第6話 何故?

文字数 1,013文字

「中村君、稟議書出来た?」 
 或る連合会の事務所。職員の産休代行要員として派遣されている中村に吉村主任が聞いた。所属組織から上げられて来た報告書の不備をリストアップし、一覧表の作成と是正再提出の依頼を作成する業務を中村は任されていた。
「え、もう少しです、はい」
 そう答えると吉村が席を立ち、中村の横に立ってツールを開いて、見た。
「他のタスクも溜まってるんでしょ。このままでいいから、保存して私のホルダーに入れといて」
 吉村は、そう指示して自分の席に戻って行った。

 中村は二十八になるが、派遣の仕事を繰り返していた。普通、派遣に任される仕事は単純労働で、多くはマニュアル通りにやれば誰にでも出来る仕事だ。逆に、マニュアルから外れた処理や個人の判断で変えることは許されない。つまり、人間でありながらAI以下の単純な作業しか任されない。それが通常である。

 ところが、この連合会では、産休要因として派遣されたものにも、職員と同等の業務が任される。当然と言えば当然なのだが、中村はそんな職場に派遣されたのは始めてだった。
 個人でもPCはいじっていたが、業務で使われるツールの操作は殆ど分からなかった。

 最初は、退職した職員の身分証のOCRでの読み取りなど、ごく単純な作業からやらされたが、馴れるに従って徐々に業務の幅も量も増えて行った。稟議書まで作成し、決裁を受けて最終的に一つの案件を終わらせるまでの業務を任されるようになったのは良いのだが、実は、中村の中では、処理能力いっぱいとなり、遅延が常態化し始めていたのだ。

 この職場では、振られた業務の進捗状態を細かくチェックされ、いちいち叱責や叱咤を受けることは無かった。分からないことは、聞けば誰もが親切に教えてくれる。パワハラなどとは全く無縁の職場だった。
 中村が指示によって処理途中の案件を吉村のホルダーに移したのは金曜日だった。週明けの月曜日、
「中村君、あの案件、確認して決済取って」
 朝一で吉村にそう指示された。見ると、デスクトップに例の案件のファイルが落とされている。開くと全ての処理が終わっていた。
「有難うございます」
 吉村に礼を言って、中村は稟議書の印刷に掛かった。、

 中村は職場環境の素晴らしさに感嘆していた。ところが、数週間後天と地がひっくり返った。或る日曜日、NETで誹謗中傷を繰り返していた女が逮捕されたと言うニュースが流れ、その女とは、なんと吉村主任だったのだ。
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