第二十四話
文字数 4,045文字
「こ、ここって――」
疲労困憊状態にあった礼安は、力なく首を上げると、そこにあったのは礼安に最高の服を見繕ってくれた、ベテラン店員綾部の家であった。
何か物音がした、そう感じ取った院は目を丸くする。礼安にとって世話になった綾部は、玄関から外に出ると、そこには接客したあの少女の姿を確認。居ても立ってもいられなかった綾部一家は、二人を家にかくまったのだ。
多少体力が余っていた院が、ことの事情を綾部一家に全て話した。たとえ東京に英雄学園があったとしても、家の前でへばっていた英雄の卵のことは、そう簡単に現実のこととしては受け入れがたいだろう、と考えた結果である。
礼安の接客を行った家の主、綾部章大≪アヤベ ショウタ≫を含む家族全員が、どこか別世界で起きていることのように聞いていたものの、彼の奥さんから始まり姉妹二人、それら全員が嘘だとは思えなかったのだ。
「――何か、この埼玉に渦巻く陰謀など……都市伝説のような範囲で構いませんので、お教え願えませんか。我々は……正直門外漢なもので」
それぞれが顔を見合わせながらも、章大は家族を代表して礼安たちと向き合った。
「――この話については、正直根深いもの……あの数年前に突如として現れた『教会』の連中が起こしたことが……この今の埼玉に渦巻く闇の全てです」
事の始まりは、数年前。礼安が母親を喪う少し前の頃まで遡る。
原初の英雄たる存在がいまだ現役で存在したころ、突如として新興宗教『教会』がこの埼玉の地に数多く存在する支部の一つを置いた。
最初、埼玉の人たちは『教会』を怖がっていた。宗教がらみの事件が世界各地であった中、その宗教と一切の関係性がない新興宗教であったが、皆恐怖心を抱いていたのだ。また妙な事件が起きてしまうのではないか、混乱が巻き起こるのではないか、危機感を抱いていたのだ。
しかし、埼玉支部が拓いた事業と言うものは、手広いものであった。一からのスタートで皆の心を掌握する、と言うよりは実に柔和な姿勢のままであった。
次第にあらゆる事業が伸び始めてきた中、ある日を境に金融業一筋路線へと舵を切った。最初は信用金庫の形として、次第に事業が成長していった結果現在の銀行の形へ。世間の英雄への熱が上昇していく中で、都市部に流出していく若年層を除いた社会人の層へターゲットを切り替えたのだ。
シャッター街が目立っていた商店街が、次第に盛り上がりを見せ、空き家やスラムが目立つ中県と連携した区画整理によって、より住みよい街へ進化していったのだ。
しかし、その区画整理から問題が生じ始めたのだ。立ち退き、もしくは整理に応じなかった人間のことを、裏家業の人間を雇って失業、破産まで追い込んでいったのだ。しかも、この騒動に関してはトカゲのしっぽ切りのように裏の人間を切り捨て「我関せず」を貫いたのだ。少しでも現行体制に突っかかる者は、容赦なく社会的な死を与えたのだ。
それによりスラムエリアが出来上がった。失業者や家を失った人々が、いずれ埼玉支部に一杯食わせるべく、虎視眈々とその日を待ちわびた。しかしすでに埼玉支部は埼玉県内で莫大な権力を有しており、生半可な情報戦は易々とひねりつぶされる。次第にスラムの人間には鬱憤が溜まっていったのだ。
明確に甘い汁を吸える、もしくは保証が手厚い層である、埼玉に残った高年齢層は埼玉支部を全面支持、次第に危険思想を持つスラムエリアの完全排除思想を持つようになり、埼玉支部の肩を持つようになった。
多数の賛同が得られた埼玉支部は『漂白≪ブリーチ≫』と称し、かの有名な『ホロコースト事件』を起こした。無論、実行犯は裏家業の人間ばかり。自身らは一切手を汚さない徹底ぶりであった。そこで誘拐だの虐殺だの、スラム街を解体するために徹底排除していった結果、スラムエリアは完全崩壊。そこに存在した埼玉開放を謳うレジスタンスも瓦解した。
より住みよい街となった埼玉へと成長させた埼玉支部は、埼玉県内の社会人層からカルトじみた人気を得ることとなった。融資や投資なども手広く行った結果、今や埼玉の事業の九割が埼玉支部の手中にある、と言っても過言ではないのだ。
しかし、例外な場所が現在の埼玉に一つだけ存在する。それが、礼安とエヴァの向かいショッピングを大いに楽しんだ、巨大なショッピングモールであった。
最初から、目の上のたんこぶのような厄介さを秘めていた複合施設なため、埼玉支部が行ったことはそのモールの買収、私有化であった。しかし、このことが表沙汰になれば地道に積み上げてきた信用を失う。そのリスクを考えた結果、第三者を利用してショッピングモールの信頼度を地に落とし、施設として株を落とすしかないと考え、多くの行動を起こした。
