第8話 隔(へだ)たり

文字数 2,642文字

 トー横も朝晩だいぶ冷え込むようになった。いくらお喋りが楽しくても、客待ちの必要があっても、外での夜通しは厳しくなってきた。お風呂もネカフェのシャワーよりも浴槽が恋しくなる。そこで大人気なのがラブホのお風呂。結構デカいしバブルバス機能なども充実している。
 6人でお金を出し合ってラブホでの2時間、たっぷり湯船を堪能する。キャッキャッと騒ぎながらで修学旅行のイメージかな。あちこちのラブホを見て廻り、浴槽の(番付)まで出来上がった。
「今度みんなで箱根に行かない?本物の温泉だよ。 新宿から小田急ロマンスカーで、1時間で行けるってさ。慰安旅行を兼ねて」
 あんが提案する。
「それ、いいね。むかし家族で言ったことがある。山の上には湖があって、白鳥ボートに乗ったよ。ひとり1泊15000円あればなんとかなるんじゃね。ご馳走も食べられるし…」
 琴音は乗り気だ。皆も眼を輝かせている。幹事役があんで本決まりとなった。厳しい生活の中での楽しみ事のひとつとなった。

 さて、香雅里と悠馬は品川駅で落ち合ってアクアパークに向った。香雅里はいつもの地雷メイクを控えめにして、琴音に借りた中学生らしいダッフルコートを着て来た。ただ、厚底はそのまま。悠馬は遥かに背が高い。
 この施設は、休日には結構な賑わいを見せる。カップルだったり、家族連れだったり。都会の真ん中に水族館とは珍しい。入場料も映画館とさほど替わらない。
 淡水魚から海水魚コーナーへと展示はつづき、いよいよ人気の海獣(イルカ・アシカなど)コーナーに繋がる。最大の見せ場は、天窓から光が差し込む「ドルフィンパフォーマンス」の時間。イルカたちの乱舞には眼を見張るものがある。
 アッと言う間の30分だった。鳴りやまない拍手のあとで出口に向かおうとする香雅里を悠馬が制した。
「実は『イルカにタッチ』を申し込んであるんだ。香雅里が歓ぶと思って」
 水槽脇には20人ほどの人の列が出来ていた。悠馬に誘われるままに、列に並ぶと、ほどなくして、女子飼育員がイルカの元へ案内してくれた。
 イルカの肌は想像とは違い、柔らかくて温もりが感じられた。香雅里は悦びの眼差しを悠馬に向けた。
 香雅里はチケットを受け取っていた女子飼育員に思い切って尋ねた。
「あの、どうしたらこの仕事に就けますか?」
「あ、イルカの飼育や調教のことね」
「はい」
「だったら、2年生の動物飼育の専門学校があるから、そこに通うのがはや道かな」
「あのう、専門学校って、中卒では入れないんでしょうか?」
「よく分からないけど、たぶん高卒か同等の資格が必要じゃなかったかなぁ。同級生に中卒はいなかったから…。頑張ってみてね!」
 香雅里は丁重に礼を陳べて悠馬の元に戻った。
「そろそろ高校のこと、考えなくちゃいけないね」
 悠馬はポツリと呟いた。
 そのあとは近くのカフェでお茶をして付近を散歩することになった。この近くは国旗をはためかせている各国の大使館などが多くて、歌舞伎町とは全く別の世界だった。秩序だっていて静寂。
 香雅里は、
「手を繋いでもいいよ、悠馬君」
 男女が並んで歩くと腕のやり場に困るものだ。
 パパ活で慣れていた。パパたちは手を繋ぎたがる。ただし、有料で2000円なり。悠馬は照れくさそうに香雅里の手を握った。
 一瞬、ふたりの気が交錯した。それは、トキメキといっていいものだった。
 ほどなく神社の前に出た。長い石段が続いていた。
「記念にお詣りして行こうよ」

 それはそれは長い石段を上り詰めて、振り返ると、眼下に絶景が拡がっていた。建ち並ぶビルを抜けて遠く東京湾まで見渡せた。
 社に賽銭を投げ込むと、祭壇には「饒速日命(ニギハヤヒ)」と記されていた。歌舞伎町の神社で観た神様の名前だった。
「いい眺めだね」
「うん、東京にもこんな場所があるんだね」
 2人はいたく感動していた。それは高ぶる鼓動の表現なのかもしれない。
「悠馬君、今日はありがとう。ショーは素敵だったし、おまけにイルカにも触れられて嬉しかった。将来の目的も見つかった。わたし頑張るよ、どんなに辛くても」
 悠馬はただ頷いていた。

 帰り道、品川駅に向かう裏路地で、4人の若者が路を塞いでいた。香雅里は経験上、この手の人間は悪さをすると知っていたので、悠馬の手をひいて、来た道を戻ろうとした。ところが、連中は足早に追いかけて来た。

「ほう、チュウ坊のくせして、お手て繋いでいいご身分ですね」
 4人は薄笑いを浮かべている。
「彼氏と彼女は、追剥(おいはぎ)って、知ってるかな?」
「通行料を出せってことだよ。財布に入ってるだけだでいいや。断ると痛い目にあうぜ」
 ひとりが右手にナイフをチラつかせている。
 ズブの素人の悠馬に怪我を負わせる訳にはゆかない。彼はバスケだけしか知らないただの中学生だ。香雅里は奥の手をつかった。歌舞伎町じゃなくても効くのかどうか自信はなかったが、素早くポーチから1枚の名刺を取り出した。
「こらこら、兄さんちたち、子供相手に節操がないんじゃないですか」
 そう、れいを真似て落ち着いた口調で言い放ち、筆頭格の若者に手渡した。
 それは黒地に目立つ金文字で、
   関東連合〇組 若頭 田之上達也 
 と記されいて、裏面にはホワイトで、
  このネイちゃんに手を出すとシパクぞ !
 と威勢のよい文字が描かれていた。
 若者はなんだとばかりに名刺を眺めていたが、ひとりが、
「これヤバいっすよ。この田之上ってやつ、こいつ『狂犬』って仇名(あだな)がついてるワルっすよ。過去に3人殺(や)ってるって噂です」
「ナンだ、ネイちゃん、オマエ歌舞伎町で稼いでるんか?」
 香雅里が仕方なく、返事をすると。
「なんだそれを早く言えよ。いまお仕事中ってなわけか…
 それじゃ、あばよ」
 4人はアッという間に去って行った。
 けれど、当たり前のことだけれども、それからは香雅里と悠馬、2人の間にすきま風が入った。品川駅のホームで、サヨナラを言うまで、離れた掌は2度と結ばれることはなかった。
香雅里は山手線外回り電車の中で、沸き上がって来る嗚咽を必死に堪(こら)えた。いつしか、悠馬は遠く離れた存在になってしまった。歌舞伎町で稼ぐとはそういうことなのだ。
 香雅里は無性に母親に逢いたかった。
 
 と、その時LINEが入った。
 ひょっとして悠馬からなの、縋る想いで着信を追ったが、違った、琴音からだった。
「れいが刃物で刺された。血だらけだよ、たいへん、何処にいるの、早く戻って来て!」
 


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