11)占星術探偵「占星術の虜となった女」

文字数 10,723文字

11ー1)

 私は別にミステリーマニアでもない。古今東西の探偵小説を読み漁って、その本質を掴んだ果てで、満を持して自分の作品を書き出したなんてことはなく。
 というわけであるから、ある一人の作家を範として、探偵はどのようにして捜査を進め、容疑者に近づいていくのか、その手本を探ろうと思った。
 つまり、探偵小説はどのように書かれているのか、その構成を学ぶ必要があったわけだ。

 改めて意識する必要もないほどに、私たちの無意識の中にその捜査方法は刻み込まれてはいる。ミステリー小説だけではない。映画やドラマなどでも、探偵、もしくは探偵的存在の捜査方法を目の当たりにしているのだから。
 探偵や刑事の事件捜査といえば、「あの感じ」というものをぼんやりと思い浮かべることは出来るのである。
 しかしいざ、自分で探偵小説を書くとなると、「あの感じ」で済ますわけにはいかない。意識的に何らかのモデルを仰ぐべきだと思った。
 現実の探偵に興味などない。占星術探偵に、その種のリアリズムは必要ないだろう。方向性が違う。私は物語の探偵に範を仰がなければいけない。
 私がモデルにしたのはロス・マクドナルドの小説に出てくる探偵である。その探偵の名前はリュー・アーチャー。

 なぜ、レイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウではないのか、いや、別にコナン・ドイルのシャーロック・ホームズでもいい。ハードボイルド探偵ではないが、世界で一番有名な探偵だ。
 日本のミステリー小説にだって数多くの探偵がいる。地域や時代性を考慮すべきならば、日本のミステリー探偵を参照にするのが最も有用ではないだろうか。江戸川乱歩の明智小五郎、島田荘司の生み出した探偵的存在たち。
 そんな中、私がリュー・アーチャーを愛した理由。というよりも、その探偵を生み出した作家、ロス・マクドナルドを愛した理由、とりわけ特別な何かがあったということもないのだけど。
 確かに破綻のない筋運びは抜きん出ている。作家の実存に結び付いた物語のパターンも魅力的である。探偵のキャラクターは端的に好みである。
 そのようなところも好きなことは事実であるが、それより何より端的に彼の文章が好みだったからだろうか。
 それこそがロス・マクドナルドが私にとって特別な作家になった理由の全て。例えば彼はこんな感じの文章をサラッと書く作家なのである。

 「谷あいの草地の様子は、何一つ変わらなかった。娘は横たわったまま、検死写真を撮られるのを待っていた。写真は、いろいろな角度から何枚も写された。鳥たちは一羽残らず飛び去って行った。娘の父親は木に寄りかかって、飛びたっていく鳥の群れを見つめていた。しばらくたって、彼は地面に坐りこんだ」

 保安官や検視官、被害者の父が到着して、死体が放置されていた静かな谷あいの草地は騒めく。その騒めきで鳥も騒めき、一斉に飛び立つ。飛び立つその鳥たちは詩だ。
 抒情的な詩情と謎に満ちた物語、その二つが共存するのがハードボイルド小説の世界だと言えるだろうか。ときにその詩情な部分は、作家自身のナルシズムが投影され過ぎこともある。その結果、読むに堪えないヒロイズムやマッチョイムズに堕すことも。
 しかしロスマクドナルドほど、それを巧みにかわし続けた作家はいないに違いない。感情や陶酔と距離が置かれた語り。観察に徹された視点。それでいて、比喩とイメージに満ちた色鮮やかな文章。

 我が師匠がロス・マクドナルドであることは、これまでにも宣伝してきた。それで得をしたこと損をしたこと、プラスの部分、マイナスの部分もあるだろう。
 アンチ・ロスマク派は私の作品を敬遠してしまい、親・ロスマク派は気に留めてくれる。しかしロスマクに比べると、何か物足りないなどと語られてしまうこともある。師を設定することは面倒なことが多い気もする。



11―2)

 探偵小説の作家として私が自らの出自を説明するときに提出する師の名前はロス・マクドナルドだという告白をした。
 そんなもの、告白と呼ぶに値しない自己開示であるが。とはいえ、ロス・マクドナルドの話題をもう少し続けたい。

