有機交流電燈 ダイアローグ

作者 mika

[社会・思想]

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24件のファンレター

☆NEW!!☆第10話、第11話 チャット版にリライトしました。
好奇心旺盛な社会科研究部の仲間たちが語り合う、そんな日常風景をお届けします。
映画、絵本、民話やおとぎ話、音楽、時事的な話題など。

※表紙はAdobe StockからFranzi Drawsさまの作品を使用させていただきました。


ファンレター

何をもって「カルト」とするか

mikaさん、こんばんは。
私も安倍さんの銃撃事件はショックで、カルト宗教って何だろうと改めて考えました。なかなか答えが出ませんでしたが、mikaさんの論考のお陰でちょっと見えてきたかも……やっぱり外部の人間を否定、敵視するとか、マインドコントロールするとか、一応の指標はありそうですね。
だけどそういう団体を支持する人が少なからずいるというのが、またショッキングな事実です。動物として身を守るという本能が人間にも残っているためでしょうか、少数の仲間以外はみんな敵に見えてしまうという瞬間は多くの人が経験しているようですね。カルト教団はそういう「人に言えない本音」を正当化してくれる存在なのかも、と思ったりします。
もっと人に優しく、寛容な社会になることを切に願います。mikaさんのお気持ちが、多くの人に伝わりますように!

返信(1)

あおぞらさん、こんなコメントのしづらい話題にお付き合いいただきまして、どうもありがとうございます!
わたしも事件があってから、統一教会やサンクチュアリ教会、その他の新宗教について思いをめぐらせていました。
紹介したドキュメンタリーのなかで、社会学者のステファン・ケント博士は、統一教会がカルトとみなされる理由は「全体主義」であるから、と説明していました。
全体主義が危険であることは歴史が教えてくれますよね。でも残念ながら、一般の人々が選挙で全体主義の政権を選んできたのも事実です。
「だけどそういう団体を支持する人が少なからずいる」とあおぞらさんがおっしゃる通り、全体主義の集団に属していることで、心の落ち着きや安心感が得られる人々が多いのかもしれませんね。
最近、ミヒャエル・エンデの『自由の牢獄』という大人向けの童話を読みました。神は「自由意志」という素晴らしい贈り物を人間に与えてくださったけれど、人間はその自由を自分の意志で捨ててしまう。自由を行使しない自由を自分で選んでしまう、という寓話でした。

野球などのスポーツ集団とカルト宗教集団との類似性を検討した論文を読んで、全体主義の性格をもった集団というのはわたしたちのごくごく身近に存在するものなのだ、と思い知らされました。
スポーツ集団とカルト宗教集団は、基本的な構造(目的達成のために邁進する集団生活、指導者に絶対服従、構成員間の階級制)が類似しているのだそうで、言われるとたしかに! と思います。
宗教集団では目的が精神的な幸福(来世的幸福、罪の浄化、高位の霊格に進化など)に対して、高校野球の集団では甲子園での勝利を目的としています。
カルト宗教集団の内部で反社会的行動(差別や暴力)を「正しいこと」と認識するように、スポーツ集団においても反社会的行動(指導と称する暴力、暴言、体罰、いじめ)が「目的達成のために必要な指導、先輩として正しい振る舞い」とみなされてしまう。
「3年生は神様、1年生は奴隷」というような極端な上下関係に対して、構成員はそれをおかしいとは思わないのです。
カルト宗教集団に1億円献金した信者さんだって、精神的な目的達成のために邁進しているだけで、当人は被害者であるという自覚がないでしょう。

一番問題なのは、被害者が被害者としての自覚がないこと、被害者自身が反社会的行動を集団の意志として許容してしまうことなのかなと思いました。
今回、聖書を根拠とする献金の話を書きましたが、この記事が当事者の目にふれて、過剰な献金に対する疑問を少しでも持ってもらえたらと願っています。
この件については、引き続き学んで、考え続けていきたいと思います。お読みいただき、どうもありがとうございます。