22)ロキの世界「『読書史(仮題)』」

文字数 17,404文字

22ー1)

 自伝的な作品を書いてみたいと思うことはある。自分の人生を振り返る作品だ。
 それは作家なら誰もが抱く欲望に違いない。そういうのを書くのは楽であると思うし、書いているときに気分だって良くて、自分の人生を文章で残すなんて、何か意義のある仕事をしているように思えてたりするかもしれない。

 読み返し作業をさっさと放り出しておいて、次に書いてみたい作品のことを考え始めるのは自己逃避的な行為に思えて、いくらか後ろめたいのだけど、しかし他でもない、密着ドキュメンタリーとやらの案件が舞い込んだという報せを受けたとき、私が思い出したことがその企画の案だった。
 私もそのような楽な仕事をしたい。それもまた、書きたいと望みながら、その一歩を踏み出していない企画案。
 その密着ドキュメンタリーとやらがどのような映像作品になるのかわからないのだけど、自分について語ったり、曝け出したりしなければいけないだろう。
 それならばいっそ、自分で描いてしまおう。その番組に素材を提供するのをは勿体無い。作品にする。そういうわけだ。

 しかし自伝的作品なんてあまりに溢れている。何がしかの工夫を凝らす必要があるに違いない。
 そもそもシンプルな自伝的作品なんて書きたくはないのである。
 人生における経験や出来事について書かれた読み物。そのようなものを書こうと思っているわけではまるでなくて。
 自分の人生について書きたくない、というよりも特に書くこともないというのが本当のところだ。
 これまで体験してきたことや、自分の人生で起きた出来事より、私には書きたいことが別にあって、端的に言えば、これまでに読んできた作品について書きたい。つまり、読書史という感じのものだろうか。

 私がもし政治家や軍人、革命家とか犯罪者、すなわち行動する人間であったのならば、自分の人生について振り返ることに意味はあるだろう。
 家族のこととか、教師のこととか、友人のこととか、恋人のこととか、誰のどんな行動に影響を受けたとか、我が人生における成功や失敗、それについて読みたい人が存在したりするかもしれない。
 しかし私は小説家なのである。文章の世界で生きて、それでだけ世間に認知されている。
 そういうわけであるのだから、どんな文章に影響されたのか、どんな作品を読んできたのか、それについて書くことこそ、最もピュアな自伝的書き物となるのではないか。
 つまり、読書史だけで出来た自伝。

 もちろん、出来事にだって影響を受けてはいる。誰かの行動に感激したり、傷ついたりして、書き始めた作品やチャプターだってあったのかもしれない。そんなものは当たり前過ぎる事実。
 ゲーテの作品の中で主人公が自殺するよりも、身近な誰かの自殺のほうが大いなるインパクトがあるに決まっている。友人の友人のその知り合いの自殺であっても、きっとそうだろう。

 しかしそういうことをあえて無視して、読んできた作品だけで自分の過去を構成してみるのだ。
 その隙間から私の人生を浮かび上がらせてみる。いいや、そんなことすら意図する気もない。本当にただ単純に、何を読んできたのかだけ振り返る。

 書きたいのであれば書けばいい。別に発表しなくても、振り返ってみることだけでもそ価値はありそうではないか。
 編集者の大野さんが首を縦に振ってくれないのなら、別の出版社やプラットホームを検討してもいい。あるいは自分のファンクラブ会員に向けて書くのだって悪くないだろう。

 実際のところ、目次だけは瞬時に完成したのだ。それが自伝的作品の書きやすいところである。自分の人生をなぞればいいだけの仕事。面倒なフィクションとはまるで違う。

 目次が完成したのならば、もうその作品それ自体が完成したも同然である。
 かつてこれまで小説を書くにあたり、先に目次が完成したことなどない。
 この企画ならば、それ程の苦労もなく、驚くほどの短期間で書き上げることが出来るに違いない。

 いや、しかし目次が完成してしまったから、それでもう書くモチベーションがきれいさっぱりと昇華されたとも言えるのだ。
 充分に満足している。これからその目次通り、順々に文章を書いていくなんて退屈過ぎじゃないか。
 そんな具合なので、結局、その自伝的読書史を書くことはないだろう。おそらく、この先ずっと、書きたいなんて意欲が湧くことはないと思う。
 しかし今、私は次の作品に取り掛かれないでいる。何を書くべきか、まるで見い出せていない。
 そして密着ドキュメンタリーの仕事を控えている。そのときインタビューで聞かれる内容と、読書史で出来上がったその自伝は通じるところもあるだろう。
 ここ最近は連日、百合夫君と会って、彼の恋愛セミナーの取材に時間を費やしていたが、今はそれも一休みしている。
 時間的にも精神的にも余裕がある今、せっかくだからこの機会に、その自伝的作品について向き合うのも悪くないかもしれない、そんなことも思わなくもない。

 完成したと思い込んでいる目次についてだけでも、改めて検討しておくのである。もしかしたら意外とやる気が出て、この作品そのものを完成させたいなんて気になるかもしれないし。



22―2)

 その読書史は、現在の自分を形作ったものを結果から遡り、振り返ることになってしまうと思う。
 「現在の私」は、とりあえず一つの完成形として存在している。占星術探偵シリーズを書いている自分、そのような像として、だ。
 他の何かを書いた、ありえたかもしれない私ではなく、それだけが今の私であって。

