22、私を笑う僕

文字数 5,837文字

 あの後のことは、よく覚えていない。緑木家当主のことを、緑木の糞爺(くそじじい)と呼ぼうと心に決めたことだけは、ハッキリと覚えているが。

 糞爺……散々なことを言いやがって……! 血筋が全てだとか、深雪が美人じゃ無いとか、私が子供だとか。私のことは、何とでも言えばいい。けど、水園家(みずぞのけ)の家族を(けな)したことだけは、絶対に許さない。父上や兄上、母上までもを馬鹿にしやがって! 蕾花が切れていなかったら、襲いかかっていた所だ。

 許せない許さない、許さない……でも、何より許せないのは自分だ。あれだけ言われて、何も言い返せなかった。自分より上の奴に、潰されるのが怖かったからだ。弱虫で意気地無しな自分が、一番許せない……本当に、もう……。

「ただいま……」

 か細い声で帰宅報告した私に、雫が提案してくる。

「お帰りなさい水様……ちょと休んだらどうです?」

 顔色でも悪いのだろう。雫は眉間にしわを寄せ、片付けていた書類をまとめ、私の頰に手を伸ばしてきた。私は、それを振りはたき、フラフラと雫から離れる。

「いや、いい、(れい)のとこ……露草家(つゆくさけ)に行ってくる。昨日の話し合い、途中だったからな……」

「私もお供しま――」

「いや、一人でいい」

 雫をおいて、私は水鏡(すいきょう)の間へ向かった。一人になりたかったのだ。水鏡の間は落ち着く……水鏡の光は見ていて心が安らぐし、連絡手段である為か、皆んなと繋がっている気がするのだ。さっきまで孤独(こどく)を望んでいたのに、心の底では一人は嫌だと思っている自分がいることが憎かった。認めたくなくて、水鏡の間から立去ろうと呟く。

「……行かなきゃ、(れい)達の所に」

 立ち上がった途端(とたん)、足を踏み外した。水に体が浸かった感覚がしたと思ったら、空が見えた。その空の中に幼い澪がおり、黒い髪に黒い瞳で此方(こちら)を覗き込むようにして、何かを言っている。

「はぁ……深雪と流水(ながみ)にひどいこと言っちゃった。深雪は僕の言うこと信じてくれないし……サイテーだーって、絶交だーって言うし……流水は止めに入って来るけど、僕らが言い合いしてるうちに結局だまっちゃうし。はぁ……深雪のこと、女男(おんなおとこ)だなんて思ってないのに、ひどいよ深雪は」

 幼い澪の愚痴(ぐち)を聴いている内に、思い出した。私達幼馴染三人は、喧嘩(けんか)をした事があった。あれは、深雪の容姿が女の子みたいだと揶揄(からか)われた時、私が深雪を(かば)った後のことだった。彼らは、澪がそう言っていたから、自分らも言ったのだと主張したのだ。当然深雪は、そんな訳がないと澪に確認したのだが、罪を被せられてテンパっていた澪は、変に否定をして口論になったのだ。澪は、その後領外へ家出をし、青水河(せいすいが)(おぼ)れているところを助けられたのだ。髪や眼の色が紺色に変わったのも、その時だ。

 そういえば、そんなこともあったなぁ……と、しみじみとした気持ちで澪の愚痴を聞いた。すると突然、澪が手を突っ込んだようで、視界はグラグラと揺れてボヤけた。

「……でも、悪いのは全部僕なのに……深雪にきかれた時、僕がムキになってなければ……深雪も怒ったりしなかったはずだよね……僕がっ、僕が全部悪いのに、流水にもあんなことっ……二人は、由緒(ゆいしょ)ある家の生まれだから、本当は、僕なんかと話すべきじゃないのに、一緒に遊んでくれて……そうだよね、上の人に失礼なことをした時は、死んで()びろって、父さんたちがいつも言ってるもんね、だから……死ななきゃ……」

