五十一頁 残滓③
文字数 1,384文字
「美味しい?」
「美味い、けど、なんだか柔らかい水を食ってるみたいだ」
甘いものは好きだから、食べたことのない食感なんだろうなあ、と秋人は苦笑した。お昼を食べた時も、釜飯の釜に興味津々だった。こういうところは素直なのに、と思う。秋人は改めて快慶に向き直った。
「三上浩乃さんのこと、伺ってもいいでしょうか」
快慶は頷き、ラップトップを持ってきて傍らに置いた。
「あまり顧客情報を使いたくはないんだが、警察が噛んでいては仕方ない」
「ご存じだったら、何故最初に接触されなかったんですか?」
「三上の家につながる顧客は複数いるのでね。誰が密会に関わっているのかも定かではなかったしな」
どうやら玄人客の間で快慶のつくるものはかなり有名であるらしい。これだけの審美眼と腕前なら当然だろうが、秋人は気後れする。ナイツというのは余程才能に恵まれた人間の集団ではなかろうか。ウロが卑屈になるのも頷けるし、自分みたいな凡才がやっていけるのか大いに心配である。そんな秋人の様子を知ってか知らずか、快慶は唇に指を当てて一人ごちるように言った。
「三上浩乃夫人は清根さんの紹介だな、清根さんの代理で来ていたのだが」
「……お二人は親子です」
「そう言っていたね。だが両親は婚姻関係になく、親子というより使役関係のように見えた」
「使役関係、ですか」
「そう、そして使用人がわりに七坊へ送られたのだと思う。冬原結花夫人がまだ旧姓七坊の頃、彼女のために私とやりとりをするようになった」
「つまり清根さんは七坊家の娘に、自分の娘を仕えさせたっていうことですか」
なんてことだろう。秋人はやるせなさに震えそうになったが、隣りのウロも青白い顔をしていた。金環の瞳だけが妖しく輝いている。恐らく清根と浩乃の間には、あまり温かな親子の情は存在しなかった。自分を捨てた浩乃の父親とその原因となった七坊家を清根は恨んでいて、浩乃は己れを顧みない母親を疎ましく思っていたろう。その上、七坊家に送られるとはなにかしら意図があったと勘ぐらずにはいられない。
「分かりませんね、その上恋人だった冬原廖庵と七坊結花が結ばれても、浩乃さんは何を守ろうとしているんでしょうか」
動揺のあまり言ってしまって、秋人は顔を覆いたくなった。が、ウロは少し驚いたようにこちらを見ているだけで、表情が戻ったようだった。快慶が溜息を吐く。
「個人情報を暴露しているのはこちらもなので、何とも言えないが、そうだったのか」
「ええ、その……冬原寥庵は、三上からの支援を得るために、浩乃さんを宏輝さんに”渡した”のだと言う人たちがいるそうで」
秋人は心の中で紫織に謝った。ここまではそういう噂話があるということにしておけばいいが、紫織が本当は自分が寥庵と浩乃の娘なのではないかと悩んでいることまでは、言ってはいけない。おぼろな光を戻したウロの視線が俯き、ぼそりと呟いた。
「浩乃はそれでも、今の家族を愛していると思う」
今回の事案について、ウロがどう思っているか、秋人は初めて耳にしたような気がした。秋人の泣き言を叱り、マリーと口論し、己れについて謝り続けているのを聞いてはきたが、三上浩乃と家族の立場について何か言ったのは、これきりだった。