桐一葉

作者 桐乃桐子

[日記・個人ブログ]

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57件のファンレター

梧桐一葉落天下盡知秋

(アオギリの一葉が落ちて天下の秋を知らせる。)

ファンレター

49話

今回のお話しが「作品」として拝読できてよかったです。少しでも多くの人に、社会にはこんな日陰の面があるということを知って欲しいと思ったので。とくに虐待・ネグレクトで生理用品を買い与えないという家庭の存在には衝撃を受けました。

最近Twitterで「理解力が低いと思われる方、“理解しない”のではなく、むしろ“理解力の範囲で理解”するので表面的な理解に留まる。そしてその理解を元に少ないサンプルで強固な心証を形成していく」というのを見かけました。
「スマホを持っているなら生理用品くらい買えるでしょ」というのは理解力の放棄、まさしく上記に該当すると感じました。
それを桐乃さんが「それはおかしいよ、様々な不幸があることを、まず、知ることから始めよう」といった風に筋道立ててお話ししてくださって。決して声高ではなく、ご自分の体験を交え、平易な表現でわかりやすく。
知性と謙虚さは親和性が高いんだなぁ、と実感。

最後の文章は刺さりました。生理という当たり前の現象を、恥ずかしいと負い目に捉えることのない社会環境が整うことを願います。
蛇足ですけど、フェミニストは萌え絵を叩いていないで、こういった問題に目を向けてくれればいいのに……なんて思いました。
とても考えさせられるテーマでした。

返信(1)

佐久田さん、ありがとうございます。佐久田さんのご助言としおむすびさんのご賛同をいただいたお陰で、今回のテーマの文章をたくさんの方々に読んでいただくことができました。
あらためてお礼申し上げます。感謝です。
そしてお返事が遅れて申し訳ございません。

親(とくに母親)が娘に生理用品を満足に与えない、という話、わたしも衝撃を受けました。生理用品だけでなく、スポーツブラや普通のブラなども成長過程でサイズが変わっていくものですが、それらも新しく買ってもらえず、サイズの合わないものを使い続けるしかない、という話も。
成長していく娘に対して「いやらしい」とか「はしたない」とかそういう視点を持つ母親は、もしかすると自分自身がこどものころに同じような扱いを受けてきたのだろうか、と考えたりします。

理解力の低さについてのお話、すごく納得しました。
視野の狭さ、思考の奥行きのなさ。なんというか言葉でたとえると、語彙が極端に少なくて自分の感情や感覚をなんでも「ヤバい」のひとことで表現するような稚拙さ、手持ちのカードの少なさ、のようなものを連想しました。
「その理解を元に少ないサンプルで強固な心証を形成していく」のくだりがゾッとします。言葉が通じない上にやたらと思い込みが激しい人物って、もしかしてこのタイプ……?

過分なお言葉をいただいて恐縮ですが、そういっていただけてとてもうれしいです(*´-`)
声高に世のなかに物申す、というつもりはなくて、こういう家庭もあるんですよ、というのを知ってほしかっただけなのです。そういう家庭に生まれたこどもたち自身に責任はないのです。「自己責任」とか「運が悪かった」という冷ややかな言葉で片付けてほしくない。
理解できなくてもいい。ただ、切り捨てないでほしい。
そう願います。

最後の文章は、これまでの人生でだれでも一度くらいは
「女に(男に)なんか生まれるんじゃなかった」
と考えたことがあるのではないかと思いました。
女性ならば、まさしく生理に悩まされるときや、性的な搾取、そういった被害に遭ったときに自分自身の性を呪ってしまうのではないでしょうか。
十代の少女にそんな十字架を背負わせたくない、と強く思います。

正直にいいますと、生理の話をおおっぴらにすると、
「はしたない」「恥ずかしい」
と眉をひそめるような方も一部いらっしゃるのでは、とひそかに予想しました。ありがたいことにその心配は杞憂でしたし、みなさまから好意的なご意見をいただけて、とても心強く感じております。
どなたの作品だったか、女性の作家さんのエッセイで、まだレジ袋が有料化する前の話でしたが、コンビニで生理用ナプキンを購入したら普通は紙袋などに入れて中身がわからないようにしてくれるのを、そのときの店員の男性(若い青年だったと思います)は無造作にレジ袋に入れてくれたそうで。
いいぞ、青年、と。その作家さんはなんだかうれしくなったというエピソードを思い出しました。
恥ずかしいことではなく、あたりまえのこと。
佐久田さんのおっしゃるとおり、そういう社会になってほしいですし、そういう方向へ自分も進んでいきたいと思いました。

いつもありがとうございます(*´∇`*)