第5話 自殺教唆

文字数 1,004文字

 三面記事の隅に、末期癌患者の飛び降り自殺の記事が小さく載っていた。

 前日のこと、
「なるほど、貴方はご自分の人生に悔いが有ると言うことですね」
 セラピストが念を押す。
「ええ、余命半年と宣告され、いろいろ考えました。治療して助かるのであれば、どんな苦痛にも耐える覚悟もできます。しかし、助からないのであれば、抗がん剤の副作用に苦しむ日を長くする意味ってなんですか?」
 男は、そう問い返す。
「余命三ヶ月と宣告されたのに、結果として何年も生きている方もいます。何が起こるか分からないものですよ。確率は低くとも、希望を持って治療を続けると言うのは一つの方法です。生きようとする意思が治療に影響すると医師に聞いています。生きようとする意思の弱い人は治療の効果が上がらないとも言います」
「必ず治すと強い意志を示しながら、やはり癌に負けた人も、有名人を含めて、何人も見ていますよ」
 男はきっぱりと、そう言った。
「そう思われるのなら、もう一つの選択肢は、ホスピスですね。痛み緩和を治療の主眼に据えて、残された日々を如何に穏やかに過ごすかを考える。どちらを選ぶかは、もちろん、貴方次第です。……しかし、貴方は人生に悔いが有ると仰る。このままでは死に切れないと言うことですか?」
「はい。ここへ来て、日に日にその思いが強くなって来ているのです」
 カウンセラーは少し微笑んで言った。
「貴方だけではなく、誰でもそうじゃないんですかね。我が人生に悔いなしと胸を張って言える人は、そんなに多くは無いと想いますよ」
「ええ、分かっています。しかし、人生の大きな分岐点で下した判断が間違っていたことが、どうにもならない悔いとなって残っているんです」
「そうなんですか。しかし、時を戻すことは出来ません。出来るのはその悔いる気持ちを緩和することだけですね。そうして、少しでも穏やかな気持ちとなって余生を過ごすことじゃ無いですか。もちろん、私はセラピストとしてそのお手伝いが出来ますし、他の方法、例えば宗教とかを希望されるのであれば、私は、それも否定しません」
「気休めや曖昧なものに頼る気持ちは毛頭有りません。どうしても、あの時に戻って正しい判断を下したいんです!」
「そんなに強く願われるのなら、一つだけ方法が有ります。病死を待たず、あなた自ら自分の命を絶つ。そうすれば、貴方はもう一度人生をやり直すことが出来ます。信じるか信じないかは貴方次第です」
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