 彼は人物や街並みなどを説明するとき、長々と描写するのではなくて、比喩を織り交ぜたイメージで簡潔に伝える。そのときに際立った才能を見せる作家だと思うのである。
 ミステリーというのはエンターテイメントに属するジャンル小説なのだから、物語は重要である。
 それゆえ、テンポを損なう描写は嫌われる。物語を確実に伝えるため、文章は出来るだけ簡潔に、そして透明であるべきだろう。
 比喩に淫してはいけないのだ。描写に夢中になり過ぎるべきではない。
 ジャンル小説に、プルーストやジュネのような文章は必要ないわけである。
 文体の魅力より、物語の面白さや文章の読みやすさが重要。それがジャンル小説の鉄則だ、と断言したくはないが、一般的にはそういう意見が過半数を占めるはずである。
 その鉄則を守れないジャンル小説に価値はないだろう。

 ロス・マクドナルドの素晴らしいところは、そのようなジャンル小説の制限を守りながら、それでいて鮮やかな比喩、個性的な描写を盛り込んでくるところだと思う。
 面白いジャンル小説を描くことが出来る作家は数多くいる。個性的な比喩に満ちた、凝りに凝った美しい文章を描く純文学作家も大勢いる。
 しかしこの作家のように、その相反する魅力を同居させた作家は滅多にいない。

 というわけで、私にとってこの作家の最大の魅力は文章それ自体で、それについてもっと熱情的に語りたいという意欲もなくはないのだけど、それに夢中になっている場合でもないので、ここで切り上げて自分で生み出した探偵の世界へ戻ることにする。
 いや、その前にもう一つ付け加えておかなくてはいけないことがある。そもそもこの話題を語りたいために、私はロス・マクドナルドを召喚したのである。

 ロス・マクドナルドの探偵アーチャーはほとんど全ての事件をだいたい一人で解決する。
 彼の小説には相棒のような者は登場しない。協力者もほぼいないと言っていい。
 警察の内部に知り合いがいて、その知り合いが文句を言いながらも、探偵に重要な内部情報を漏らしたりするという展開、一般的ミステリーでよく目にするあれ。
 行き詰った捜査を打破してくれる警察関係者は、小説を書いている作家にとっては、行き詰まりかけた物語を解決の方向に導いてくれる都合の良い存在でもある。
 ミステリーは解決に向かって進んでいかなければいけない。
 そのために、どんな方法で探偵に重要な情報を掴ませるか、作家はそれに頭を悩ませるわけであるが、その悩みに対して一つの解決法を示してくれるのが警察関係者という便利な登場人物であろう。その人物からの情報提供によって、物語は進展するのである。

 主役である探偵の本来のキャパシティを越えて、彼の能力だけでは知り得ない捜査情報を与えてくれるのは警察関係者だけではない。
 その系列の登場人物で最悪なパターンは、ハッキングや盗聴の天才、何でも手に入れることの出来る裏世界の便利屋や密告屋などだろうか。
 彼らが流してくれる情報はあまりに重大過ぎて、しばしば主人公の探偵より事件解決の貢献度が高いのではないかという具合だ。
 ときにそのような登場人物は魅力的な脇役として活躍してくれて、作品の人気に一役買うこともあろうが、しかし私はそのような人物を登場させることに懐疑的な立場である。
 物語を通俗化させるのが、そのような登場人物たちだと理解しているから。

 ロス・マクドナルドという作家は、そのような通俗性とも適切な距離を取っていたと思う。
 それこそ彼の作品が格調の高いハードボイルド・ミステリーであり続けたことの原因の一つであろう。ロス・マクドナルド派の作家を自認するのならば、このような禁欲性を真似るべきではないか。

 そのようなことを考えるわけである。つまり、天才ハッカーや裏世界の事情に通じた情報提供者、あるいは警察関係の協力者、そのような脇役を安易に登場させない。
 しかしそれは理想論で、実際に作品を書くとなると、その通りには中々いかないものである。
 ロス・マクドナルドほど巧みに物語を騙れない私は、結局その便利な登場人物を使っている。
 そういうわけで岩神美々の登場だ。警察組織に属する探偵飴野の協力者。大阪府警の生活安全総務課、ストーカー・DV対策室で働く若い女性刑事。



11―3)

 岩神美々という大阪府警の刑事が登場して、飴野にこの失踪事件について重要な情報をさらりと提示してくれる。そのような展開になるわけである。
 いや、私はこの展開をネガティブなことであるように語っているが、このような登場人物を絶対的悪だと決めつけることは出来ないだろう。
 そもそも警察関係者が登場しない探偵小説なんてほとんど存在しない。
 たとえ警察関係者という便利な脇役を起用しつつも、通俗性を入り込ませないようにする術はいくらでもあるはずだ。
 私だってその努力はしたつもりである。その能力に制限を加え、決して便利に使わない。それでいながら岩神美々という刑事を精一杯魅力的な登場人物にしようと工夫した。
 まあ、それを評価するのは読者であり、私が答えを出せるわけではないが。

