第8話 続・巣ごもりだからミステリでも観よう
文字数 2,852文字
前回に続いて、テレビで観た推理物のドラマについて、おや?と引っ掛かりを覚えた点をつらつら挙げて、ちょっとだけ検討していきます。ネタバレ注意ということでよろしくお願いします。
今回は「刑事コロンボ」シリーズから数作。分析研究本などで記載のあるネタは知りうる限り省いたつもりです。
・ドラマ「刑事コロンボ」(レヴィンソン&リンク NHK-BSプレミアム放送分)
『構想の死角』
このエピソードがシリーズ化の第一作だそうで。また、スティーブン・スピルバーグがメガホンを取ったというのをあとで聞き、へえ!と思ったものです。
本作に感じた引っ掛かりは、何でそんな手間を掛けるの?ということ。捜査の序盤も序盤で調べるであろう、被害者の動きを確認する過程ですぐにおかしな事実が発覚すると思うんです。
被害者は相棒である共同作家の口車に乗せられ、別荘から自宅の妻へ電話をし、その際にオフィスからだと偽る。電話の最中に相棒が射殺。これにより犯人のアリバイが成立するというトリックが用いられています。警察はとりあえず被害者の行動の裏付けを取るでしょうから、オフィスの電話の発信記録に当たるはず。ところが問題の時刻、オフィスから電話はどこにも掛けられていない、おかしいぞ?となるのが当然の流れでは。
なのに実際には、一切そんなことは物語に出て来ず、コロンボの活躍によって全てが暴かれる。
もしかして、本作が作られた当時の米国では、電話のシステム上、いつどこへ発信したのか調べることは不可能だったのかしらん? でももしそんな仕組みだったら、電話料金はどうやって算出するんだろう……うーん、分からない。
『別れのワイン』
シリーズ最高との呼び声も高い名作。だから瑕疵なんてないと言い切れないのが、ミステリの面白いところかもしれません。本作と双璧をなすであろう『忘れられたスター』にも、昔から穴があると指摘されているようですし。
引っ掛かりを覚えたのは、トリック関連です。ワインがだめになるほど高温になったのなら、そのワイン貯蔵庫に置いていた被害者は臭わなかったのか。臭ったとしたらその時点で犯人はワインがだめになったと察し、警察が関わる前に泣く泣く処分したはず。
死因は窒息死で、犯人は自らがニューヨークへ一週間の出張している間に、被害者が死ぬよう空調を設定したとのこと。窒息死したのがたまたま、気温が異常に上がった日よりもあとだったのかな? それなら臭わない可能性は大いにあります。
ただ、心理的に犯人の行動は解せない気もします。大事な大事なワインの詰まったワインセラーに、死体を置くなんて。それこそ臭いが付いたら台無しになる。その危険を冒して、このトリックを実行できるものなのか。
『白鳥の歌』
実際の歌手、カントリーミュージシャンのジョニー・キャッシュが歌手役かつ犯人役で出演するという贅沢な作品。本作で引っ掛かった点はシンプルです。
この犯人にそこまで同情や共感ができる?
ファンである未成年の少女と(恐らく)肉体関係を持ったことで妻から脅迫され、搾取されていたというのは……多分ですけど、二〇〇〇年以降に作られていたとしたら、この犯人に同情するのは滅茶苦茶叩かれる設定ではないかと。
『策謀の結末』
最後は小ネタ中の小ネタ。なのに長くなりますが、ご容赦ください。
先日の放送で気付いたという訳ではなく、だいぶ前にふと気になって、まあ本筋には関係ないんだからいいやと思ってました(今も思ってます ^^;)。
本エピソードについてしっかり覚えている人でも、細部は忘れたという向きはおられるでしょうから、少し詳しく書くと――
コロンボが港に着目して初めて足を運び、詩人(活動家)のジョー・デヴリンと出くわすシーンがあります。その最後で、コロンボは乗ってきた車がパンクしていると気付き、レッカーを呼ぼうとするも小銭がない(時代的に携帯電話なんて代物はなく、外で電話を掛けるときは公衆電話を使うしかありません、念のため)。そこで(図々しくも)デヴリンに十セント拝借できないかとお願いする。快く承知するデヴリン。
場面変わって、レッカー車の助手席にいるコロンボ。借りた(もらった?)十セントで呼んだんでしょう。カーラジオからは、デヴリンの声が流れている。トーク番組に出演しているのだ。話は進み、リスナーからの質問を電話で受け付けるコーナーが始まった。これをいい機会と見たか、コロンボはハンドルを握る修理屋の親父にそこいらのガソリンスタンドに入ってくれと頼む。ガソリンスタンドの公衆電話からラジオ番組の番号に掛けるコロンボ。思惑通り、質問することができた。