 結果から遡るようなことは出来るだけ慎むべきだ、というのがノンフィクション系統の仕事の作法かもしれない。剥き出しのリアルな生活史にこそ価値がある。
 しかしそんなものは編集されていない日記のようなもので読み難いに違いない。
 あの読書履歴は今の自分に活かされてはいないと判断すれば、歴史の闇の中に葬り去ろう。煩瑣な、語る価値のない情報として。
 また月日が立ち、今とは違う別種の作品を書き始めて、別の私が出来上がったとき、その葬り去った読書歴を掘り起こして、自分の歴史を修正することもあるかもしれない。
 そういうことだって起こり得るのであるから、愚かしいほどに「今の私」に規定されている読書史。抜け落ちる情報はいくつもあるのだ。

 という前書きから始めながらも、まるで今の自分につながってはいない作品から語り出すことになるのだけど。
 第一章のタイトルは、「中国歴史小説というファンタジー作品」になるに違いない。
 小学生の私は「三国志」や「水滸伝」という題材を原典にした作品に夢中になった。

 それらの作品のおかげで、読むという習慣が自分の中に深く宿ることになったのは間違いない。
 文字の連なりを読んで、それを楽しむことが出来るという能力。だからその経歴を是非とも記しておきたいと思うのである。
 しかし「三国志」や「水滸伝」に出会うことがなければ、その習慣を身に着けることが出来なかったわけでもないだろう。
 まず最初に私の中に、「何かを読みたい」という意思がそもそも存在していたのだと思う。
 「何かを読みたい」という意思、それは環境のせいだったのか、遺伝子のなせる業なのか知らないのだけど。
 その正体は何なのかよくはわからないが、けっこう強固な意志として私の中にあったのは間違いない。
 別に「三国志」や「水滸伝」の魅力が、私の中に読書の習慣を植え付けたわけではないのだ。
 そうではなくて、その逆で、「何かを読みたい」という意思に、「三国志」や「水滸伝」が合致したということ。

 とはいえ、私はそれらを読んだのだ、とてつもない熱狂と共に。
 「三国志」や「水滸伝」は、歴史作品というより英雄物語と呼ぶべきに違いない。つまりヒロイズムを満たしてくれる作品。
 しかし世界中に英雄譚は多いのに、ギリシア神話やローマの英雄伝に夢中にならず、少年時代の私は「三国志」や「水滸伝」を好んだ。それはなぜか。
 それらの作品が身近で手に入りやすかったからだろうか。それとも破格的に面白かったからであろうか。はたまた、ただの偶然か。

 どっちにしろ英雄譚とは、血肉沸き起こる波乱万丈のエンターテイメントだろう。
 強い者たち、美しい者たち、頭が良い者たち、心が美しい者たち、高貴な者たち、そのような英雄たちが胸のすくような活躍を見せたり、そうかと思うと卑怯な者たち、姑息な者たち、数に頼る者たちに打ち負かされ、非業の死を遂げたり。
 そのような物語に熱狂していたのだ。少年時代のそんな自分を、私は凡庸だと思う。何てありきたりな感性の持ち主だったろうか、と。

 そんなものに夢中になる少年の像を、とてつもない偏見と共に推測してみたい。
 そんな少年は特に勉学に秀でているわけでもないだろう。理系的なセンスに乏しいはずだ。その癖、別に言葉に鋭敏でもなく。
 おそらく運動神経など良いはずがない。友人の数は限られている。しかし完全に周りと孤絶するほど変わり者でもなく。
 大人しく地味な少年。しかし気宇は壮大で、もしかしたら自分を特別な存在だと思い込んでいる自己愛者の面がなくもない。何せ英雄たちと自分を同一視出来るようなパーソナリティなのだから。

 別にそれが私の少年時代の像というわけではないのだけど、大いに重なる部分はあるに違いないから、それが私の自己像だったということにしてもいい。



22―3)

 少年というものは、ヒロイックな英雄譚が好きなものであるかもしれない。それはどんな人だって、多かれ少なかれ通る道に違いない。
 まあ、だからこそ凡庸でありきたりな感性であるわけだが。
 少年なのに、「シンデレラ」や「白雪姫」などに自己を投影していたのならば、それはいくらか特筆すべき出来事であったかもしれないが、そんなことは起きなかった。私が愛したのは英雄譚。

 とはいえ、あの頃の私の中国歴史小説に対する熱中は中々のものであった。
 それらを一心不乱に読み続けていれば、もしかしたらいっぱしの専門家に成れたかもしれない。いや、それは専門家というものを見くびっているだろうか。

 しかし飽きてしまったのか、物足りなくなったのか、いつ頃かそれに対する興味は消えていった。
 そういうのが成長だとしたら、私は見事に大人になったと言えるのだけど、別に誇りに思うようなことでもないだろう。
 むしろ、少年時代の強迫観念にいつまでも囚われる者こそが非凡であるに違いない。やはり、私は飽きやすい凡人だ。