 さて、そういうわけで岩神美々である。黒い髪を後ろで結んでいる。服装は型通りで、隙がないというか遊びがないというか、特に何かで自分を飾ってはいない。
 スーツの下の白いシャツの胸の膨らみに目を惹かれるが、それは彼女が意思した魅力ではないだろう。目の前の男性が勝手に受け取るもの。
 身長は高いほうである。肩幅もしっかりとしていて、学生時代の一時期、水泳部でバタフライの訓練に明け暮れていた名残りだ。
 しかしその身体を心なしか小さく丸めていて、猫背気味である。穏やかで優しそうな瞳をしていて、一般的なイメージにおける刑事らしさなど少しも見当たらない。それなのに飴野を見つめる視線だけは鋭く冷ややかで、取っつきにくさが漂っている。
 そんな岩神美々が飴野の事務所のドアを開け、中に入って来た。そして開口一番に言うのである。

 「この男は殺りそう? 飴野探偵」

 挨拶も世間話もせずにだ。岩神美々が資料をつっけんどんな表情で差し出してくる。

 「お久しぶりです、美々さん、そのバッグ、かわいいですね、」

 「あら、千咲ちゃん、こんにちは。シュークリーム買ってきたけど」

 「ありがとうございます、コーヒー淹れますね」

 岩神美々と飴野との間にはぎこちない距離がある。彼に対して、岩神美々はビジネスパートナーという関係を崩そうとしない。
 折目正しさ、強い正義感、堅苦しさ、頑固な態度、牡牛座と乙女座を合せたような性格、それが彼女のパーソナリティーであり、飴野に対してもその刑事としての自分だけを前に出し続ける。
 しかし飴野の助手の千咲とはフランクな関係だ。
 二人は飴野をそっちのけにして、他愛のない世間話に興じ始めた。千咲ちゃんの煎れるコーヒーは美味しいとか、美々さんが買ってきてくれるスイーツはどれも絶品だとか。
 そんな二人を横目に、飴野は彼女から受け取った資料を見ながら、すぐに数字をパソコンに打ち込んでいく。
 岩神美々が何を求めているのか聞くまでもない。つまり、これはある人物の生年月日である。
 その男はストーカーとして警察が相談を受けた人物。ストーカー行為を働いているこの男がどれほど危険な人物なのか、占星術で判断してくれという依頼である。
 これまで何度も岩神美々からこのような依頼をされている。飴野の対応は慣れたものだ。

 岩神は大阪府警のストーカー対策室に所属している。そこは予算も人員も限られている。
 その限られた範囲の中で、出来るだけストーカー被害をなくそうとして、彼女が選んだ策がこれだった。
 岩神刑事は占星術に頼ることにしたのだ。

 これは秘密である。彼女が独断で行っていることだ。他の刑事たちにばれたら、大変なことになるであろう。
 人の命を占星術などで判断するなんてと叱られるに決まっている。あるいは重大な刑事捜査にオカルトを導入したことを嘲笑われるに違いない。下手をしたら失職だ。
 しかし今のところ、この作戦は上手くいっている。飴野が危険だと診断したストーカーに対しては多くの人員を割き、注意深く観察する。危険性がないと判断したストーカーは強く注意するだけで放置。
 その結果、危険なストーカーの犯罪は未然に防ぐことが出来ていて、比較的に無害なストーカーには無駄な時間や手間を費やさずに済んでいる。

 岩神と飴野との出会いはこの物語よりも前。二人の出会いについてはまた別の機会に説明しよう。
 いずれにしろ、岩神美々は占星術探偵シリーズのレギュラー、主要な登場人物である。



11―4)