 そう言って澪は、くぐもった水音と共に、きつく目をつむって落ちて来た。空の青と、光る水面と、水の泡が澪を取り巻いている。ゆっくりと私の方へ落ちて来る澪は、泡を吐き出して、ブクブクと苦しそうな音を出すので、私は思わず手を伸ばした。

 水面を破る激しい音と共に、花が風に擦れる静かな音が聴こえた。驚いて辺りを見回すと、水滴を被った沢山の露草達が私を囲っていた。

「ここは……澪の……家?」

「流水……? なんで、池に浸かってんの……?」

 名前を呼ばれ、(ほう)けながらも確認する。

「澪……ここ、澪の家だよね?」

 池から上がり、露草を掻き分け澪の元へ歩むと、不思議な事に服も髪も濡れていない。理解の追いついていない頭で、何とか澪との会話を続ける。

「ごめん、いきなり来て……昨日の続きを聴きに来たんだ。一応仕事……」

「そっか……僕の蕾花(らいか)、霜が付いたんだ。蕾花能力は使えるよ、新しい技も自然に使えるようになった。不思議だよね……淡雪(あわゆき)ちゃんと薄雪(うすゆき)ちゃんを取り込んじゃったんだよ? 霜が付いたくらいじゃ、死なないんだね。僕は……深雪の大事な人を、奪ったのに……ごめん、流水の家族も……僕が、全部僕が原因だね……」

 前髪の両サイドを、いつもと違って三つ編みにしていない澪は、サイドの長い前髪を耳に掛けていた。読んでいた本を閉じて暗い表情で語る澪は、何か言って引き止めないと、さっき見た昔の時のように、一人で消えてしまいそうだった。

 澪は三児の(つや)ちゃんを避けている。周りの人から奪ってばかりなのに、自分の元には新しい大切なものが増えているという事実の権化(ごんげ)が艶ちゃん……というように感じてしまい、自分の子供で大切なものの筈なのに、傷つけて、突き離して、それを否定しようとしているのだ。

 そんな澪と艶ちゃんは、見ていて居た堪れない。なるべく艶ちゃんを傷付けないように、澪は自分の部屋に(こも)って居る。未綾(みあや)さんも澪に、艶ちゃんを近づけないようにしているようで、澪は子供達の楽しそうな笑い声を一人、暗い部屋の中で、自分を責めながら聞いている……澪が病んでしまった原因は、幸せになれなかった原因は、私だ。そう思うだけで、自分を殺したくなるほど憎い。

「澪、気にしちゃ駄目だ。皆んなで分け合って生きてくべきだ。誰が悪いとか、誰のせいだとか関係ない。大丈夫。皆んな私が護る。水園家の民は、皆んな家族だ。罪も責任も……誰も責めたりしない! 澪は悪くない、澪を責める奴は、それが澪自身だったとしても、私が許さないから! だから澪は、幸せになればいい……! それが一番……」

 とにかく何か言わないと、澪を苦しめているものを少しでも打ち払おうと、滅茶苦茶(めちゃくちゃ)なことを必死になって言った。しかし、この言葉は全て、自分自身が責任から逃れる為に言い聞かせているような気がしてしまい、澪を元気づけるための物が、自分を楽にする為の物な気がして、顔が強張(こわば)った。

「あはっ……ありがとう、流水……幸せになるよ、なってもいいんだよね……わかった、じゃあ、また今度ね……」

 澪は力無く笑って、部屋の奥へと消えて行った。私と同じ自責の念と、罪の気持ちに(さいな)まれている澪なら、私の励ましの言葉を聴いて、私と同じ気持ちになったに違いない。自分で思っているのと他人に言われるのとでは、殺傷能力が桁違(けたちが)いになる……その事を一番よく知っている筈の私は、解っていながら、澪に酷なことをしてしまったのだ。
 閉ざされた窓の前で立ち尽くしていると、玄関に人影が見えた。それは、こちらに気がついたのか、私の名前を呼んだ。