 「三国志」や「水滸伝」を愛した自分のその趣向について、今から振り返って語ることなど特にない。その作品の延長線上に、今の私の小説が存在しているわけでもない。
 確かに「三国志演義」の主人公の諸葛亮孔明は、ときに占いなどを駆使して政策を決めていた。
 彼が依拠している占いは奇門遁甲という東洋の占い。孔明は夜空を見上げ、星を見て、天変地異を予測したり、戦いの行く末を見通したりしていた。
 その姿の格好良さたるや! その姿に痺れたことは事実だ。
 言うならば孔明は占星術軍師であったわけだ。もしかしたらそれが占星術探偵にアレンジされたのかもしれないのだけど、あくまでもそれは上辺の意匠に過ぎなくて。
 「占星術探偵シリーズ」における占星術はその作品の本質というわけではないのだから、取るに足らないエピソード。

 先程から「三国志」や「水滸伝」を英雄譚などと呼んでいるが、しかしそれらを読み始めた頃、幼い私は三国志などで描かれたことを歴史的史実だと信じて疑わなかった。
 「三顧の礼」も「天下三分の計」も、赤壁の戦いでの孔明の活躍ぶりも全て、実際に起きたことだと思いながら読んでいた。
 しかし実はほとんどが虚構。民間伝承を集めたり、後世になって付け加えられた創作だったらしい。
 諸葛孔明の神のごとき智謀も嘘。あの八面六臂の活躍も全てがフィクションだった。

 「三国志演義」において最も天才的な人物は、孔明などではなくてその作者、羅漢中だったわけだ。
 それを知ったときの衝撃の大きさはかなりのものであった。夢を打ち砕かれたと言っていい。何でも見通す、あの深謀遠慮の人、諸葛亮は実在していなかったなんて。
 その経験が、私を歴史研究よりも創作へ向けさせたのか。いや、そんなわけもない。やはり、この経験から引き出すべきことなんて何もない。
 というわけなので、さっさと第二章へ向かおう。
 しかし次の章で、私の読書の趣向は更に凡庸さの度を深めてしてしまう。少年時代の私が次に夢中になるのは「ドラゴンと魔法の世界」だから。



22―4)

 ところでさっきから、少年時代の私はありきたりなタイプだったとか、普通の子供に過ぎなかったと書いてしまっているが、それは今の私が何やらまるで個性的で特別な大人に成長したかのような言い分である。
 そう書いてしまう度に、そんな意味を背後に潜ませてしまうことになっているかもしれない。
 つまり、「今は最先端の文学に親しんでいる凄い俺だけど、子供時代はそうでもなかったよ」という意味に。
 しかし実はこの「我が読書史(仮題)」の主意は、そういうものである可能性がある。
 凡庸だった人間が、文学と出会い変わった! そんな笑い話に近い論旨が展開されてしまうかもしれないのだ。
 だから、後半の「文学」を扱う章で、この自分像をガラリとひっくり返すための、これら前半は伏線のようなものとも言える。そのために、普通だとか凡人だということを強調している。

 しかしもちろん、本当に「最先端の文学に親しんでいる凄い俺」に向かって書き進めていくわけではないことは付け足しておかなければいけない。
 それは冗談というか、大袈裟な言い方。
 別に文学なんて凄いものではない。それがたとえ最先端であっても。
 私だって承知している。それに親しんでいるくらいで、抜きん出たりはしない。
 しかし文学にはそれ特有の価値だってあり、それについて真っ向から言及するという、けっこう愚直なことを、この「我が読書史(仮題)」でしでかすつもりなのである。

 先を急ぐ気はない。第二章にまるで言及しないまま、次の章へと進んでいきそうな勢いだ。
 もちろん、二章の内容についても少し書いておきたい。少年時代の私はファンタジー小説に夢中になったという話題である。
 トールキン、ル・グウィン、ムアコック、ワイス&ヒットマン。ファンタジー小説の大家は大勢いるが、この第二章で特権的に名前を挙がるとすれば、きっと田中芳樹の名前だ。
 彼の作品はファンタジー小説やSFである前に、架空戦記ものと言うべきで、まだまだその頃の私は、三国志への愛を色濃く残していた。
 というのも、それらに夢中になった時期から、それほど年は経ていない。

 その物語は「三国志」と変わらない。登場する人物の名前が漢字から、「オーベルシュタイン」とか「ナルサス」とカタカナに変わっただけだ。
 もちろん、三国志などの英雄譚にはなくて、田中芳樹の作品にあるものは色々と挙げることは出来る。
 例えば八十年代の日本のサブカルチャーのセンスである、などと安易に書いてしまえば、「八十年代の日本のサブカルチャーのセンス」とは一体何かと定義付けなければいけなくなってしまうからそんなことは面倒だけど。
 しかし「我が読書史(仮題)」を本気で書くのならば、それに挑戦するべきなのかもしれない。八十年以降に隆盛した、日本的カルチャーとはいったい何なのか。
 結局のところ私は、そちら側の人間なのだ。つま、「八十年代」「日本」「サブカルチャー」の。
 つまり、外国文学も外国の音楽も映画も、ネットやゲームに対するスタンスも何もかも、「八十年代」「日本」「サブカルチャー」を通して解釈しているということ? 
 句読点を打たず、最後にハテナマークを書いて、その複雑からも一旦逃げよう。




22―5)