 「飴野探偵もシュークリーム、一つどうぞ」

 「冷蔵庫に入れておいてくれ。こういうのは夕食後に食べるから」

 「あっ、そう」

 「凄く美味しいよ」

 口の周りをクリームでベタベタにしながら千咲が進めてくる。

 「市販されているシュークリームで、美味しくないシュークリームなんて滅多にないだろ。それに別に美味しくなさそうだから、あとで食べようと思ったわけでもないしね」

 「何よ、その言い方、何かイラっとするわ」

 飴野が真剣にホロスコープを読み解いているときに、二人が和気あいあいとシュークリームを食べ出したりして機嫌を損ねたのだろうか。

 「あらゆるスイーツ類を僕は夕食後に食べる、それが習慣なんだよ」

 飴野は吐き捨てるように言う。

 「知らんわ、そんなこと。みんなで一緒に食べることに意義があると思うやけど」

 「そのようなことが理解出来ない人なのね」

 「ホンマに悲しい人やわ」

 美々と千咲の二人がその絶品のシュークリームを食べ終わった頃、飴野はようやくPCのディスプレイから顔を上げた。

 「結果が出た?」

 岩神美々は刑事らしい態度を取り戻し、改まった表情で尋ねた。

 「ああ、出たよ。心配ない。この男が女性を襲う確率はゼロだと言っていいだろう。行動の惑星火星が弱いタイプの性格だ。それに自制心も人並みにある」

 「危険なタイプじゃないってこと?」

 「警察が少し脅せば素直に聞き入って、その女性の前から消えるだろう」

 「そう、じゃあ、この男は?」

 岩神は別の資料を渡す。機嫌を直して、シュークリームを食べてやろうかと思った飴野はその考えを引っ込める。

 「いいだろう、いくらでも協力するさ。この街の治安のためだ。でも今日はこちらからも、君に頼みごとがあるんだけど」

 岩神美々と飴野の協力関係はこんなふうにして出来上がっている。飴野は占星術で捜査に協力する。その代わり、岩神はいくらかの情報を提供する。

 「珍しいのね、仕事の依頼があったってこと?」

 美々は飴野に尋ねず、千咲のほうを見る。

 「うん、女性の依頼人さんが来て、先日から熱心に捜査を始め出してるけど」

 「オーケーよ、飴野探偵からの頼み事を聞くから、この案件もお願いする」

 飴野が再びエンタ―キーを叩いたのは五分後だ。

 「こいつはヤバい。しっかりとマークしておいたほうがいいかもしれない。厄介な星の持ち主だ。しかもその星が荒ぶる時期は近い」

 「すぐに対応するわ」

 美々は厳粛な表情で、スマホを取り出して、どこかに連絡をし始める。

 美々は若い。特別な役職についているわけでもない。しかし彼女の父親は警察内で地位が高く、それなりの人望と権力の持ち主だった。
 そして、それこそ美々が刑事などという仕事を務めている理由でもある。彼女は父の強い希望で、この仕事に就いたのだ。
 一方において、美々はその権威を存分に利用している。その庇護のもと、彼女は自分の信じる捜査方法で仕事をしている。
 それに彼女はストーカー対策において、かなりの実績を挙げている。飴野の協力によってもたらされた実績ではあるが、彼女の提案はこれまでに何度も危険な犯罪を未然に防いできた。
 彼女は署内において一目置かれる存在。彼女の指示は重視されているよう。



11―5)

 「危険な星の持ち主ってことは、この男性のホロスコープの火星がヤバいってこと? それとも冥王星のほう?」

 ストーカー捜査に関しての情報交換が一段落着いたあと、岩神美々がそのような質問をしてきた。しかし先程までの態度と変わって、心なしか遠慮気味である。飴野に対して気を遣うような笑みさえ浮かべている。

 「そうだよ、火星と冥王星、それより何より、この男の場合は太陽だろうか。行動力があるから、その情熱の使い方次第では仕事でも成功する人物と読める。しかしそれが悪い方向に向かうと、人殺しも辞さないパーソナリティーってことになる」

 「なるほど」

 占星術で、善と悪の判断など出来ない。この人物が善人なのか悪人なのか、いったい誰にわかるというのか。
 そもそも、ホロスコープには善も悪もない。どれくらい感情に左右されるか、抱いてしまった怒りや恨みを晴らすため、行動に移すタイプかどうか、そういうものが読み取れるだけであろう。

 「その男、生来持っているアクティブな行動力をプラスの方向に使うことが出来ていたら、成功者になれていたかもしれない。とはいえ、今現在そのエネルギーは社会成功のためではなくて、個人的な欲望のために使っている、そんな感じ?」

 「いや、現在でもきっと仕事で成功しているさ。それくらい大層なパワーの持ち主ってところだ。問題は身近なところにブレーキ役を務めることの出来る星の持ち主がいるかどうかで。しかし彼がストーカー行為なんてものを始めているのだとしたら、それは既に彼が悲惨なくらいに孤立しているという証拠だ」

