第10話 やっぱり男なんだ

文字数 1,714文字

「修二の家に行くのは二十七年ぶりね。懐かしいわ」
「あの家は……もう、ないんだ」
 修二はぽつりと言った。その眼差しの奥に深い闇を見たような気がして、わたしは思わず目をそむける。
「聞いてなかったかい?」
「ええ、小学生になって組も分かれて、あなたとはすっかり話さなくなったもの」
「そうか。そうだな」
「売っちゃったの?」
「まあ、あ、いや、売ったって言うか、人手に渡った。抵当に入ってたんだ」
「え、そうなの。お父様、会社を経営されていたと聞いていたけど」
「ああ、ある程度名の知れた設計事務所だった。でも親会社の勧めで投資した不動産がバブル崩壊と共に急降下。たちまち不良債権の山さ。それでも十年は持ち応えたんだけどね、結局ダメだった。回収できなかった。今はあそこにきれいなマンションが建っているよ」
「そう。残念ね。あの家、もうないのね。好きだったのに……」
「うん。その親父も俺が中学生の時に事故で死んだ」
「そう。若いのに、お気の毒ね」
「まあ自業自得さ」
 修二は他人事のように話す。もしかしたら父親とあまりうまくいってなかったのかもしれない。わたしはこの会話の落としどころを探していた。これはうっかり地雷を踏んでしまったか。
 幼い頃、わたしは修二とよく遊んだけれど、お父さんは知っているがそういえばお母さんのことはまったく知らない。幼かったので気にも留めていなかった。家にはいなかったのだろうか? ダメだ。気まずくなる。これ以上立ち入るのはよそう。
 少しの沈黙の後、修二は口を開いた。
「優ちゃんとこは? 美人のお母さん元気?」
 ああ、やっと山崎家の知りたくもない複雑な事情から解放される。やれやれだ。
「うちは両親共六十過ぎているけどまだまだ元気よ。でもね、女もこの齢になるとなんか家に居辛くてね。いろいろあるのよ。だからわたしも近所に一人で部屋を借りているの」
「そっか。年を取るっていろいろ面倒臭いな」
「そうね。いろいろ面倒臭い。あ、修二の住んでいるマンションって遠いの?」
「いや、もう十分もかからないよ」
 そう言いながら、修二はわたしのトートバッグをそっと持つ。さりげなくやさしい。これが彼の計算だとしても今のわたしには十分有効だ。いけない。気持ちが揺らぐ。こいつには妻子がいる。たとえ今夜寝たとしても後に尾を引かないようにしなければ。わたしは気持ちを切り替えようと一番今の雰囲気にそぐわなさそうな話題を振った。
「ね、さっきの電話って、奥さん?」
「え、あ、う、うん」
「そうだと思った。わかった九時の定時連絡ね?」
「ああ」
 当てずっぽうが当たった!
「そっか、出産間近って言ってたものね」
「ごめんな。せっかく二人で飲んでいる時に水を差すようなことして」
「気にしていないって言ったらウソになるけど、わたしは大丈夫よ。大人だから。でも少しだけ奥さんが羨ましいって思った。絵に描いたような幸せね」
「そう見える?」
「うん。え? 違うの?」
「あいつがこっちに来ない訳……」
「何?」
「向こうに男がいるみたいだ」
「うそ!」
「いや、確かだ」
「あいつに取っちゃあ俺はATMみたいなもので、逆に離れていてラッキーなんだろう」
「じゃあ、お子さんが生まれても、もうこちらには?」
「ああ、たぶん、帰って来ない。それに子供は俺の子かどうかわからない」
「ええ! 何それ! ほんと? 修二はそれでいいの?」
「まあね。だから俺もこっちで好きにやると決めた」
「酷い話……」
 と、ついわたしは言ったけれど、たぶんわたしも今からその片棒を担ごうとしている。奥さんを責めるのはお門違いだ。
 ああ、なるほど。それであっさりわたしを家に招き入れようとしているのか。え? じゃあそれって、わたしに対して見せたやさしさも見せかけだけってこと? わたしが食事に誘った時点で修二はすでにこうなることを想定していたってこと? 
 ふぅん。修二もやっぱり男なんだ。でも、彼の家に行けば、わたしもそうなることを望んでいる。彼を責めることはできない。所詮は男と女。ああ今夜もこの世界は平常運転だ。
                    
                                  続く
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