第23話 硬い石

文字数 1,929文字

「それにね、今のわたしならそれぐらいのお金なんでもない」
「そうそれ。このマンションもそう。どうしてヒロ姉さんこんなにお金あるの?」
「わたしね、修二のお父さんから頂いた遺産でお商売始めたのよ。それがうまく行ったの」
「なるほど、だから恩返しなのね。でもヒロ姉さん、一体何やってるの?」
「聞きたい?」
「ええ、差し支えなければ」
 その時、話に飽きて来たのか、修二がわたしの胸を触り、首筋を強く吸った。こりゃあ痕が残るな。少しイラッとした。見ると、もうお湯の中のモノは隆々と勃起していた。かわいくない。それをちらりと見ながらヒロ姉さんはにっこりと笑って言葉を続ける。なんてやさしい表情……。
「うふふ、わたしね、これでも社長なのよ。あなたがさっき座ったあの椅子もうちの商品よ」
「え? 椅子ってあの拘束椅子?」
「ええ、そうよ。椅子だけじゃなくて、ほかにもたくさんあるわ。当初は女性向けのアダルト商品の開発販売ね。今はグッズだけじゃなくてAVやその他様々なアダルトコンテンツなんかも手掛けているわ」
「うわ、さすがヒロ姉さん、転んでもただで起きないわ。天賦の才ってやつねえ」
「あはは、人間やっぱりシモのことが大切なのよ。わたしはただそれに忠実に生きているだけよ。世の中きれいごとだけでは生きていけないの」
「わたしもこの年になってそれはわかるようになって来たわ。結局、世の中で人々がやってることって、最終的には全部そこへ通じていると思うの」
「さすが優子ちゃん。で、聞いて。お願いがあるの。ここからが大事なところだから。こら修坊、ちょっと、今は優子ちゃんのオッパイ吸わない!」
「何かしら?」
 わたしは修二の頭を押しのけながらヒロ姉さんに尋ねる。
「その修二のことよ。今後、あなたに任したいの。わたしの代わりに」
「どういうこと?」
「結婚なんて枠に囚われなくてもいい。でもあなたも修坊もそうしたいって言うんならもちろんわたしは祝福するわ。さっさと旦那にすればいい」
「ヒロ姉さん、本気で言ってるの? 本当にそれでいいの?」
「ええ。もちろんよ。ねえ、ちょっと手、貸して」
「手?」
「うん右手がいいかな」
 わたしは右手を伸ばした。ヒロ姉さんは体を起こしてわたしの手を掴む。湯気が動いてラベンダーの香りが仄かに漂う。そして彼女はわたしの手を取り、そっと左の乳房の外側に持って行った。
「あっ!」
 恐ろしく硬い石のようなものがわたしの指先に触れた。
「わかる? お風呂で温めるとはっきりわかるの」
 わたしは一瞬で血の気が引くのがわかった。ここでなら腹を割って話せる、とはそういう意味だったのか。愕然とする。
「修坊には黙っていたけど、わたしね、乳癌なの。来週入院が決まっているの。先生の話ではあんまり良くなさそう。ステージⅢだって。たぶん手術でおっぱい取らなくちゃならないと思うの」
 わたしは必死で言葉を捜していた。半分お湯に浸かった白い丘の上にやや黒みがかった野苺みたいな乳首がちょこんと載っている。ヒロ姉さんは愛おしそうにそれを撫で上げていた。それがどれほど苦しいことなのか、女性であるわたしにわからないはずがない。
「ヒロ姉ちゃん! 俺、やだよ」
 急に修二が大声を出した。
「ごめんね、修坊。ずっと黙ってて。心配掛けたくなかったの。でもね、わたしとっても幸せよ。欲しいもの全部手に入ったもの。だから優子ちゃん、後はあなたに任せた」
「ヒロ姉ちゃん、死なないで。死んじゃいやだ!」
 たちまち修二の顔がくしゃくしゃに崩れて涙がぼろぼろ頬を伝った。
「泣くな修二! あんた男でしょ? それにまだ決まったわけじゃない! 絶対助かる!」
「ありがとう優子ちゃん。こら修坊、そうよ男の子は泣かないの。子供みたいよ。昔のまんまじゃない」
「ね、ヒロ姉さん、こっち来て。修二の横に来て。場所、替わろ」
「ありがとう。ごめんね優子ちゃん」
 入れ替わりざまにわたしはヒロ姉さんの背中を見つめた。肩甲骨が異様に浮き出て痩せた体。確かに、病気のせいもあるかもしれないが、明るい照明の下ではさすがに加齢は隠せない。時は残酷だ。きっとわたしもいずれそうなる。
「おいで修坊。今日だけ特別に甘えさせてあげるわ」
 そう言うと、修二はヒロ姉さんの白い胸にその顔を埋めた。まだ幼子のように泣いている。ヒロ姉さんは自分よりもずっと大きい修二をしっかり抱きしめて頭を何度も撫でていた。
「よしよし、泣かない泣かない。いい子ね」
 胸に顔を埋めて大きな背中を震わせている修二。やさしく包み込むヒロ姉さん。その光景はとても感慨深い。ここで時が止まればいいのに。わたしは心からそう思った。
                                    続く
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