 「そうね」

 「彼のパワフルさについていける者は滅多にいないだろうから、その孤立は占星術的にも必然だとも言えるのだけど。子供の頃から、『なぜか周りから浮く』タイプだったと思う。とはいえ、そんな人物でも彼の両親が彼よりも強烈にパワーの持ち主であったならば、違う人生だったかもしれない。彼の家族のホロスコープも見ることが出来れば、その男のことがもっとわかるのだけど」

 岩神美々は飴野の説明を、瞳をらんらんと輝かせて聞き入っていた。
 彼女は占星術的なものが大好きなのである。いや、それどころか飴野の占星術を妄信していると言っていい。

 岩神美々という女性、一般的には危険なタイプだろう。占星術なるオカルトを何の疑いもなく信じ込んでいる。
 しかも彼女は刑事で、その占星術を仕事にも使ってさえいる。常識的な行動とは言えない。社会的には最悪な所業と言えるだろう。
 彼女自身もそれをわきまえていて、だからこそ飴野とは微妙に距離を取っている。ビジネスライクな対応に終始しているのはそれが根拠。占星術に頼ることを後ろめたい行為だと強く認識している。

 岩神美々は真面目で正義感が強く、基本的には常識人でありたいと願って生きている真っ当な実存だ。
 決してファナティックなタイプではない。浮世離れした性格でもない。
 彼女自身、占星術を頼りとしている自分の性向の前にたじろいでいるのだ。抵抗感を覚えているのだ。
 それでも美々は哀しい麻薬中毒者のように、その魔力に取り憑かれている。
 彼女は引き裂かれた自我の持ち主というわけである。きっと刑事である今の自分と、自分がそうなりたかった自分像とが重なり合わないのであろう。
 刑事である自分とは、父親によって課せられた姿。彼女にとっては望ましいわけでも、居心地が良いわけでもない。仮面を被った偽物の自分。
 それでも生真面目な彼女は、懸命にその宿命を生きて、刑事の職務を真面目にこなしている。社会の安寧と秩序維持に貢献しようと努力しているのだ。
 しかしそんな自分自身に違和感も覚えている。少なくとも幸福など感じていない。その運命と願望の間には大いなる齟齬があるのだ。
 その齟齬に、あるいは裂け目に、占星術というオカルトが入り込んでしまっているというところか。

 小説の中で、美々のそのような性格の分析がなされることはないが、飴野も美々のその哀しい「病み」を見透かしている。
 飴野はその気になれば、美々という公権力の持ち主を思うがままに操ることが出来る立場にいるのかもしれない。
 彼女の占星術への心酔振りは異常だった。占星術の名のもとであれば、どんな要求であっても美々は承諾するだろう。飴野はその事実を見抜いている。
 それを知りながら飴野は抑制していた。むしろ、思いのままに操ることが出来る予感を漂わせるこの刑事を前に、彼は恐怖すら感じていた。それは公権力の脆さ、社会の脆さを前にした恐怖でもある。

 「飴野探偵、捜査協力に感謝する。で、私のほうはどんな協力をすれば?」

 「ある男性が失踪した。若菜真大という人物だ。彼を探して欲しいという依頼を受けたんだ」

 「知らないわ。どこの課でも噂になっていないと思う。失踪届は出ているの?」

 「ああ。しかし青年男性が自分の意思で婚約者のもとから去ったという扱いだ」

 「まあ、そうでしょうね。でも飴野探偵、あなたが私に相談なんてしているということは、それなりの事件性があると判断したわけでしょ?」

 占星術で、あなたはそう判断した! そんな言葉を直接口にはしない。出来るだけ、自分からはその禁断のワードを口にしない女なのだ。何という、かまととぶった態度であろうか。

 「どのような事件だと推測しているの?」

 美々は言う。この事件を占星術でどのように解釈しているのか、教えなさいと言外で言っているのである。



11―6)

 「依頼人は失踪した男性の婚約者なのだけど。彼女が殺した、と僕は判断した。その婚約者が失踪したという時期に、彼女のホロスコープで火星が怪しい瞬きをしている」

 飴野はパソコンのディスプレイに、佐倉彩のホロスコープを表示する。その火星はシンボルの形で表示されていて、決して瞬いてはいない。解釈としてそう見えるという占星術的形容詞だ。