しかし、その埼玉支部が指揮する妨害は幾度もふいになる。
そのショッピングモールが出来た経緯は、綾部らを含む埼玉支部に疑念が湧いた社会人層、東京に進出しあらゆるノウハウを吸収し、成長して帰ってきた若年層が築き上げたもの。金だけでは応じない、強固な意志を持った人間の集まりであったために、埼玉支部は次第に苛立ちを覚えるようになっていった。
そして現在。何度も嫌がらせされようとも、皆で肩を組みあいながら複合施設として成長を続ける、革新派兼穏健派であるショッピングモールサイドと、高年齢層を多く抱えた保守派兼強硬派ともいえる埼玉支部の二大勢力となっている。
金か、愛か。それが現在の埼玉に渦巻く全てであった。
「――以上が、革新派の一人である私が話せる全てです」
手当てを受けた二人は、その埼玉支部のこれまでの動向を聞き、礼安はこの埼玉全土を救うべく決心、しかし院はほんの少し迷いが生じていた。
いまだ、疲労の残る礼安であったが、ふらつきながらも立ち上がる。
「礼安、無理は禁物でしてよ」
「でも……戦わなきゃ。自分たちの利のために、犠牲になっていい人なんて一人もいない。身勝手な理由で殺されたスラムの人に……申し訳が立たないよ」
しかし、院はどうも思い悩んでいた。
「――でも、もしここで埼玉支部が我々の手によって崩壊したら……あの商店街で和気あいあいとしていた、高年齢層の方々はどうなるのでしょう」
その一言で、礼安の足は止まってしまった。
そう、簡単に事が終わらない理由は、埼玉支部を何も考えず崩壊させたら、商店街への融資が打ち切られる、とのこと。現存する商店街の中でも、あのシャッター一つ降りていない盛り上がり方をしている場所はそうそうない。そしてもし融資がなくなったら、それによって失業する者も自ずと生まれてしまう。
いまさら、埼玉の外に出て、新天地で開業するのも厳しいものである。資金面もそうだが、体力面でも問題が生じる。
「――これは、思ったよりも闇が深いんですわ。どちらかを排他すれば、決定的に割を食ってしまう存在がいるのは明確。礼安が言った『自分たちの利のために犠牲になる人』が、確実に生まれてしまうんですのよ」
しかし、そう語る院も、犠牲となったスラムの人間を見捨てたくはなかった。だからこそ、どうしようも動けなかったのだ。体が言うことを聞かず、心の中に靄ばかりが増えていく。
「――――確かに、どちらかが犠牲になることは確実です。でも……あの商店街の人間たちはその犠牲を見て見ぬふりしているんです。あくまで実行犯は別、スラム街やそこの人々は危険思想を持った悪だと固定観念を持つ者すらいます。現状を変えたかった……ただ一人の埼玉県民なだけなのに」
これからの行動を決めかねている中、礼安が口を開いた。
「――あくまで、私たちは外側の人なわけじゃあない? なら……埼玉支部を崩壊させた後のことは……商店街の人たちや多くの人たちと話し合って、未来を決めてもらう、ってのはどうかなぁ。私たちが全てを決めちゃいけないと思うんだ、決断を委ねた方が……きっと」
ある種、当事者たちへ問題を作り出し、考えあう。悪い言い方をするならば、丸投げするような結論。しかし、部外者である礼安たちに埼玉はおろか、商店街や多くの人たちの将来を決める権利はない。
だからこそ、決断を委ねる。それこそが最適解であると、礼安は拙いながらも行き着いたのだ。
「……導線は示して、あとの決断は委ねる……最優ではないにしても、お互いが納得できる良い結末を自分たちで道を作っていく。落としどころとしては……良い方でしょう」
英雄の卵が出来ることは数少ない。だからこそできることを精いっぱいやりきる。それこそが礼安たちの結論であった。
院は礼安たちと語らう中、エヴァの言伝の通り資料に目を通していた中、その『もう一つの策』に目が行く。そこにも、『まずは救出優先、それ以降起こりうる事象は当人間で解決するのが良策かも』と記されていた。
「――我々よりも一年先輩なだけあって、辿り着いた現状の最適解に辿り着いているとは……本当、底知れない人でしてよ」
しかし、その続きに記されていたことは、『翌日の計画が何らかの理由によりふいになった際、五日後五人で埼玉支部を攻め落とし救出する』との内容。二人は急激に疑問符ばかりが脳内にて増えだしていた。
礼安、院、透、そして二人は知らないだろうがエヴァ。あと一人、その存在がどうも理解できなかった。
「――エヴァちゃん、剣崎ちゃんと橘ちゃん含めて無くない??」
「いや、この資料はあの二人が作戦に参加するという、イレギュラーを考えていないタイミングで作られたはずですわ。正直……これに関してはよく分かりません」
新たな謎が生まれた、夜九時。作戦決行日時まで、あときっかり三時間である。