第12話 ここは単なる通過点 1

文字数 1,565文字

 私の家は、わりと裕福だった。
 タワマンとまではいかないけれど、駅近のマンションの最上階に住んでいた。私と、一歳下の弟は小学校から私立に通っていた。年に一回は、家族そろって海外旅行もしていた。
 専業主婦の母は家事が得意で、凝った美味しい食事、シンプルだけどセンス良く整えられた部屋、それらが当たり前のことだった。
 母は、家にいるときも髪を巻き、化粧をしていた。同じような奥様たちを招き、お茶会をしていた。そこでは上品な口調でその場にいない人の悪口を言うのが恒例だったので、私はあまり好きじゃなかった。
 父は、独身の時に買った左ハンドルの車をとても大切にしていた。その車は二人乗りのスポーツタイプで、家族全員で乗ったことはなかった。駅も近いし、国内旅行の時はレンタカーを使っていたので、不便はなかった。でも、父以外は皆その車のことを、維持費もかかるし邪魔だと思っていた。
 自分の家は普通だと思っていた。それ以上の裕福な暮らしをしている人がいるのは知っていたけれど、それ以下の暮らしなんて想像もつかないし、想像する必要もないと思っていた。
 私は、傲慢な子どもだった。

 すべてが変わったのは、中学二年のときだ。
 父が事業に失敗したので、私たちはそれまでの生活を失った。
 マンションを出て、築四十年のアパートに引っ越した。母は髪を巻くのをやめ、レジ打ちと清掃の仕事を掛け持ちした。父は車を売り、肉体労働系のバイトを始めた。
 私と弟は公立の中学校に転校し、忙しい両親の代わりに家事を頑張った。
 両親や弟に、悲壮感はなかった。もともと両親は成金で貧乏暮しは初めてではなかったし、弟は転校先の中学校にスポ少のサッカーチームの友達がいたので、すぐに学校になじんでいた。
 私だけ、新しい環境に適応できずにいた。新しいクラスではすでにグループができあがっていて、人見知りな私はそこに入り込むことができなかった。
 思えば小学校、いや、その前の幼稚園時代から周りにいた友達の顔ぶれはほとんど同じだった。私は、友達の作り方を忘れていたのだ。「おはよう」と言われても、はにかんでしまって挨拶を返すことすらできなかった。
 そのうち、教室にいるとほとんど声を出すことができなくなった。先生にあてられたときは、何とか小声で返事をすることができた。だが、クラスメートとは何も話すことができなかった。頭の中がぽっかりと空白になったような気がして、何をしゃべったらいいのかわからないのだ。
 以前の学校にいたときは、こんな私じゃなかった。周りにいる人たちの好きなもの、嫌いなものは全部頭に入っていて話題に困ることはなかった。あまりにもコミュニケーションスキルがなさ過ぎて、自分が本当に情けなかった。
 しかし、家では今まで通りの会話ができたので、私が学校で話せないことに両親は気づいていなかった。私にもプライドがあって、両親に同情されるのは嫌だったので、家ではことさら明るくふるまった。
 いつしか、私はクラスメートたちからは「話さないヘンな子」というレッテルを貼られた。酷いいじめをする子はいなかったが、男子からちょくちょくいじられるのは苦痛だった。誰も助けてくれないし、自分で言い返すこともできない。それでも親を心配させたくはなかったし、物理的にも閉じこもっていられる個室がなかったので、学校には通った。
 勉強は嫌いじゃなかったけど、家の経済状態では大学どころか高校も行けるかわからない。私立の、お金持ちの友達とはとっくに疎遠になっていたから、他愛のないおしゃべりをできる人もいない。
 そんな状態だったから、着実にストレスは溜まっていた。
 ある日、おなかが痛くなって保健室に行ったのをきっかけに、私は教室に行かなくなった。保健室登校というものを、その時初めて知ったのだ。

 
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