バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

創世記25章 エサウとヤコブの誕生/長子の特権

豆のスープと長子の特権を交換する?!
あまりに意外な話にびっくりしました^^;
最初はいくらなんでもそんなことはあり得ないと思ったのですが、以前読んだ笑い話みたいなのを、ふと思い出しました。山に登ってへとへとになった人が、「今誰かが自分に一杯の冷たいビールをくれたら世界と取り替えてもいい」と言っていた癖に、いざ下山してビールにありつくと、「ビールの値段が高い」と文句を言うという話なんです…^^
ビールの値段には文句を言えても、交換してしまった長子権はいくら後悔しても、元に戻らないですよね。
これを寓話として考えると、実は私たちはけっこう目先の楽や欲求のために、うっかりエサウと化してしまい、知らずに大事なものを失っていることがあるのかもしれないと思いました。生まれながらに持っているものについては、それが当たり前だと思い込んでいて、大事にすることをつい忘れてしまったり……。長子権を「自由」とか「平和」とかに置き換えて考えることもできるのかなあ、なんてちょっと考えてしまいました。

返信(1)

南ノさん、いつもお読みいただきありがとうございます。
レンズ豆のスープと引き換えに長子の権利を失ってしまったエサウの逸話、一度読んだら忘れられない、とんでもないお話だと思います。
南ノさんが思い出された、登山とビールの逸話にクスッとしてしまいました^^ わたしの夫は登山が趣味で、コロナ前はわたしも一緒に高尾山や霧ヶ峰、三つ峠に登りました。疲れきって山頂で食べるものって、たとえただのカップヌードルでも異常においしく感じるんですよね。こんなにおいしいものは食べたことがない、というほどに。同じくらい空腹だったであろうエサウにとって、パンとレンズ豆のスープは至上のおいしさだったろうな、と想像します。
エサウは、自分の空腹を訴えて、料理を食べさせてほしいと言ったとき、その料理が誰のためのものか、ヤコブに一度も尋ねないのです。父や母のためかもしれないし、客人をもてなすためだったかもしれないのに。
さらに、エサウは野原から帰ったばかりなのですから、狩りで仕留めた獲物を持っていたはずです。しかし彼は、料理の代価として野鳥を差し出す、という配慮もなく、ただ「食べさせてほしい」と要求しています。そんなエサウの無自覚な傲慢さに、ヤコブは腹を立てて、「長子の権利」という、とんでもないものを代価として求めたのかもしれない、と思います。また、二人は双子なので、ヤコブにしてみれば、一緒に生まれたのにエサウだけが優遇された立場で、自分は常にエサウを兄として立てなければならないのは、納得できないでしょうね。

南ノさんのおっしゃる通り、「自由」や「平和」は当たり前のものではなく、一度失ったら二度とは戻らないか、取り戻すには大きな犠牲を払う必要があるものですね。エサウが失った長子の権利には祭司権が含まれているので、エサウは自分で気づかないうちに、神とのつながり(信仰)を軽んじ、もっとも大切なつながりを絶ってしまったと読み取れます。人と人とのつながりも同じで、一度信頼を失ったら取り戻せないものですよね。目に見えない大切なものの価値を軽んじて、自分から手放してしまうことのないようにしたい、とわたし自身しっかりと心に留めたいです。