 詩など書かない。ピアノが弾けても弾き語りはしない。読書が好きであっても、文学なるものを好きなわけではない。
 このまま成長していけば、まっとうな社会人になったかどうかはわからないけれど、子供時代の私に何かを表現したい欲望なんて欠片もなかった。
 普通に振る舞っているつもりでいるのに周囲から浮いたり、孤絶したりするなどという宿命を背負ったりもなく、それなりの数の友人たちと学生時代を過ごして、至って平穏な少年期を送っていたことと思う。
 数奇な生い立ちなんて最も程遠い言葉。文学者の自伝に描かれているような、悲しくも特別なエピソードなんてものと無縁だった。
 読み終えた書物を積み上げていくのは外界を遮断するためなんかではなく、ただの気晴らしにして退屈しのぎの結果。

 それは別に今も変わらない。「我が読書史(仮題)」の第三章に入り、そんな私も十五歳くらいの年齢になったろうか。
 永きに渡り、私は何らかの形で「三国志」に関連する作品に触れていたと思う。
 小説はもちろん、学術書とまでは呼べないがそれなりの専門書に挑戦したり、読む物がないから仕方なく三国志をネタにしたビジネス書に目を通したり。
 しかしその熱もゆっくりと冷めていく。先程も言及したのだけど、「三国志演義」に書かれていることを歴史的事実だと一切疑っていなかった私は、実はそれが明の時代を生きた羅漢中という作家の創作物であることを知り、大変な落胆を感じたことが原因だ。
 いや、それが全てで離れたわけではないのだけど、やはり動機の一つだったかもしれない。
 その絶望はしかし、私を歴史小説嫌いにはしなかったようである。少し成長した私は司馬遼太郎の歴史小説を読み始める。それも三国志趣味の延長上。

 大阪生まれで大阪在住の作家でありながら、司馬遼太郎は日本を代表する国民的作家であることは間違いない。特に男の世界、ビジネスの世界で評価されている作家であると勝手に推測する。
 しかし一方でこんな形で批判もされている。それは日本賛辞の愛国小説の一種だと。
 確かに軍国主義時代の日本を鋭い舌鋒で批判する一方、素朴な愛国的感情を満たしてくれる一節も潜んでいたりすると思うのである。
 でもそれは本当に巧みに、さりげない文章で。
 清楚で大人しく見える美女が、自分の美貌をさりげなく自慢するようなさりげなさだ。
 本当にそれはさりげないのだけど、とはいえ、確かに読み取ることが出来るはずで、司馬作品を楽しむことは、その日本賛辞に興奮することでもあるだろう。
 英雄譚に興奮するだけだった単純な少年時代は終わったかと思いきや、郷土愛、それどころか国家への愛とも言える感情を掻き立てるような作品に熱狂し始めている始末。

 だからといって、あの偉大で司馬作品を単純に否定する気は更々ない。
 むしろ小説でありながらエッセイ的でもあり、歴史批評の書でもあるというそのスタイルに、とてつもない魅力を感じていて、何歳になろうが何度だって読み返す価値のある作家だと断言したい。
 重要な歴史的事件が起こる、波乱万丈な物語が語られる。その合間に、直接的に作家が語り手として、読者に向かって語り掛けてくる。
 その事件や人物についての歴史的評価や意味を、作者が自ら解説してくれる。小説にしてエッセイでもあるというのはそういうこと。
 私はそのスタイルが好きで堪らなかった。それは今だって同じ。
 司馬作品ほど孤独に効くものがあるだろうか。このスタイルは読者をフィクションの世界に置き去りにしない。
 まるで講義を聞いているようで、常にその作家と相対しているようで。

 どれだけ誉めても褒めきれない。司馬作品を評価するためには、司馬遼太郎が日本を誉めたときの筆力が必要だ。
 とはいえ、司馬遼太郎作品のその流れの先に、「占星術探偵シリーズ」はない。根本的な世界観が違う。
 まだまだ遠い。その頃の私はただの読書好きな少年でしかない。



22―6)

 さっさと次の章の説明に入りたいのだけど、しかしその前に司馬遼太郎のことと絡めて、再び三国志の話題を少しだけ蘇らせたい。
 天才軍師としての諸葛孔明なんて存在しなかった。そんな虚構の存在を信じている者は愚かだと、少年の頃の私は歴史家に嘲笑われるのだけど、司馬遼太郎はそのとき、「いや、そうでもない」と味方をしてくれた人物なのである。
 少なくとも私はそのような錯覚を抱いた。それがあったからこそ、司馬作品を熱烈に読み漁った。
 そんなことも原因していたかもしれない。

 司馬遼太郎はこんな言い方で諸葛孔明を評価したのである。
 三国志演義の孔明の活躍がフィクションであることは確かではあるが、彼は蜀という小国の宰相でありながら、数倍以上の国力の魏と対等に渡り合い続けた。
 歴史書を読めば、ただの地方の地味な政治家に過ぎない。それどころか「正史三国志」において、「兵を率いるのは下手だった」と評されていた。
 しかし孔明が生きていた時期にだけ、蜀は存在し得たという歴史的事実がある。それは無視出来ないのではないか。
 それどころか、数倍の国力を有する相手に、孔明は何度も戦争を仕掛ける。残念ながら蜀が勝利することはなかったのだけど、敗北することもなかった。それは地方の平凡な政治家に成し得たことだろうか。司馬遼太郎はそんなことを書くのだ。こんなことは軍事的天才しか成し得なかったのではないか、と。