 「火星、危険な惑星ね。人を暴力に駆り立てる」

 美々はごくりと生唾を飲み込む。飴野が始めようとしている、それなりにディープな占星術の話題に、密かに興奮しているのだろう。

 「殺人事件ってわけね。あなたはその依頼人を容疑者として疑っている。探偵に捜索を依頼したことは、自分には罪がないとアピールするための偽装工作だと」

 「そう、しかしまだまだ情報が足りない。そのような判断も出来るかもしれないって段階で」

 飴野はディスプレイの画面を切り替えて、今度は佐倉のネイタルのホロスコープを表示する。

 「確かに彼女のホロスコープで殺意が激しく瞬ていたことは事実だ。それはこの火星が示唆している。しかし実際に首を絞めて殺したとか、ナイフで心臓を突き刺したとかではないのかもしれない。例えば激しい口喧嘩で、彼を傷つけるような言葉を発した。身体的には殺傷はしていないけれど、心を殺した。彼はその言葉に殺されて自殺、あるいは失踪した。殺意の火星と、罪の意識を感じる傷ついた自我の太陽がその経緯を示しているというのが僕の見解だ。とはいえ、今、得ている情報だけでは詳しいところまでわからないけれど。いずれにしろ、婚約者の佐倉さんと若菜氏との間で何らかのトラブルが起きた。その直後、彼は失踪した」

 「興味深い事件だと思う。しかしどうやって協力すればいいのか」

 「うん、君に相談する時期ではなかったのかもしれない。まだ取り掛かったばかりで、何も導き出すことは出来ていない。僕も若菜という失踪者のことを、ぼちぼち探り出したばかりで」

 そう言いながらも、こちらは若菜ホロスコープだと、飴野は画面をまたもや切り替える。

 「この事件の三年前、若菜氏は自分の人生を大きく変えるような何者かと出会っている。それも占星術的な推理だけどね。冥王星、自己破壊と変革の星が主張している、ほら、これ」

 「え、ええ」

 「これに関しては、彼のアストロツインと会って裏付けも取ってある。アストロツイン、つまり若菜真大と完全に同じ日付で生まれた者。その男性にコンタクトを取って、色々と話を聞かせてもらった」

 アストロツイン。何という馬鹿げた存在だろうか。その失踪者と同じ生年月日だけの別人。
 ましてや、それを犯罪の捜査に使用しているなんて、常識的な警察人が聞けば激怒するであろう。
 しかし飴野の占星術の虜となっている美々には、とてもつもなく魅惑的な響き。

 「聞いたところ、その男性はこの時期、ボクシングを始めたらしい。それによって彼は新しい自分に生まれ変わることが出来た。冥王星に自己変革を強いられた結果だという解釈が可能だ。だとすれば同じホロスコープを持つ若菜氏も、そのボクシングに相当する何かに遭遇しているはずなんだ」

 「それがこの事件に関係していると?」

 「間違いないだろう。若菜氏のホロスコープにおいて独特な存在感を示す冥王星、その意味を掴むことが出来たら、きっと事件の真相に辿り着けるさ」

 飴野は再びマウスをいじって、佐倉と若菜のホロスコープを重ねて映す。

 「それともう一つ、重要なキーワードは火星と金星だろうか。結婚を約束していた二人にとって、結局はこの惑星が重要な意味を持つ」

 「金星と火星・・・」

 「ほら、こうやって重ね合わせるとわかるだろ? 二人ともお互いの金星と火星が、お互いの金星と火星を傷つけ合っている。それについても深く詮索しなければいけない」

 「金星と火星、愛の星ね」

 「ああ、そうやって限定するのは正しくはないけれど、恋愛関係において、とても重要な意味を持つ星であることは事実だろう」

 「愛の星」という事実に、岩神美々はひと際の関心を見せる。美々も女性であるから、このような話題には興味津々といった様子。しかも、彼女の好きな占星術が絡んでいるのだから尚更だ。
 いや、女性ならば恋愛の話しが好きだというのは、愚かなカテゴライズなのかもしれないが。
 しかし星が絡んだ途端、全ての恋愛関係は運命か、その過ちかに見えて来ることは事実で、この失踪事件も妙なロマンチシズムを帯びてくるのだ。

 「容疑者は殺してしまいたいほど憎んだの? それとも愛したの?」

 「さあね。殺してしまいたいほど、落胆したのかもしれないし、怒りを感じたのかもしれない」

 「殺してしまいたいほど、失いたくなかった可能性も?」

 「それもあるだろうね」

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