桐一葉

作者 桐乃桐子

[日記・個人ブログ]

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57件のファンレター

梧桐一葉落天下盡知秋

(アオギリの一葉が落ちて天下の秋を知らせる。)

ファンレター

42、43,44話

【42話】虐待サバイバーとしての体験が冷静に綴られていました。
綴られたのは、ごくごく一部の出来事ですよね。でも自分の傷を見つめ直す行為は、かなり消耗したと思います。
桐乃さんの母親は、外で調子がいいだけの幼稚で野蛮な人間に感じました。疎遠になってよかったと心から思います。

今回非常に刺さったのが、虐待の加害者と同様に被害者を追い詰めるのは、周囲の無理解だということでした。
近所の人は、母親の失態を幼い桐乃さんに被せてつまはじきにする。そして周囲の大人からの「血の繋がった親子なんだから許してあげなさい」という言葉の暴力が許せなかったです。
被害者の気持ちを踏みにじる無神経さ、想像力の欠如たるや。他者を理解しようという気がさらさら無いから、自分の貧弱な尺度、埃を被った知識でものを言う。そして自分ではいいことを言ったつもりになって酔っている。つまり自分が気持ちよくなりたいだけ。
こういった無理解は、被害者をさらに絶望させ、孤独にすると感じました。
ラスト、さり気ない語りの中に桐乃さんの深淵を見た思いです。

【43話】「親しくしていただいている方のエッセイ」もしかして私のことですか?胸熱!!
後半、虐待により学校が避難場所になっている子どもたちに思いを馳せました。
コロナ禍で登校できないとき、窮地に立たされた子どもがたくさんいるのでしょうね。親も在宅が続くとイライラして面前DVも増加していると聞きました。
それから虐待されている子は自己評価が下がり判断能力も低下するので、確かに逃げるという選択肢が奪われますね。そしてヤングケアラーにも繋がるけど、子どもが家族のために犠牲になる……昔はこういった話は「美談」になったりしましたね。もうそういった「美談」は解体して欲しいと思います。

【44話】知らない話だったので、興味深かったです。でもそうやって楽して稼ごうというマインドの人は、どこかで大損するイメージが私にはあります。(笑)メルカリでもなんでも副業となって収益がでたら、ちゃんと確定申告して税金を納めて欲しいものです。^^;

ついつい夢中になってしまいました。どれも深く考えさせられる回でした!

返信(1)

佐久田さん、立て続けにアップした日記をぜんぶ読んでいただいて、ありがとうございます! 感激です~。
しかも、わたしがぼんやりといいたかったことをスパッと的確に表現してくださって。そう、そうなんですよ~! とスマホを握りしめて思わず叫びそうになりました(笑)

こどものころは、周囲のおとなたちから母親の肩を持つような発言をされるたびに、
「なんか理不尽だな」
と思いつつも、わざわざ反論するのも面倒であいまいに受け流してきたのですが、自分がいい歳をしたおとなになったいまでも変わらずに「理不尽だな」と思います。たぶん一生忘れません。
佐久田さんのおっしゃるとおり「言葉の暴力」そのものだと。
血の繋がった母親より、血の繋がりのない父親のほうが、わたしにとってはよっぽど肉親なのですが。
そういう手垢のついたいかにもな文言を平気で口にするようなおとなにはなるまいと、ある意味、反面教師にはなってくれました(^^;)

これまでにも何度か書いてきたので重複してしまいますが、性犯罪の被害者に対して
「あなたに隙があったんじゃないの」
「そんな格好をしているから」
「抵抗すれば逃げられたんじゃないの」
「どうして助けを呼ばないの」
というような、まるで被害者側に落ち度があるかのような発言を平気でするひとたちのことも、いったいどういう神経しているんだろう、とずっと苦々しく思っていました。
説いて聞かせるべきなのは犯罪を犯した加害者側なのに、心身ともにズタズタにされた被害者の傷口に塩を塗り込むようなことをよくいえるな、と。
そんなのいわれるまでもなく、被害に遭った本人がいちばん自分を責めているのに。そんな心ない言葉を投げつけるなんて、鬼や悪魔のほうがまだ慈悲があるのでは、とすら思えてしまいます。

そして、労働力として家族に縛られるこどもたちのことを、
「偉いね。お家のひと、助かるね」
みたいにいう周囲のおとながわたしはキライです。
「本来、保護されるべきこどもが、保護者のために時間や労力を搾取される」のを「偉い」と評価するのはズレていると思うし、それを「美談」とする価値観が、わたしには気持ち悪く感じられてしまうのです。
佐久田さんと同じく、わたしもその古い価値観はもう解体してほしいと思います。
わたし自身、父子家庭でしたので、小学生のころから帰宅後は洗濯や簡単なごはんの支度、その他もろもろの家事をやっていましたが、それは必要だからやっているだけで「偉い」わけでも「美談」でもありません。
のちのち自活するには必要なスキルなので習得しておくに越したことはないですが、しなくてもいいという選択肢があるのとないのとでは、また違います。
まんがや小説などの物語で、高校生くらいの主人公が家族のために家事いっさいを取り仕切ってこなしているのを読むと、けなげだなと思いつつ、そうすることが主人公自身の存在意義のようになっているのなら、つらいな、とも思うのです。
やらなくてもいい状況で本人が好きでやっているのと、自分がやらなくては親に負担がかかるといった環境で必要に駆られて取り組むのとでは、やはり違うと思います。
周囲のおとなたちに、そのことに気づいてほしいと思わずにはいられません。
「偉いね」と褒めているつもりでも、それがこどもの選択肢を潰しているかもしれないことに。

そうなんですよ、メルカリなどのフリマの収入でも、それによる所得がたしか年間20万を超えたら確定申告が必要だったと思います。
あと、古本屋に本を売るのとは違って、本格的に個人で中古品を販売する場合は古物商許可申請をしなくてはならないとか。このあたりはグレーゾーンで、許可を得ないままやっているひとも多そうです(^^;)

【追伸】
親しくしていただいている方のエッセイ、もちろん佐久田さんのことです! 作中にお名前を出すのは控えたほうがいいのかな、と思い、遠回しな表現になりましたが、お察しいただけてうれしいです~(〃ω〃)
そして、先日のコメントにいただいたお返事で、学校よりも社会人になってから年齢の異なるひとと接するほうが楽、とおっしゃっていたの、わたしもそうなので、まじでわかりみが深いです。
あと、削除なさったのですね。わたしも怒りの発露にはかなり時差があります。文章に書くことで感情の整理ができますよね。気持ちが落ち着かれたのならなによりです~(*^^*)

長々と持論を展開してしまってすみません(>_<")
さらっと読み流していただけたらしあわせます。
いつも気持ちがいいくらい直球ど真ん中に届く的確なおことばの数々、ありがとうございます! 感謝です (*´∇`*)