「流水? 何してるの? こっちへおいでよ、丁度帰るところだったから、途中まで一緒に──なにかあったの?」

 私が褒めた髪形のままの深雪は、変わらない微笑みを私に向けた。しかし、私の様子がおかしかったのか、深雪の表情が途端(とたん)(けわ)しくなった。

「深雪……僕っ、違っ……私、間違えた……」

 何も考えずに、深雪の胸に飛び込んだ私は、深雪に強くしがみついた。

「流水、一旦落ち着こう? 場所が悪いし……丘に行こうか」

 深雪は、私を落ち着かせようとするも、方法が分からないといったように両手を漂わせた。数秒後、深雪は少し戸惑いながらも私を抱き上げ、丘まで運んだ。私は天辺に設置されているベンチに座らされ、深雪は私の隣に腰を下ろした。
 私が不安な思いを抱えていることを、深雪は知っているかのように、ずっと手を握ってくれている。深雪の手は、雪や氷の様に冷え切っており、冷たい。
 物理的な温もりは感じないが、こうしてくれる心の温もりに(ほだ)されて、スルスルと吐いてしまう。

「深雪……私は、駄目な奴なんだ。どうしようもないクズで、弱虫で、臆病で……! なのに! 大切なものを護りたいだとか、絶対に護るだとか、無責任なことばかり考えて! 何の力も根拠も無いのに……絶対とか、大丈夫とか言って! もう嫌なんだ……失うのは……(こぼ)れ落ちていくのを、ただ見ているだけなんてのは! そう思って、やってきたはずなのに……またっ……失敗した。淡雪も薄雪も、このまえだって、護れなかったんだよ! 守れない、救えたはずなのにっ……私は、自分のことがよく分からない……自分の正義が、正しいのか……わからないんだ……このままだと、澪まで居なくなっちゃうんだ……どうしたらいい……? もう、全部……」

 背負いきれないよ。

「流水、緑木家の爺に、なんか言われたの? あんな奴の言葉気にしなくていいよ、流水は、今のままでいいんだ。この道は、間違ってなんかいない。私も、澪も居る。まだ居るんだから、勝手に一人になった気にならないでよ」

 深雪の、怒りと悲しみが混じったような表情に、正気を取り戻した。これ以上、一緒に居てはいけない……私は……

「深雪……ごめん、何でもないよ。じゃあね、また今度──」

 深雪の手から逃げ出し、立ち去ろうと背を向けた。すると深雪は、珍しく(がら)じゃない声を上げ、私を引き止めた。

「待って! ……流水は、凄い頑張ってるよ、流水は強いよ、誰でも護ることができるよ……っあぁあもう、私は流水のこと一人にしないから! 私が、ずっと側に居るから! だからっ……!」

 深雪の言葉は、私の心を(えぐ)った。抉れた心の隙間から僕が()い出て、笑いながら振り向き、深雪に言おうとする。

「じゃあ、一緒に……違う、駄目だ……」

 一緒に死のうよ。違う、巻き込みたくない。一人は恐いんだ。ずっと一緒に居たいんだ。二人で死ぬなら怖くない。駄目だ……深雪は、そんなことを望んで言ったわけじゃない筈だ……。もう辞めちゃいたい、全部、投げ出して、一人で……また逃げようよ。今度は、深雪が一緒に居てくれるって、じゃあ怖くないね。深雪と──

 (ふさ)がれ、止まれ、やめろ……! これ以上深雪に何も吐き出すな! 私は必死になって、僕を殺しに掛かった。しかし僕は、そんな私を易々(やすやす)と振り解き、深雪に告げた。心の底で、ずっと願っていた……あの願いを。

「深雪……お願いがあるんだ……僕は、やり直したい……初めに戻って居なくなりたいんだ。僕さえ居なければ、皆んな幸せになる……から、殺して欲しいな……僕の存在を、無かったことにするんだ。そうすればっ、きっと……」

