16、初仕事と現状

文字数 3,440文字

 プリントに取り掛かって、約四時間が過ぎた。目覚めたのは昼過ぎだったので、今は十五時半過ぎくらいだろうか。この部屋に時計は無いが、雫が一時間に一回様子を見に行くと言って四回来たので、四時間経ったと考えたのだ。

 プリントの内容は、今までの授業内容半分と、家族や水園家(みずぞのけ)のこと半分といった割合だった。
 水園家に居る花家(はないえ)名を全て書きなさいだとか、五大家と、それぞれの家に属する有名花家を書きなさいとか、五大家における蕾花能力(らいかのうりょく)の主な種類を書きなさいだとか、五大家内での力の強弱、五大家階級の順位など……基礎中の基礎という、常識的な問題ばかりだった。復習なんだろうけど、半分以上答えられなかったのは別として、家族についての問題集が謎だった。

 字体からして母上が書いたことは間違いない。しかし、時々描いてある、熊と狐と犬が混ざったような動物? のイラストが気になった。ノートに描いてあったのと、同じ生物なのは分かる……隣に描かれていた、青帆(はるほ)の猫っぽいヤツに少し似ているので、恐らく……猫だ。

 家族についての問題は、結構斬新(ざんしん)だった。水園凪沙(みずぞのなぎさ)について知っていることを全て書きなさい。水園沙依(みずぞのさより)について知っていることを全て書きなさい。水園一水(みずのいっすい)について知っていることを全て書きなさい、の三つだけだったのだ。

 手のひら四つ分の白紙にただ一文質問が書いてあり、僕は、その半分も埋めることが出来なかった。生まれてからの十二年間を一緒に過ごしていたはずなのに、家族のことを案外何も知らなかったのだと思い知った。

「終わった……分かんない問題ばっかりだったよ……プリントはもう見たくない」

「お疲れ様でした。意外と、ささっと終わらせましたね」

 項垂(うなだ)れている僕の側に入れ直した紅茶を置き、解答用紙の束をパラパラとめくって中身を確認する雫に、ぽそりと付け足す。

「……空欄ばっかりだけどね」

「ぐっ……解答用紙、探してきましたよ。水様、奥方様……上様の直筆ですね……いつ書いたんでしょう?」

 笑いを噛み殺したような表情で唸った雫を、チラリと睨み返し、解答用紙の束を受け取った。

「ありがと……うわ凄い……細かい」

 年齢から始まり、誕生日、好きなもの、性格、長所短所、その他など……が、父上と母上兄上の分、書いてあった。地味に似ているデフォルメされた似顔絵は、母上が描いたのだろうか? 
 え、待って……父上って、甘い物が好きなの? 食べてる時はこんな感じ! って……めっちゃ笑顔じゃん……周りにお花咲いてるし……あ、ツッコミが書いてある……父上の字だ、「こんな顔は、していない」って……。それから母上の誕生日、年齢に付いている(仮)は何だろう。
 兄上の好きなものは……「流水」うん、知ってた。これは兄上が書いたみたいだ。性格、長所短所は、父上と母上が書いたようだ。性格……外柔内剛(がいじゅうないごう)……なるほど。
 おまけで、三人それぞれの従者についても書いてある。父上が描いた水雫(みしず)さんは、とても上手だった。兄上の描いた雫は眼鏡を掛けておらず、もはや別人レベルだった……えぇ……雫ってばイケメン。

「今、十五時半過ぎで……この後、領主の仕事が有るんですけど……やってみます? 無理なようでしたら代わりに私が──」

「やる! やるよ今すぐに。あ、その前に雫、眼鏡外してみてよ!」

「は? 嫌ですけど? ……何考えてるんですか、ニヤニヤして……気持ち悪いですね」

 食い気味に了承(りょうしょう)した僕の提案を、バッサリ切り捨てる雫の毒舌に少々傷付きつつ、めげずにお願いしてみる。

「いや、兄上が描いた雫、眼鏡かけてなくて、かっこよかったから……見てみたいな〜と」

「……美化されているだけだと思いますよ。ちなみにどれですか?」

「これだよ、イケメンだよね本当、兄上って絵も上手だったんだね、知らなかった」

 雫に例の解答用紙を差し出して褒める僕から、雫はその解答用紙を奪い取り、すぐさま懐にしまった。

「え、な、なんで取るの!」

「教育に悪かったみたいなので」

 澄まし顔で、何事も無かったかのように振る舞う雫に愚痴(ぐち)を言う。

「ええ〜酷い……はぁ、もう一回くらい眺めたかった……で、仕事の内容は?」

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 僕は今、雨水家(うすいけ)にお邪魔している。家長の雨優さんの様子を見に行くのが、今日の一個目の仕事だったのだ。