 そう、孔明は何度も戦争を仕掛ける。今の時代からすれば、そんな為政者が褒められるわけがない。いや、当時の蜀の民こそがその被害者だろう。
 しかしそれでも民心を失うことはなかったらしい。結局、勝つことは叶わなかったが、その死後、その存在は神格化される。それは孔明の人生に、何か人々の心を打つものがあったからに違いない。

 十代半ば、まだまだ諸葛孔明の天才幻想に囚われていたのである。「三国志演義の孔明の活躍は全てフィクションさ」と自分を納得させながらも、依然として何か不思議な感情を引き摺り続けていた。
 しかし数年後に現れた司馬遼太郎は、そうやって擁護してくれた。それを読んで、私は素直に喜んでしまったのだと思う。
 それこそが世に言われる司馬史観ではないか。いや、巷で囁かれる司馬史観とは何を意味するのか知らないのだけど。
 それが何かよくわからないが、決して資料絶対主義などではなかったことは事実だろう。解釈とか批評とか、そのようなものが優位の知性である。

 そんなこんなで、司馬作品の魅力について語りたいことはたくさんある。「我が読書史(仮題)」の三章は、この話題で充分にページが埋まるだろう。
 でも、もういい。三国志とか孔明の話題は。次は第四章だ。ここで話題は一気に変わるようだ。
 歴史小説やファンタジー作品を好んで読んでいた時期が、この辺りで一段落が着く。ようやく私は、この世には文学というジャンルが存在するという事実に気づき始めた。

 その頃、私は自分のことを読書家であると自己規定し始めたと思う。別に誰かに対してではない、自分自身に対して。
 それなのに読んでいるのはジャンル小説ばかりではないか。歴史小説、ファンタジー小説、そしてSFやミステリーなどにも手を出し始めた時期でもあっただろうか。
 いはゆる文学作品と呼ばれるのも読まなければいけない。それらを読まずして、読書好きという属性は成り立ちはしない! 
 十代半ばの頃、そんな認識に到達して、有名な古典作品に手を出し始めた。新潮文庫の古典作品を片っ端から読んでみよう、そんなことを考え出したのだ。

 岩波文庫でも良かったはずだ。しかしきっと、紐のシオリがついていたから新潮文庫を選択した。その結果、三島作品に出合うという道筋であるわけであるが、それはきっとフィクションというか、今、でっち上げた話し。



22―7)

 SFやミステリーというジャンルに親しみ、それなりに深い理解を示し始めるのことが出来たのは多分、文学にそれなり通じるようになってからだったと思うのである。
 少年時代の私の本棚に、それらのジャンルの本はほとんど並んではいなかった。「自分」が出来上がってから、つまり、ある程度大人になってから、SFやミステリーというジャンルに近づいていったと思う。
 占星術探偵というミステリーの隣接ジャンル作品を書きながら、そのような告白をすることに多少の抵抗がある。
 幼年時代からミステリーにどっぷりつかって生きてきた作家の書くミステリー作品、多くの読者はそういうのを求めているかもしれない。特にミステリーマニアたちは。
 それなのに、「僕はミステリーのマニアではない」という正直な告白は、私にとって何のメリットもないだろう。

 いずれにしろ嘘を書くわけにもいかないのだから、そこを曲げられはしないが、実際のところミステリーというジャンルは私にとってそれほど特別なものでもないだろう。
 つまり、運命的に出会った初恋相手ではなくて、適齢期に偶然出会った結婚相手というか。
 いや、確かに結婚することになったのだから、初恋の相手よりも重要な存在に違いないのだろうけど、しかし特別な最初の衝撃はなかったということだ。
 あらゆることを一通り通過したあとの出会い。
 私がもっと早い時期に作品を書いていたとしたら、きっと、ファンタジー小説か歴史小説を書いていたことであろう。それこそが古い地層、私のトランクの奥底にある感性。

 横道に逸れた。人生史はどうでもいい話題だ。もちろん読書史も人生史であるのだけど。
 しかし「我が読書史(仮題)」は「読んだこと」についての話題だけに限定したい。
 愚直なくらいストイックに、それに徹するべきであると思うのである。「書くこと」は人生史の範疇だと思う。出来るだけそれについて言及しない。

 さて、第四章の話題だ。その章は「文学」がテーマとなろう。文学というものとの出会い。純文学と呼ばれる作品を読み始めたことについて。
 少年時代の私が、どれだけの作品をきちんと最後まで読み通すことが出来たのか怪しいものであるが、何冊もの純文学作品を買い込み、期待を持ってページをめくるという習慣を持つことになったことは確か。
 古今東西の有名な古典文学作品である。日本の近代文学作品、ヨーロッパ、アメリカの作品。
 何となく気になった作品を片っ端から買い漁った。特に傾向はない。文庫本で簡単に手に入ること、それだけが共通点。
 そしてそのときの私が抱いた感想は、いはゆる純文学なんて、だいたいのところ恋愛小説と変わらないではないかということであった。
 「若きウェルテルの悩み」しかり、「ボヴァリー夫人」しかり、「嵐が丘」しかり、「赤と黒」しかり、「こころ」しかり。
 それらの例を除いても、登場人物の多くは恋をして、それに悩んでいるだけ。フランス人は特に、ドイツ人ですら、イギリス人も、そして近代以降の日本人も。
 もしかしたらロシア文学の登場人物はそれ程でもないだろうか。いや、それはきっとドストエフスキーだけが例外だ。ツルゲーネフもトルストイも恋愛小説ばかりだ。

