第2話

文字数 1,007文字

 目を開けると、自室の天井がいつものように見下ろしていた。耳の中に水が入っていく感覚が気持ち悪く、自分は泣いていたのかと遅まきながら気付く。

「まただ……嫌な夢を見たなぁ」

 ぽつりと呟かれた声は若干震えており、朝から憂鬱な気分になり落ち込む。今日は独り暮らしをするための引っ越しだというのに、最悪の朝だと彼女――鮎川(あゆかわ)梨乃(りの)は小さく溜息を吐いた。幼い頃に負った心の傷は約十年経った今でも癒やされることがないまま、彼女は高校生活を送っている。

 春休み初日の今日、梨乃は親元を離れる。閑散とした室内にベッド以外の家具が見当たらないのは、昨日までに新居へと運び出してしまったからだ。残ったベッドも、あと二時間ほどしたら業者によって運び出される。梨乃は起き上がると着替え、パジャマを丁寧に畳みボストンバッグの中に入れた。新居に移ったらさっそく洗濯ねと彼女は誰に向けるでもない微笑を浮かべ、手荷物の最終確認を終えると洗面所へ向かい洗顔等を済ませる。

「おはよう梨乃、眠れた?」

 顔を洗っても、目が赤くなっているのは誤魔化せないが、母親は気付きながらも知らないふりをした。親と離れて、独り暮らしを始めることに対する不安……そんなところだろうと、見当を付けている。梨乃の方もそれに気付いており、誤魔化すようにさっさと自分の席に着いた。父親はもう出勤してしまったらしく、空になった食器がテーブル上にあった。また父は食器を下げないで行ってしまったらしい。だらしない人と梨乃は眉間に皺を寄せ、後で自分の分と共に下げようと思っていると、母が無表情で下げていく。

(お母さん、苛ついてるなぁ。何度言ってもお父さん直さないんだもんね)

 小さく肩をすくめると、母が声をかけてきた。

「あと二時間ほど経ったら引っ越し屋さんが来るけれど、忘れ物はないの? ここも一週間後には明け渡さないといけないから」
「うん、判っている。荷物は後はベッドだけだから」
「そう? それならいいけれど。新居への挨拶は一緒に行けないけれど、大丈夫?」

 社宅にいる奥様連中との、お別れ会と称したランチに出掛ける母親は心配そうにひとり娘の顔を覗き込んだ。

「もう! 子供じゃないんだから、挨拶くらいできるわよ」

 トーストに齧り付きながら梨乃がそう言うと、不承不承ながらも納得したらしく母親は洗い物を始めた。その後ろ姿を眺めながら、梨乃はいつまでも子供扱いしてと声に出さずに不満を漏らした。
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