バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

ファンレター

短編集なのだと再認識

「聖書の書き手が価値ありと判断したから、二つの創造物語が書き留められ…」。なるほど! 物語が作られた年代が違う可能性があるのですね。ヘレニズム思想が広まった時代の物語の方がメジャーになってしまったというのは、聖書が権力者に都合よく利用されてきたことを思わせて感慨深いです。フェミニスト神学という世界があることにも驚き! 宗教の世界にもジェンダーの波は押し寄せるのですね。
パウロにとって、キリストの出現はそれだけ衝撃的だったんですね。価値観がひっくり返るって、なかなかないことだと思います。
勉強になります。次回も楽しみにしていますね!

返信(1)

あおぞらさん、お読みいただきありがとうございます! 「物語が作られた年代が違う可能性がある」というのは、おっしゃる通りです。旧約聖書はヘブライ語の文体や語彙の特徴から、おおむね三段階に分けられると言われています。
①古代詩文(ダビデ王朝以前):モーセ五書、申命記・サムエル記・士師記の一部
②ダビデ王朝時代~バビロン捕囚前(紀元前1000年~紀元前500年頃):モーセ五書、ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記、詩編の一部
③捕囚時代~第二神殿時代(紀元前500年~紀元前200年頃):エズラ記、ネヘミヤ記、歴代誌、ダニエル記、エステル記、伝道の書、ヨナ書、ルツ記、詩編の一部

③の時代に書かれた部分には、ヘブライ語の語彙にアラム語(当時の世界共通語)やペルシャ語からの借用語が見られるのだそうです。バビロン捕囚時代の名残りが文体から分かるって面白いですよね!
創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はモーセ五書と呼ばれていて、伝統的には「モーセが一人で書いた」説が信じられていました。しかし、12世紀にユダヤ人の聖書学者アブラハム・イヴン・エズラが初めてモーセ著者説に疑問を呈し、モーセの死後の出来事が五書に記されているという矛盾を指摘しました。それから19世紀になってヨーロッパで聖書の批判的研究がさかんになり、モーセ五書は四つの文書資料から編集されている、という「四資料仮説」がドイツの神学者によって提唱され、今では最も広く受け入れられている仮説となっています。文体と語彙の特徴から、J資料、E資料、D資料、P資料と呼ばれていて、最初にJとEが統合され、次にJEとPが統合、最後にJEPとDが統合され、モーセ五書が成立したと考えられています。
あくまでも仮説なんですが、創世記1章27節の男と女が同時に創造された部分は、P資料が伝える創造物語(バビロン捕囚時代に書かれた?)と言われていて、創世記2章21-22節のあばら骨から女を造ったとされる部分はJ資料(ソロモン王の宮廷で書かれた?)と言われています。この仮設に基づけば、ヘレニズム時代よりも前にすでに二つの創造物語があったわけですが、女性が男性の所有物であった時代に、男と女が同時に創造されたという物語が書かれていたことはすごいですよね。パウロはユダヤ人でしたが、ローマ市民権を持っていて、ギリシャ語を話せて、ヘレニズム世界に伝道しました。パウロやパウロの弟子たちは当時の常識であったヘレニズムの女性観に基づいて、創造物語を読んだのでしょうね。
フェミニスト神学者と言えば、メアリー・デイリーやローズメアリ・ラドフォード・リューサーが有名です。近年ではサリー・マクフェイグがおすすめですが、残念ながら邦訳されていません。
キリスト教社会で長い間、アダムが先に造られたから女性は男性に仕えるのが当然だと理解され、すべての罪は女性から始まったのだからと、女性を男性よりも下に扱ってきたのは歴史的事実です。こうした男性中心的な聖書の読み方は、克服していかなければならないとわたしも思います。
女性は男性に従順に従うべき、女性はでしゃばらず静かにしているべき、という考え方の持ち主は現代でもたくさんいますね。男性の下に女性をおく考えの持ち主は、聖書の中から自分にとって都合の良い言葉だけを抜き出して、読んでしまうのかもしれません。
同じように、アメリカ南北戦争時では、北軍も南軍もそれぞれの教会から従軍牧師が協力しました。奴隷制をめぐって、南軍側は聖書で奴隷を認めていることを自分たちの正当性の根拠とし、北軍側は聖書に神の前で万人が平等であると書いてあることを奴隷制反対の根拠としました。同じ書物を読んでいて、同じ神を信じているのに、それぞれが全く違う主張をして、自分たちの正しさを信じていたのです。不思議ですね。ちなみに、旧約聖書で書かれている、古代の慣習としての奴隷は戦争や債務によるものであり、肌の色とは無関係なんですが…。
次回はノアの箱舟のお話です。引き続き楽しんでもらえるとうれしいです! よろしくお願いいたします^^