バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

298

163,466

79件のファンレター

バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

今回も力作!

今回も力作ですね! すごく読み応えがありました。
後ろを振り向いたので、塩の柱になってしまったロトの妻。大変有名な逸話ですが、「何故振り向いてはダメなの?」という疑問は、私もずっと感じていました。
ですから、mikaさんが紹介して下さった一色先生の、「後ろ髪を引かれた罰」ではなく、寧ろ「優しさと愛のモニュメント」と捉えるべきという説は感動的でした。しかも、東京大空襲の実体験に裏打ちされているとのことで、言葉にずっしりとした重みがありますね。
そして、一色説を紹介された後に示される、「塩の柱は、ロトの妻の愛を示していると同時に、過去を振り返らず、信仰によって前に進むべきであることを読者に伝えている」の言葉は、なるほど、と心に深く響くものがありました。このような考え方をすると、「罰」という意味合いは薄れ、一種の象徴、あるいは比喩として、この逸話を理解できるような気がします。
小説のように読んでしまうと、塩の柱にされてしまったロトが、あまりに切ないですよね…><
mikaさんのこの連載、聖書の物語的な面白さを申し分なく伝えて下さると同時に、物語や小説として見ると「不条理」に思われる逸話を、宗教的な象徴や比喩として捉える見方を示して下さっていて、大変勉強になります。ありがとうございます!
続き、楽しみにしていますね(^^)/

返信(1)

南ノさん、いつもお読みいただきありがとうございます。ご紹介した一色義子さんは1928年生まれで、東京で初めて空襲があった1942年4月18日のときは14歳頃だったはずです。本の中では、初めて空襲が会った時に家の2階にいて、驚きと緊張で思わず動けなくなってしまった(=即座に家の外へ逃げ出すことができなかった)と回想しておられました。恵泉女学園高等学校の出身で、のちに同学園の理事長を務めています。南ノさんが『フレイグラント・オーキッズ!』で書かれているような女学生時代を、若き日の一色さんは過ごしていたかもしれないですね。

バルセロナ出身でカタルーニャ語で執筆した女性作家、マルセー・ルドゥレダの『ダイヤモンド広場』の中に、「後ろを振り向いたロトの妻」のモチーフが何度も印象的に使われているんですよ。1930年から50年代のバルセロナを舞台に、一人の女性の半生を描いた物語で、第二共和国の到来とそれにつづく内戦、戦後が時代背景にあります。
主人公ナタリアが、婚約者キメットの実家で会食した時に、彼は母親の手料理に文句を言い、「ロトの妻が、まっすぐ前を向いて進まなきゃいけないのに、旦那のことばを信じずに振り返ったとき以来、俺たちがみんな塩になっちゃってたらどうだろうな」、「ロトの妻は振り返るべきじゃなかった」と言って、説教します。キメットは、ロトの妻の心情を思いやることがなく、同じように自分の妻であるナタリアの気持ちを思いやったりせず、いつも自分の意見だけを押しつけ、妻がそれに従うことを求めます。ロトの妻のエピソードを、「妻は夫に黙って従うべき」という考えの根拠として都合よく使っていて、読んでいて腹立たしいのですが、国民の大多数がカトリック教徒であるスペインの家庭では、実際にごく当たり前に見られる光景だったのでしょうね。
内戦でキメットが戦死し、餓死寸前になったナタリアは子供もろとも自殺することを決意し、塩酸を買ってアパートへ帰る路上で、誰かに呼ばれて振り返ります。この振り返った時、彼女は「神様の言うことを聞かずに振り返ったため塩の柱にされてしまったロトの妻のことを思った」のです。彼女を呼び止めたのは、塩酸を買った店の主人アントニで、彼はナタリアと子供たちを死の直前で救い出しました。ナタリアが本心では子供たちを殺したくないと思っていたからこそ、後ろを振り向いたのであり、もし救いの手を自ら拒絶していたら、母子心中していたはずです。ここで思い出すのは、「ロトの妻のことを思い出しなさい。自分の命を生かそうと努める者は、それを失い、それを失う者は、かえって保つのである」というイエスの言葉で、アントニがナタリアのあとを追いかけてきたのは、一度命を捨ててしまった彼女とその子供たちを救い出すための、神の御計らいだったのだろう、と思います。
ロトの妻のエピソードは非常に有名なので、キメットのように「不従順ゆえの罰」として読み取る読者は多いだろうと思います。しかしそうではないのだ、とマルセー・ルドゥレダはナタリアを通して伝えているように感じます。このルドゥレダの解釈は、一色義子さんの解釈と根っこが同じだなと思うのです。

次回はアビメレクのお話で、再びアブラハムがやらかしてしまうエピソードです。引き続きよろしくお願いいたします!