 文学というのはこの程度のものなのか? それが最初の感想だった。
 別に文学から人生の意味など教えてもらう気はなかったのだけど、純文学には何かそのようなことが書かれているに違いないと思い込んでいたのだ。
 それなのにさっきも書いた通り、登場人物はただ恋に悩んでいるだけ。私が想像していたものとは少し違うようだぞ。



22―8)

 ある時期まで、結婚というものは親同士が勝手に決めるものであり、それを疑う者などいなかったらしい。
 もしかしたら一生涯、同じ家で過ごし、寝床を共にする相手を自分で決めることが出来なかったなんて。
 しかし人生における大決断なんてその程度のもので、そもそもが兄弟だとか、それどころか親というあの大きな存在でさえ、自分で決められたりするものではないわけである。
 そんなのは当たり前過ぎる事実だ。
 家族という同居者自体が、自分のあずかり知らないところで、生まれたときから勝手に決まっているのだから、結婚相手が勝手に決められたとして、いったい何に驚くというのか。昔の人たちがそれを何の疑問もなく受け入れたこともわかるというもの。

 しかし近代になり、自由恋愛が始まったらしい。誰と恋をしても良くて、誰と結婚をしても構わない。人類史における大異変だ。
 そんなことが始まれば、多くの人がそれに悩むことは想像出来る。
 近代に誕生したという純文学の主題が、恋愛ばかりになるのは当然のことだろうか。
 今となればそのような理解を示す余地もあるのだけど、純文学を特別な何かだと勘違いしていたあの頃の私は、その事実に大変がっかりするのであった。

 もちろんそれはあくまでいっときの誤解。「ボヴァリー夫人」や「嵐が丘」が、ただの恋愛小説ではないことは明らかであり、ただ単に若くて無知な私の理解が追い付かなかっただけ。
 古典文学なんて、恋愛を扱っているだけの小説じゃないか。そのように落胆したままであれば、私の読書の幅は狭いままだったろう。だから、その考えはすぐに改まったのだと思う。
 いや、本当のところは、近代文学作品が描く恋愛の世界を私はけっこう楽しんだに違いない。
 そういうのだって嫌いではない。何せ「我が読書史(仮題)」の主人公であるこの私も、そのような年頃であったのだから。

 とはいえ、いったい純文学の「文学性」とは何なのだろうか? そのような疑問は依然として抱き続ける。
 男と女の恋愛の一部始終を、ハラハラドキドキを交えて書く手腕が文学だというのか? 
 いや、きっと違うはずだ。純文学とそうではないジャンル的作品を分ける決定的な何かがあるはずだ。
 その何かとは? その疑問は解消されない。解消されないまま、世に言われる古典と呼ばれる文学作品を地道に読み進め、そしてあるとき、ようやくにして自分なりのある答えに行き着いた気になった。

 回答というべきなのか、それとも文学を読んだときに得られる文学ならではの快楽をようやく発見したというべきか。
 それが言葉の魅力。表現とかレトリックとか、そういう類のものであった、ということを「我が読書史(仮題)」の五章で書くことになるだろうのだけど。
 それは私の人生において、けっこう重要な出来事であると思う。「我が読書史(仮題)」という作品などを抜きにしても、人生における最大のトピックだ。
 しかしそれは徐々に形成されたものではなくて、突然、降って湧いたように芽生えた認識なので、どうにも唐突な感が否めない。
 時間の流れと関係ない。つまり、読み物としての起承転結に欠ける事件なのだ。だからその五章を面白おかしく書けそうにもないが。

 とにかく、物語ではなかった、ということである。
 上手く物語る筆力なんてものに、私の心は引き寄せられなかった。ましてやテーマの深淵さや、社会問題を扱う視点などもっての他。
 文章それ自体の魅力、私が魅了されたのはそれだ。
 純文学とそうでない小説を別つもの、それは文章それ自体にある。それが苦労して導き出した仮の回答だった。

 文章の魅力というのは、派手でわかりやすいものでもあると思う。上手く物語る力のほうが作品の奥のほうに位置していて、本当に鋭敏な感性や知性でなければ気づき得ないもの。テーマや主題も同様だろう。
 凝った表現だとか、装飾に満ちたレトリックだとかは、初心者でもわかる外連味の強い魅力ではないだろうか。
 私はまず、そのわかりやすいものに嵌ったのだ。その頃、文学の初心者の初心者であったのだから仕方がないだろう。
 しかしそれは今でも継続されている趣味でもあって、ただ単に初心者だったからいう問題でもない。
 それが私のフェティッシュな趣向。だからこそ唐突に、その趣味に目覚めてしまったわけである。