「どうも、お邪魔します。お加減は如何(いかが)ですか?」

流水様(ながみさま)っ?! ……失礼致しました。お見苦しい姿で申し訳ありません……(わたくし)のような者のために、わざわざ足を運んで下さり、誠に感謝致します」

 雨水家家長(うすいけかちょう)雨優(うゆう)さんは、慌てて挨拶を返してきた。少し起き上がらせてある体は、大量の枕にもたれており、顔色も元気そうとは言えない様子だ。前髪を分けていて、見え難かった顔や表情が、よく見えた。僕の思っていることが伝わってしまったのか、雨優(うゆう)さんは慌てて前髪を戻した。

「ご、ごめんなさいっ……怖いですよね……私の眼……なるべく下ろしているんですが、目を隠すためとはいえ、時々邪魔なんです。気が抜けると、無意識に分けてしまっていて……」

 目力で人を殺せそう……と迄は行かないが、中々に鋭い目つきだった。自分のそんな三白眼(さんぱくがん)が、相当なコンプレックスなのだろう、沈んだ表情で俯いた雨優さんを、慌ててフォローする。

「大丈夫ですよ。顔が見えるの珍しくて、つい見入ってしまっただけなので、お気になさらず。それに雨優さん、綺麗な瞳なんですから隠すのはもったいないですよ」

「そんなこと……ありません。雨水家の者は皆、同じ色の瞳です。私のような目つきがきつい者は──」

「かっこいいと、思います! ……前髪、短い方が」

 会話に割って入って来た雫を振り返ると、何故か耳を赤く染め、目を伏せていた。驚いたような、戸惑っているような声を上げた雨優さんは、やがて微笑んだ。

「え……? ……ありがとうございます。青雫家の方は、お優しいんですね……水雫(みしず)さんも、私の目を褒めてくれました。嬉しいです……あっ、そうでした。雫さんに、コレを渡さなければいけなかったんでした、どうぞ」

 差し出されたのは片眼鏡(モノクル)だった。確か、雫の父上──水雫さんが着けていたものだ。

「父さんの……いえ、私は要りません。雨優(うゆう)さんにあげますよ」

「……本当にいいの? 雫──」

 表情の曇った雫が気になり、再確認すると大声で否定された。

「要りません! ……私には、必要有りません……自分の眼鏡があるので」

 落ち着かないといったように、何度も眼鏡の位置を調整する雫を横目で見る雨優さんは、眼鏡を大切そうに抱いた。

「そうですか……では、お言葉に甘えて……頂きますね。大切にします」

「……そうだ雨優さん、それ、着けてみたら?」

 暗い雰囲気に耐えられなくなりそうだったので、なんとなく話題を振った。すると雨優さんは、良いんですか? と眼を輝かせて、嬉々とした手つきで片眼鏡を着けた。
 意外と似合っていたので、そのことを伝えると、雨優さんは照れ臭そうに首を掻いた。そろそろ別の仕事に行かなければいけないのでと、別れを告げる。

「それじゃあ、これからは私と一緒に家を支えようね。よろしくお願いします」

「はい、ご期待に添えるように、全力で尽くさせて頂きます」

 凛々しく述べた雨優(うゆう)さんは、別れ際に雫へ何かを伝えたようだった。

 次の仕事は、露草家(つゆくさけ)の家長、(れい)の様子を見に行くことだった。露草家は、雨水家から十分程歩いた先にある丘付近の青い屋根の家だ。家の周りには植木が点在しており、庭には無数の露草(つゆくさ)が生えている。こじんまりとした池もあるが、子供一人が入ったら窮屈(きゅうくつ)な広さだ。
 この池は元々、今の十倍位広かったのだが、澪の子供……露祈(つゆき)が落ちたとかで、埋め立てて小さくしたそうだ。池の周りには、ここぞと言わんばかりに露草が密集して生えている。

 いつの間にか池に近寄っていて、池の水面に映る露草を眺めていた。

「……置いて行きますよ?」

 と、雫が先に家に入って行ってしまったので、慌てて追いかける。急いで立ち上がったせいで、腹と脚の傷が開いた事と、マントに露草色が咲いたのは、言うまでも無い。

 澪の奥さん……未綾(みあや)さんが、澪の寝室まで案内してくれた。前に会った時と全然違う暗い雰囲気に違和感を覚え、嫌な予感にざわつく胸を抑えた。
 案内された寝室で澪に駆け寄ると、案の定、澪の顔色は悪かった。そして、今朝までの明るい笑顔の面影も無く……澪は、死人の様に静かに横たわっていたのだった。
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