――ここまで。ポイントを絞って記述したのでお気づきのことと思いますが、コロンボはどうやってラジオ局に電話を掛けることができたのか?というのが引っ掛かりポイントです。レッカーを呼ぶために公衆電話を使いたいが小銭がない、だからこそデヴリンから借りたはず。ところがレッカーしてもらう途上でラジオ局に公衆電話からダイヤルしてる。そのお金はどこから出て来たのか。
まず思い浮かぶのは、「修理屋の親父に前払いし、そのお釣りができた」。ただ、コロンボのキャラクターから言って、前払いに応じるようには思えない。
「修理屋の親父から借りた」こっちの方がありそう。あとで修理代に含めて返せばいいんだし。二度目の借りるシーンがあればユーモラスになったんでしょうけど、時間的にカットされた、とか妄想が膨らみます。
修理屋の親父のお金ではなかったとしたらどうか。当時の米国の公衆電話代がいくらか知りませんが、十セントでお釣りが返ってくるとは考えづらい。デヴリンが多めに貸したとも思えない。
連続するシーンを通じて他にコロンボと関わりのあった人物はいません。となると、あとは一人しかいない。そう、コロンボ自身です。コロンボのお金だったとしたら、どういうケースが想定できるか?
小銭があるにもかかわらず、デヴリンに十セントをねだったのは、コロンボがケチという名の節約家だから……ではなく、借りたお金を返す名目で、最有力容疑者たるデヴリンに会いに行く口実を作りたかった、のかもしれない。
もしくは、コートのポケットをごそごそやったら、小銭が出て来た可能性もある? 愛車のパンクに気付いた時点では小銭を見付けられず、デヴリンから借りたあとに、「あ、こんなとこから出て来たよ」という流れが、コロンボならありそう。
惜しいと思うのは、いずれのパターンだったにせよ、デヴリンがこのことにつっこむくだりがあればよかったんじゃないかと。ラジオ番組に電話してきたコロンボに対し、「レッカーを呼ばずに僕の番組に電話してくれるとは感激だ!」てな風にちくりとやるのは、いい感じになると思うんですがいかがでしょう。
「コロンボ」シリーズにはまだいくつか気になる点、引っ掛かる点がありますが、とりあえず今回はこの辺りで。
それでは。
今回は「刑事コロンボ」シリーズから数作。分析研究本などで記載のあるネタは知りうる限り省いたつもりです。
・ドラマ「刑事コロンボ」(レヴィンソン&リンク NHK-BSプレミアム放送分)
『構想の死角』
このエピソードがシリーズ化の第一作だそうで。また、スティーブン・スピルバーグがメガホンを取ったというのをあとで聞き、へえ!と思ったものです。
本作に感じた引っ掛かりは、何でそんな手間を掛けるの?ということ。捜査の序盤も序盤で調べるであろう、被害者の動きを確認する過程ですぐにおかしな事実が発覚すると思うんです。
被害者は相棒である共同作家の口車に乗せられ、別荘から自宅の妻へ電話をし、その際にオフィスからだと偽る。電話の最中に相棒が射殺。これにより犯人のアリバイが成立するというトリックが用いられています。警察はとりあえず被害者の行動の裏付けを取るでしょうから、オフィスの電話の発信記録に当たるはず。ところが問題の時刻、オフィスから電話はどこにも掛けられていない、おかしいぞ?となるのが当然の流れでは。
なのに実際には、一切そんなことは物語に出て来ず、コロンボの活躍によって全てが暴かれる。
もしかして、本作が作られた当時の米国では、電話のシステム上、いつどこへ発信したのか調べることは不可能だったのかしらん? でももしそんな仕組みだったら、電話料金はどうやって算出するんだろう……うーん、分からない。
『別れのワイン』
シリーズ最高との呼び声も高い名作。だから瑕疵なんてないと言い切れないのが、ミステリの面白いところかもしれません。本作と双璧をなすであろう『忘れられたスター』にも、昔から穴があると指摘されているようですし。
引っ掛かりを覚えたのは、トリック関連です。ワインがだめになるほど高温になったのなら、そのワイン貯蔵庫に置いていた被害者は臭わなかったのか。臭ったとしたらその時点で犯人はワインがだめになったと察し、警察が関わる前に泣く泣く処分したはず。
死因は窒息死で、犯人は自らがニューヨークへ一週間の出張している間に、被害者が死ぬよう空調を設定したとのこと。窒息死したのがたまたま、気温が異常に上がった日よりもあとだったのかな? それなら臭わない可能性は大いにあります。
ただ、心理的に犯人の行動は解せない気もします。大事な大事なワインの詰まったワインセラーに、死体を置くなんて。それこそ臭いが付いたら台無しになる。その危険を冒して、このトリックを実行できるものなのか。
『白鳥の歌』
実際の歌手、カントリーミュージシャンのジョニー・キャッシュが歌手役かつ犯人役で出演するという贅沢な作品。本作で引っ掛かった点はシンプルです。
この犯人にそこまで同情や共感ができる?
