第17話 重箱の四隅をつつく ~ 推理物とそれ以外も

文字数 1,826文字

 今回は推理物に限らず、これまでに目にした小説やドラマ等のあれこれに対して、とりとめもなく、差し出口してみます。

・玄人素足とは言わない
 小説『ブギーポップは笑わない』(上遠野浩平 電撃文庫)の序盤のシーンに、次の一文があります。

   “しかも裸足(はだし)で、靴を履いていなかった。”

 かつて紙書籍で読もうとした際、ここに引っ掛かりを覚え、以下、読むスピードが極端に落ちたのを覚えています。
※ついでに言うと、たまたま手に取った同書の一冊が、四十五ページ辺りまで天地逆の乱丁になっていた。こういう書式・装丁の斬新な作品なのかと思った。(^^;

 で、どこに引っ掛かりを覚えたのかを一応書いておきますと、「裸足」と言えば足に何ら衣類系の物を付けず、靴を履いていない状態であり、わざわざ「靴を履いていなかった。」と続ける意味がないと思ったから。
 何も付けていない足に靴を履く、いわゆる?石田純一スタイルを表すのであれば「素足に靴を履いている」となりましょうか。これが「裸足に靴を履いている」だと、靴を履いた瞬間に裸足じゃなくなる訳で、少々おかしなことになる次第。
 翻って、冒頭で引用した文において「裸足」を「素足」に置き換えたらどうか。やっぱり意味がないと言いたくなります。「裸足」の一言で表せる状態を、「素足で、靴を履いていなかった。」と記述するのは無駄であり、文学的・小説的に何らかの効果をもたらすとも思えません。

 ただ……重複表現は絶対にだめだと考えている訳ではなく、エンドウ豆(漢字で表記すると「豌豆豆」)だって口語ならまったくかまわないし、サハラ砂漠は定着しているからこれでもいいんでしょう。
 何なら「馬から落馬する」だって別にいいと思う。たとえば一頭の馬が大荷物と人をのせて走っていて、人だけが落ちた場面を端的に描写するなら、「馬から落馬だけした」で済む、はず。
 ついでに、少し議論がずれますが、「落馬」は鞍に跨がっていた人が落ちるイメージがあり、馬にしがみついていた人が力尽きて落ちた場合と区別する必要があるのではないか。つまり、前者が「落馬する」、後者は「馬から落ちる」と書き分けるのがいいのでは?なんてことも考えたり。


・「降りられんと急行」は小林信彦
 とあるポイントサイトで出題された四択クイズ(制限時間あり)に、「アガサ・クリスティの書いた、列車内で殺人が起きる推理小説は?」てな感じのがありました。その選択肢の中に、オリエント急行殺人事件とブルートレイン殺人事件があり、さあ困った。
 でもまあオリエントの方が圧倒的に有名だからと判断し、選ぶと正解だった。よかった。(^^;
 多分、問題作成者はミステリの専門家でも何でもなく、ただ『オリエント急行殺人事件』を知っていたというだけで作ったのかしらん? まさか『ブルートレイン殺人事件』というタイトル(邦題の一つ。よく知られているのは『青列車の秘密』)のクリスティ作品が存在するなんて想像の埒外だった、と。


・まるで小説のようなダイアリー
 テレビ朝日系で今季放送のドラマ「刑事7人」シーズン9の視聴を続けているのですが、気になる演出があります。それは、主人公の天樹が日記を付け始めたとし、それを読む体のナレーションが入る演出。そのスタイル自体は別にかまわないのですが、部分的に疑問に感じることが。
 具体的に言えば、未来予告型の文章です。「このときの事件が、やがて、我々の関係に大きな影響を及ぼすとは……」みたいな。
 日記は基本的に、毎日つけるものでしょう。その日より先にあった出来事を把握した上で書くというのは、違和感がある。
 毎日つけているのではないにしても、原則、自分だけが読む日記においてこんな未来予告型、ドラマで言えば続きが気になるよう仕向ける形にする意味がない。出来事Aが後に起きた出来事Bの間接的発端であったのなら、そうと分かったときの日の日記に書けばいい。
 もし現状のままナレーションに整合性を求めるとしたら、天樹が読んでいるのは他人が書いた日記、と解釈するくらい? 天樹は書いた人の心理を理解すべく、時々、日記の内容通りの行動を取ってみている、とか……。


・その銘柄は
 ABEMAの無料枠で、アニメ「金田一少年の事件簿」第101話を視聴。途中、お茶の綾鷹のCMでよく聞く女性の声で、「冷たい麦茶でもいかがですか」という台詞が聞こえて来た。狙ってやったのか? ^^;


 こんなところで。ではでは。

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