第10話 温厚と鬼②

文字数 1,325文字

「来たんですね真木さん」

寒空の月光よりも眩しい花街。浮き足立つような空気と喧騒の一角には重苦しい空気が漂っていた。
「佐々木道明、貴様をスパイ容疑で拘束する」
穏やかな顔で煙管を燻らせる男の顔は「あぁバレましたか」と余裕か諦めかもわからない表情をしていた。
「なぜ情報を流した?」
「何故だかわかりますか?」
そう言うと男は煙管を盆に置き秀人に正対した。
「貴方を貶めようと思って」


「これでバレずに北の国が攻めて来れば帝国にとっては一大事。全部貴方の責任になるでしょう?そんな状況で情報を流したのが貴方だと流布すれば貴方の信頼は一気に失墜する」
「そんな時に信じてくれるのは隣にいる男くらいですよ大将?」

「俺を貶めるために国を危険晒したのかお前は」
努めて冷静を装っても語気の荒さを隠しきれない。
「国なんてどうだっていいのです。全ては貴方が、貴方さえいなければ良かった」
「なんだと?」

「私がどんなふうに生きてきたか、貴方はわかりますか?佐々木家の長男に生まれて、いつだって貴方と比べられて生きてきた。どれだけ努力しても貴方には敵わない。何をやっても誉められない。『真木秀人はもっとやる』と言われ続けた。貴方は元々の家柄に加えて最年少で大将になれるだけの力と人望があった。私には父から譲られたこの地位があるだけ。他には何もない」
「そんなこと俺が知ったことではない。私的な感情を公に用いるな」

「貴方に痛い目を見させるのにはこれしかなかったんです」
「学も力も地位も及ばない。目の上のたんこぶの貴方は私の気も知らないで激励をしてくる。手柄を上げたら誉めて、私の怪我にも気づいて、気にかけて、私が欲しかったものを与えてくる……。私が今まで欲しかったものを貴方が、憎らしい貴方が全部!」
「貴方さえいなければ私はもっと成功した。貴方さえいなければ……、貴方さえいなければ……こんなにも心乱されることはなかった……」

男の激白に2人は沈黙するしかなかった。男から出る生身の言葉は痛々しいまでに鮮やかで様々な感情がないまぜになって2人に飛びかかった。沈黙を破ったのは項垂れる男。先ほどまでの勢いはなく絞り出すような声で言い放つ。
「沖津さんも可哀想ですね。真木さんに囚われて。もう真木さん無しには生きてはいけないんでしょう?」
「帝にも神にも愛されたのか、それともその容姿と体を売ってのしあがったのか、みんな“真木”に狂わされる」
「息子さんがいたんですってね?私が補佐官なら色々と教えて差し上げたのに」
男が言い終わらないうちに秀人の右側から拳が飛ぶ。
その場で驚いているのは秀人だけだった。

「それ以上この方と真木のお家を侮辱するのは許しません」
左頬を殴られた男は後ろの障子に頭をぶつけていた。その表情は愉快そうだった。
「この男を拘束して連れて行きなさい」

沖津の指示にすぐさま部屋の前に控えていた特務隊員が行動を起こす。
たちまちに男は両腕を掴まれ手錠をかけられていた。


去り際に男が沖津に声をかける
「帝が、国がなんだとお綺麗なことを言いますけど、結局貴方が守りたいのは真木さんでしょう?」

そう言い捨て両脇を特務隊員に挟まれて花街を去っていく男。
その姿を2人は痛いくらいに眩しい室内を背に見送った。
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