 楽になれる。

 僕の言葉を聴いた深雪は、絶句して腰を浮かせた。しかし、また腰を下ろすと、半分の前髪を方手で掻き上げた。

「……なが……わかった。わかったよ……約束する。流水が、壊れる時は……私が終焉(しゅうえん)を持っていく」

 絞り出されたその声に、僕は安堵した。

「ありがとう、深雪。ごめん、またね……」

 私は逃げるように家へ向かった。心なんてものは、僕と私で傷だらけになっていた。狂いそうな精神と自我(じが)を、自分の首に繋ぎ止める。閉めて締めて……苦しいままで居ないと、僕が暴れ出すから。

 消え切らない、消し切れない僕が、何処(どこ)までも付き(まと)って追いかけて来る。私は足を速め、徐々にスピードを上げて、必死になって走った。
 ついてくんな! お前はもう、私が殺した筈なんだ! 僕が、僕が私を赦さない……? 分からない、判らない、解らない! 一体どうしたいって言うんだ? どうするのが正解なんだ? 何がしたいのか、何をすれば良いのか、わからないんだ……出て来んなら教えてくれよ! …………どうせ、僕だって何もわかってないに決まってる……。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 自室に戻った私のもとに、雫がやって来た。

「水様? こんな所にいたんですか? 澪さんのところには、もう行ったんです?」

「あぁ……行って来た。用事は済ませてきた……なんだ、仕事か?」

「いえ、私がやっておきましたよ。水様の負担が大きかったので、報告書の記入内容を検討し直しまして、各家に新しい書き方を教えたので、割と書類の量減ったんですよ〜? あ、一つ重要なお知らせが……緑木家から、また召喚状が来たんです。あと、お礼の手紙もあります……どうぞ」

 渡された緑の封筒を開けると、薄緑色の便箋が入っていた。便箋を開き、目を通す。形式のない、親しい仲の相手に送るような手紙だった。

「スイ、今日はよく来た。本をくれて助かったよ。あれには、とっても重要なことが書いてあって、ずっと探していたんだ。まあ、君の知識じゃ読めないと思うけどね。また今度来るといい、次は契約のことについて話そう。君のところの子供が欲しいんだ。くれたら、もう意地悪をしない。君の領地を大樹で護ってやる。もう、爆弾を投げたりもしない。賢い返事を期待しているよ。」

「水様……どんまい……って、えっ」

 私は、無言で手紙を破り捨てた。その行動に驚いた雫へ、溜息混じりの悪態を吐く。

「手紙ぐらい、捨ててもいいだろ?」

「え、あ……はあ。そうですかね?」

「今日は、もう休む。明後日だったな……あー仕事は、ちゃんと明日からやる」

 切り離すような言い方をして、私は寝室に逃げた。

「はい。了解しました……お休みなさい」

 雫の挨拶をドアの内側で聴いて、ズリズリと座り込んだ。ぼうっとしている内に手紙の内容を思い出し、腹が立ってきた。緑木の糞爺は、うざ過ぎる……胸糞悪い事ばかりを並べる特技でもあるんじゃ無いか? あいつ……次会ったら、絶対殺……したくなるな……。

 ふと思う。今のは、どっちの気持ちだろう、僕か? 私か? ……どっちもそう思っているのか? もう、わからない……生まれ変わる事なんて出来なかったのだから。いくら私で覆い隠そうと、本物の流水は……僕は這い出で来る。嫌い嫌い、嫌いだ……僕なんか大っ嫌いだ。変われない僕は、私になれない。

「父上、母上兄上……私は、頑張れていますか? これで良いのでしょうか? 私は強くなれません……弱いままで、誰も護れていません……口ばかりで、深雪も澪も傷つけました。それでも彼らは私のことを責めたりしないんですよ……ははっ……何故なんでしょうかね? 私には……僕には理解できません……誰か、たす……鳥に、なりたい……な……」
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