バイブル・スタディ・コーヒー ~スラスラ読める! 聖書入門

作者 mika

[歴史]

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バイブル・スタディの仲間たちの会話をちょっとだけ覗いてみてください。
寝ころんでスラスラ読める! 「物語」がわかれば、聖書は楽しい。
聖書を最初から最後まで読み通すのは大変です。途中でいやになってしまうことも珍しくないでしょう。
なんとなく難しそうでも、聖書のことばの向こうには、豊かな歴史と文化が広がっています。
どなたでも、実際に聖書を読んでみようというかたのお役に立てればうれしいです。


アイコンはTopeconHeroesダーヤマ様の「ダ鳥獣戯画」より使用させていただきました。

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過酷な追放

革袋の水が尽きたら死を覚悟……砂漠への追放というのは、本当に残酷な刑ではないでしょうか。グエルチーノの絵画、泣いている子供の姿が切なくて、何ともやり切れない気分になります。
それにしてもサラという女性は、そもそも自分から夫にハガルを勧めて子供を産ませたんですよね? 親子には前にも意地悪をしていたし、今度はほとんど死と同義の追放を言い渡す。日本人としては因果応報の考え方をしがちなせいか、サラに罰が下って欲しいなどと考えてしまいます(笑)。
でも結果としてイシュマエルは民族の祖となれたんですね。アラビア半島に居場所を見つけられて良かった。少しほっとしました^^。

返信(1)

あおぞらさん、いつもお読みいただきありがとうございます。
グエルチーノの絵では泣いているイシュマエルが悲しいですよね。しかし、ヘブライ語対訳聖書の注釈に従うと、追放された当時のイシュマエルの年齢は17歳なのだそうです。古代社会で17歳と言えば、成人として扱われ、一家の働き手であり、いつ結婚してもおかしくない年齢です。
一方、グエルチーノの描くイシュマエルは10歳くらいに見えますね。ハガルとイシュマエルの追放を題材とする名画はとても多いのですが、どの画家もイシュマエルを幼く描いています。アドリアーン・バン・デル・ヴェルフの作品では、イサクとイシュマエルがほぼ同年齢、年齢差1~2歳に見えます。後世の画家たちがこぞってイシュマエルを10歳未満で描いているのは、母子の追放をより悲劇的に演出するためと思われます。

荒れ野で革袋の水がなくなり、死を覚悟したハガルが「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」(創21:16)と言います。母親であるハガルの視点では、イシュマエルは何歳になっても「子供」と言っています。その後、ヘブライ語では「神はその若者の声を聞いた」(創21:17)と書かれています。聖書の視点がハガルから神に移り、神はイシュマエルを「若者」と呼んでいるのです。つづく御使いの台詞も「恐れるな、なぜなら神はあそこにいる若者の声を聞いた」(創21:17)と書かれていて、イシュマエルを「若者」と表現します。創世記21章を通して、ハガルの視点ではイシュマエルを「子供」、神と御使いの視点ではイシュマエルを「若者」と一貫して呼んでいます。なので、イシュマエルが客観的に見れば、幼い子供ではなく、立派な「若者」であったと言えます。
ただ、この「子供」と「若者」の使い分けは、新共同訳の日本語では分からないのです。新共同訳では神と御使いの台詞でも「子供」と訳していて、イシュマエルの呼び方を「子供」で統一しています。「子供」と「若者」で訳し分けなかったのは、おそらく読者に分かりやすくするためだと思います。そのため、日本語だけで読むと、追放された時のイシュマエルが幼い子供のように誤読してしまうかもしれないです。
神の手助けは、ハガルの目を開いたことだけです。目が開かれ、水場が分かるようになったおかげで、ハガルとイシュマエルは命をつなぎました。逆に言えば、水の問題さえ解決すれば、荒れ野をサバイバルする力がある、すでに立派な若者だったということになりますね。

創世記17章の時点で、アブラハムは跡継ぎはイシュマエルだと決めていました。イサクが生まれたとしても、立派に成長したイシュマエルの「長子の権利」は揺るがないでしょう。
イサクにはその後、エサウとヤコブの二人の息子が生まれるのですが、同母兄弟であったにもかかわらず、母親は次男をひいきし、どうにかしてヤコブを「長子」にしようと画策します。それで、ヤコブは兄エサウになりすまし、老いで目の見えなくなった父をだまして、「長子の祝福」を得るのです。長子の権利をめぐる兄弟の争いは、年齢が近いとこのような狡知を用いたものになるようです。一方、サラにはヤコブがとったような狡知は使えません。イサクは10歳以上の年齢差を覆すことはできないからです。だからサラはかたくなにイシュマエルを追い出そうとしたのでしょうね。
古代のイスラエルの民にとって「長子の権利」というのは非常に重要だったようです。単に財産の相続だけでなく、祭司の役目(家族に祝福を与えたりできる権能)を相続するのだそうです。本来は、イサクとイシュマエルの二人ともが祭司権を持つことはありません。しかし、追放されたことで、イサクはユダヤ人の信仰の祖となり、イシュマエルはアラブ人の信仰の祖となります。兄弟二人とも祭司として立つのです。
神がアブラハムにイシュマエルを追放させたのは、サラの言いなりになったからではなくて、イシュマエルを独立させるためだったのではないか、と思います。神の意図は追放ではなく、独立であったと考えるなら、この物語をすんなり理解できます。イシュマエルの年齢的にも、父の家を離れて新しい家を興すのにふさわしいと言えます。

次回はアブラハムがアビメレクと再びトラブルになってしまいます。引き続きよろしくお願いいたします!