ファンである未成年の少女と(恐らく)肉体関係を持ったことで妻から脅迫され、搾取されていたというのは……多分ですけど、二〇〇〇年以降に作られていたとしたら、この犯人に同情するのは滅茶苦茶叩かれる設定ではないかと。
『策謀の結末』
最後は小ネタ中の小ネタ。なのに長くなりますが、ご容赦ください。
先日の放送で気付いたという訳ではなく、だいぶ前にふと気になって、まあ本筋には関係ないんだからいいやと思ってました(今も思ってます ^^;)。
本エピソードについてしっかり覚えている人でも、細部は忘れたという向きはおられるでしょうから、少し詳しく書くと――
コロンボが港に着目して初めて足を運び、詩人(活動家)のジョー・デヴリンと出くわすシーンがあります。その最後で、コロンボは乗ってきた車がパンクしていると気付き、レッカーを呼ぼうとするも小銭がない(時代的に携帯電話なんて代物はなく、外で電話を掛けるときは公衆電話を使うしかありません、念のため)。そこで(図々しくも)デヴリンに十セント拝借できないかとお願いする。快く承知するデヴリン。
場面変わって、レッカー車の助手席にいるコロンボ。借りた(もらった?)十セントで呼んだんでしょう。カーラジオからは、デヴリンの声が流れている。トーク番組に出演しているのだ。話は進み、リスナーからの質問を電話で受け付けるコーナーが始まった。これをいい機会と見たか、コロンボはハンドルを握る修理屋の親父にそこいらのガソリンスタンドに入ってくれと頼む。ガソリンスタンドの公衆電話からラジオ番組の番号に掛けるコロンボ。思惑通り、質問することができた。
――ここまで。ポイントを絞って記述したのでお気づきのことと思いますが、コロンボはどうやってラジオ局に電話を掛けることができたのか?というのが引っ掛かりポイントです。レッカーを呼ぶために公衆電話を使いたいが小銭がない、だからこそデヴリンから借りたはず。ところがレッカーしてもらう途上でラジオ局に公衆電話からダイヤルしてる。そのお金はどこから出て来たのか。
まず思い浮かぶのは、「修理屋の親父に前払いし、そのお釣りができた」。ただ、コロンボのキャラクターから言って、前払いに応じるようには思えない。
「修理屋の親父から借りた」こっちの方がありそう。あとで修理代に含めて返せばいいんだし。二度目の借りるシーンがあればユーモラスになったんでしょうけど、時間的にカットされた、とか妄想が膨らみます。
修理屋の親父のお金ではなかったとしたらどうか。当時の米国の公衆電話代がいくらか知りませんが、十セントでお釣りが返ってくるとは考えづらい。デヴリンが多めに貸したとも思えない。
連続するシーンを通じて他にコロンボと関わりのあった人物はいません。となると、あとは一人しかいない。そう、コロンボ自身です。コロンボのお金だったとしたら、どういうケースが想定できるか?
小銭があるにもかかわらず、デヴリンに十セントをねだったのは、コロンボがケチという名の節約家だから……ではなく、借りたお金を返す名目で、最有力容疑者たるデヴリンに会いに行く口実を作りたかった、のかもしれない。
もしくは、コートのポケットをごそごそやったら、小銭が出て来た可能性もある? 愛車のパンクに気付いた時点では小銭を見付けられず、デヴリンから借りたあとに、「あ、こんなとこから出て来たよ」という流れが、コロンボならありそう。
惜しいと思うのは、いずれのパターンだったにせよ、デヴリンがこのことにつっこむくだりがあればよかったんじゃないかと。ラジオ番組に電話してきたコロンボに対し、「レッカーを呼ばずに僕の番組に電話してくれるとは感激だ!」てな風にちくりとやるのは、いい感じになると思うんですがいかがでしょう。
「コロンボ」シリーズにはまだいくつか気になる点、引っ掛かる点がありますが、とりあえず今回はこの辺りで。
それでは。