には、
今後二度と見ることはないであろうと思われるような、
大鰻が膳に乗っていた。
 ぱりっと香ばしく焼けており、
焦げ目は淡く、身がふっくら白かった。

 信長は若い頃、津島湊に出入りして、
港湾で働く者達が鰻を好んで食していたのを知っていて、
自身も幾度か食べたことがあったが、
信忠や信雄(のぶかつ)は、
脂が強く、下魚(げぎょ)とされる鰻を口にしたことがなく、
幾らか驚きを見せ、
特に信雄などは、信忠に、

 「蛇のようでございますね」

 と小さく耳打ちする程だった。

 確か勘九郎は蛇が苦手のはず……

 信長が信忠を見遣ると、
表情に変化は無かった。

 まあ、形は似ておっても、
蛇と鰻は違うからな……

 鰻は東三河の吉川から、
豊田藤助秀吉が持参したものだった。

 藤助が仙千代のお気に入りだったことが浮かび、
信長は、

 「藤吉は居らぬのか」

 と声を掛けた。

 もう流石に藤助だと名を覚えていたが、
茶目で羽柴藤吉郎秀吉に掛けて、
藤吉と呼んでみた。

 誰も間違いを指摘せず、
かといって笑いも起こらぬ中、
仙千代がこれ見よがしに、

 「藤助!上様がお呼びである」

 と声を張った。

 「藤吉も藤助も藤吉郎も似たようなものじゃ。
何なら藤之助にするか」

 と信長が仙千代に言い張って、
そこでようやく、笑いが立った。

 控えの間から進み出た藤助は、
これを晴れの舞台と思うのか、
正装で姿を現した。

 「これはまた。見違えた」

 信長は感嘆して見せ、
昨日の今日で、
大鰻を何匹も持って来た藤助を(ねぎら)った。

 「これらを付けて食すのか」

 「はっ!梅肉を添えた酢はさっぱりと。
山椒味噌は飯と合いまする」

 「白身に梅。紅白とは目出度いの」

 「ははっ!」

 「しかも、この胴の太さよ。
まさに川の王と言うべき大鰻じゃ。
では、いただこう」

 着込んでいるのは藤助なりの一張羅ながら、
袖に炭火が爆ぜて飛んだのか、
何ヶ所か、丸い穴が空いていた。
 自ら焼いて供した鰻に違いなかった。

 「ううむ!美味い!
儂は味噌味が好きじゃ。確かに飯が進む」

 信雄は食べ盛りということもあり、
蛇だと言って目を丸くしていたくせ、
信長同様、山椒味噌が気に入って、
鰻を無心に頬張っている。

 作法通りに黙食している信忠は、
よく見てみると、目尻に涙がうっすら滲んでいた。

 「出羽介(でわのすけ)殿。鰻はお嫌いか」

 やはり、形状からして、
信忠は好まぬようで、鰻を口に入れると、
ほぼ噛まずに飲み込んでいた。

 「いえ、左様なことは。
三河の山里の奥深い味わいに、
言葉がありませぬ」

 いかにも好き嫌いを禁じられて育った信忠らしかった。

 真に受けた藤助は嬉しさで笑顔満面だった。

 「蛇は蛇でも、これは美味極まる蛇ですね!」

 と言う信雄に信忠は涙目で頷いていた。


 

 
 

 

 
 
 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み