 さて、そのときに登場してくる固有名詞が三島由紀夫という名前で、もうこれで「占星術探偵シリーズ」を書く私へとつながる。それは十代半ばの出来事となろう。「我が読書史(仮題)」は第五章に突入だ。
 ということでこの第五章の話題は三島、そのレトリックの魅力云々かんぬん、などということについて書くことになるに違いない。
 三島という取っ掛かりを掴むと、私の読書範囲は大きく広がった。更に読書を愛するようにもなった。
 オスカーワイルドやジャンジュネ、プルースト、谷崎や川端。三島が言及したり、深く敬意を寄せているらしい作家を読むようになった。
 彼らも皆、三島のように派手なレトリックと巧みな表現で作品を仕上げる文体派作家たちだ。
 この頃になってようやく、「私は文学を愛する者である」という自己認定を自らに許せるようになった。
 私の読書にも深みが出てきた気配。



22―9)

 「我が読書史(仮題)」において純文学が話題になり始めた。
 しかしそのエッセイ的作品の最もメインとなるテーマについて、語る準備が整ったわけではない。先に少し触れた、「少年期と青年期の間に起きた変革」とかいうあれ、それはまだ、その五章では話題にならない。

 五章で語られる私の年齢は十代半ばに達したと思う。もっと具体的に言えば16歳か17歳くらいだろうか、
 青年期までもうあと一歩だ。実際、読書することによって体験することになったその意識変革のようなもの、それは第六章で話題となるだろう。

 このまま勢いに乗って六章について語ってもいいのだけど、しかしここで一旦、「占星術探偵シリーズ」読み返し作業に戻りたい。
 やはり、読み返し作業は今の私にとって義務。それをおざなりにするわけにはいかない。ということで、この話題はここで一区切りをつけて。

 とはいえ、何か勿体ぶっているようで感じも悪いし、勿体ぶる価値があるようなことでもないので、「我が読書史(仮題)」のメインの主題、つまり「少年期と青年期の間に起きた変革」についてだけ、さらりと先に説明してからにしよう。
 本音を言うと勿体ぶりたいというのもあるのだけど、あまりに先延ばしすると無駄な期待感を醸成してしまう。それが恐い。というわけで、その説明だ。
 とはいえ、いったいどうやって語り出すべきか。

 例えば何か文章を書き、人物や風景を描写して、物語を語るという行為に出たりすると、自分の倫理感やらも外部に筒抜けになってしまうと思うのである。
 そういう意味において、書くというのはとてつもなくリスクが伴う行為ではないだろうか。
 自分が意識していない差別意識であるとか、隠しているはずの欲望とか、無意識に依存していたり、知らずに甘えていたりする対象などが、それを読む人の前に何もかも透けて見えてしまうのである。
 自分の体臭に自分で気づくことが出来ないと同じようにして、そのような自分の無意識が、知らず知らずのうちに、文章の中に現れてしまう。

 しかし何かを書く前に、自分の倫理感を鍛えるなんて不可能で、結局のところ書くのならば、開き直って自分を明け透けにするしかない。
 私はそんなふうに覚悟を決めているつもりである。
 香水のようにふりかけて、自分の無意識の匂いを巧みに隠せる技術やコツなどが存在するようだけど、そんな防衛的な態度で読者を興奮させることが出来るだろうか。
 その人工的な倫理の香水こそ、政治的配慮、ポリティカル・コレクトネスというものに違いない。
 自分の身体にその香水を振って、差別意識やら欲望やらの匂いを紛らわせるのだ。
 だからポリティカル・コレクトネス的な色が強い作品は、倫理を扱っているというより、むしろ倫理そのものからは距離を取っていると言える。

 そのような香水が大変に重宝される時代になってきたことからもわかるように、無意識下で無邪気に暴れる、本当の自分を曝してしまうことは恐いものである。
 今の世の常識に外れた倫理を曝してしまえば、作家生命が断たれてしまうことだって起き得る。外野にいる群衆たちは粗探しに必死で、そのポジションをから引きずり降ろそうと手をこまねいているのだ。

 しかしそれでも人工的な香水に頼るわけにはいかない。それこそこの世で最も醜い行為。そんなものに頼る作家になるくらいならば、差別主義の愚か者だと後ろ指差されたほうがましである。
 と言い切れるわけなどないから、書くことの困難はいよいよ増し続けていて。

 何か作品を作ったり、自分の意見を公にする者だけが、倫理を問われるわけではない。そんなこと言うまでもないだろう。
 人を愛したり、人を育てたり、人と話したりするとき、いや、たとえ独りきりで生きるとしても、倫理というものは重要で、誰であってもそれから逃げられるわけがない。
 倫理こそが、美というべきか魅力というべきか、人を魅了する価値に通じるものだろう。

 先程、倫理観を鍛えることなど不可能だと軽く書き捨ててしまったが、それは正確なことではなくて、多分、文学や芸術、音楽と深く関わることがその倫理を育む手段ではないだろうかと思ったりもするのである。
 というわけで、「少年期と青年期の間に起きた変革」とは何か、その答えに少しずつ近づいてきているのが自分でも実感出来る。
 私の場合、それが文学だった、ということを書きたいわけだ。

 文学に深く通じているから自分は倫理的に優れた存在だなどという、いったいどれだけ恥知らずであればそのようなことを主張出来るんだかと呆れられてしまうに違いない。これはまさに、そのような主張だ。
 わかっている。そう受け取られかねないどころではない。そのようなことを正面切って書こうとしているに違いない。

