第1話 道化者

文字数 1,013文字

「クックック」
 親指で自分の鼻を上に押し上げながら、夏菜は豚の鳴き真似をする。
「バァカ。何やってんだ、お前は」
 幸喜はそう腐す。夏菜はその言葉を気にするでもなく、今度は頭の天辺に軽く握った拳を乗せ、結んだ口を膨らませて、
「ウォッホ、ウオッホ」
と言いながら、腰を落として足を開き、その辺を回りながらゴリラの真似をする。それを見て、五、六人の子供たちは、腹を抱えて笑い転げる。

 夏菜はそんな風にいつも皆を笑わせてばかりいる道化者だ。一応、女の子なのだが、気取ったり可愛い子ぶったりすることは一切無い。良く日に焼けた黒い顔。リボン一つ結ばないラフな短い髪。目が悪いので、いつも眼鏡を掛けている。

 夏菜は釣りが好きだ。その日も男の子三人ばかりと海岸の岩場に立って釣り糸を投げていた。
「へーい、また釣れた。アタシ天才だね」
 夏菜は釣り竿を上げ満面の笑みを浮かべている。竿の先は大きくたわみ、釣り糸の先で十センチほどの魚が躍っている。
「ねぇ、取って……」
 例によって、夏菜は幸喜に魚を釣り針から外してくれるよう頼んでいるのだ。
「自分で取れ!」
 幸喜は一応そう言ってみる。
「やだ。取って……」
 いつもの事だ。夏菜は釣り好きなのだが、魚も餌もさわれないのだ。
「面倒くせえな」
 そう言いながらも幸喜は、夏菜が竿を回して、釣り糸を目の前に持ってくると、躍っている小魚を針から外し、側に置いてあるバケツにいれた。そして、餌箱からゴカイを一匹つまみだして、夏菜の釣り針に付けてやった。そして、
「面倒くせえヤツ」
と言いながら、餌を付けた釣り糸を放す。
「ヤッホー」
 満面の笑顔を見せて夏菜は、餌の付いた糸を投げた。口では文句を言いながらも、幸喜は夏菜の我儘を内心嬉しく思っていた。
 実は気付いていた。ふざけてばかりいる夏菜の眼鏡の奥に有る目は大きく澄んでいる事を。形の良い鼻や口が逆三角形の顔の中に、バランス良く配置されている事を。そして、人気は有るが道化者として扱われている夏菜が、実は美少女であることを。或いは皆気付いているのではないかとも思う。気付いていながら皆、夏菜を道化者として扱っているだけなのだ。

 中学になりコンタクトを使うようになった夏菜。誰もが美少女と意識し始めた。仲良しの子がファッション雑誌に夏菜の写真を送り、なんとモデルとして採用されたと言う。

 十一年後、トップ女優となった夏菜の人気ドラマを観ながら、幸喜は小さくため息を突いた。
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