 危うい文章だ。いや、しかしそれは自分のことを語っているわけではなくて文学や芸術、音楽の一般的な意義について語っていることだから、そこは取り違えないで欲しい。



22―10)

 倫理という言葉をさっきから軽々しく連呼しているが、それは何なのだろうか。
 誰もがそれを上手く定義出来るわけでもなく、人によって、文化によって、そして時代によって、いくらかの揺れを伴うに違いない。倫理的であることと正義がイコールするわけでもないだろう。
 とりあえず私が連呼している倫理とは、多様性とどう向き合うかと同義だということにしておこうか。
 多様性なんて言葉、それはもう世間で使用され尽くして、随分と手垢がついていると思うのだけど、今のところ他の言葉が思いつかないから、それで我慢する。

 少年は潔癖過ぎる。英雄主義は高潔過ぎる。少年期の私はそれなりの量を読む読書家であったらしいのだけど、しかしそれらの作品から、「多様性」などを学んだりしただろうかと疑問に思うわけだ。
 これまでに名前を挙げた作家たちを批判するわけではない。彼らや彼女たちに、そのようなことを描く力量がなかったなんて言いたいわけではない。
 しかし少年期に好んで読んでいた作品群が、そのようなものにスポットを当ててはいなかったことはきっと事実で、確かに深く読み込めばそうと言い切れないとしても、それらの多くはとにかく物語の愉快さ痛快さが優先されていた。
 愉快で痛快であることはとても重要だ。今だってそれを愛する私の趣向に変わりはない。
 しかしそれだけでは素晴らしい作品を読んだと満ち足りた気分にはなりにくくなった。そのような年齢を迎え始めたという一方の真実があり。

 少年時代が終わり、思春期に入り、そのように自分の意識が変わり始めたことと、ぽつぽつと文学作品に手を伸ばし始めたのは同時期だったのだろうか。それともどちらかが前後したのだろうか。
 いずれにしろ結論から言うと、文学の世界というのは、麻薬中毒、不貞、同性愛、癒されない傷、病んだメンタル、変態性愛、惨めな敗北、辺境のこと、境界の向こう側などが、執拗に描かれているものだと私は思うのである。
 社会の規律の外側に立ち、常識や多数派に惑わされない主体になること。それがあらゆる文学が発するメッセージの通底音ではないだろうか。

 優れた文学作品を読むとき、読者は混沌としていて、何が定かなのかわからない、居心地の悪い世界に突き落とされる。
 そこに英雄はいない。単純な正義は存在しない。たった一つの真実もない。
 複雑というよりも、自分自身が霧の中にいるから、どこに立っているのか明らかでない。地図がない。それを真上から見下ろすことが出来ない。図式が描けない。
 これが混沌だ。現実だ。純文学と呼べる作品と、ジャンル小説を別つラインはこの辺りにあるのではないだろうかと思うわけである。
 そして「少年期と青年期の間に起きた変革」というのは、それとの遭遇、混乱、理解、受け入れということになるだろう。文学を通じて、多様性という倫理と馴染むということ。

 というわけで、「我が読書史(仮題)」の後半、六章以降はそのことについて語られる。
 そんな世界と初めて対面した記念碑的作品名を上げることが出来る。ジョン・アーヴィングの「ホテル・ニューハンプシャー」だ。

 多分、そうだ。きっとこの作品だったと思う。そう言い切れるわけではないが、とにかく強い印象が残っている。
 そんな不確かな記憶の中、あえて思い切って「これだ」と決めつけて、自分の歴史を語ってみる試みが、「我が読書史(仮題)」という企画の趣旨なのだから、曖昧であることを恐れたりはしない。

 ところで「ホテル・ニューハンプシャー」を初めて読んだとき、この作品に何の面白さも感じなかった。
 何だ、これは? いったい何が描かれているのだ? どうしてこのようなことが描かれているのだろうか? そのような感想だけ。全ての感想がネガティブだった。
 しかし何か引っかかるものがあったことは確かだったと思う。
 未知の何かと遭遇して、それを軽々と受け取ったり出来るわけがない。その新しさを認識することだって不可能だろう。
 自分にとって未知なるものであるというのはそういうことを意味するはずだ。
 わからない、面白くない、理解不能、それが最初の印象に決まっている。だからまさに新しいものと遭遇した瞬間だったと思うのだけど。

 しかしこのときの私は愚かにも、なぜこんなものが評価されているのかという苛立ちのほうが強くて、自分の読解力の無さを責めるより、作品の不出来を責めたくもなった。
 そして馴染みの世界にさっさと戻りたくなり、実際に戻る。安心感を得るためにだ。つまり、手頃な歴史小説など読んで安心する。

 しかしこの頃の私はまだまだひどく若かったわけである。特に何の努力をしなくても、勝手に成長してしまうほどの若さだ。思春期である。
 それに、自分が何もわかってないことだけはわかっていた。何となく新しさを求めてもいた。
 若いわけであるから、それから何度でもその理解不可能な未知なるものと再遭遇を果たす機会があったということ。
 「ホテル・ニューハンプシャー」を再読することはなくても、「ホテル・ニューハンプシャー」的な作品と何度も巡り合ってしまう。そうやって少しずつ、何かをわかり始めたに違いない。


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