第7話 絶対に、後を振り返ったりはしない 2

文字数 2,973文字

 日曜日、本屋で奏音(かのん)と落ち合うと、マックに移動していろいろおしゃべりしました。
 奏音は、この前と同じ制服姿でした。外出時には、制服着用が決められているそうです。喫茶店やカラオケボックスは、中等部では禁止されているとのことでした。
琉斗(りゅうと)んち、そんなことになってたんだ」
 僕が琉斗の家に行った時のことを話すと、奏音は表情を曇らせました。
「わたしの家もね、大変だったんだ」
 奏音は右足のローファーを脱ぐと、紺色のソックスを下ろしました。突然のことでびっくりしたけど、テーブルの下だったので気づいている人はいません。
 奏音の右足の踵のあたりには、赤黒い火傷の跡がいくつかありました。
「ババアの再婚相手にやられたの」
 靴下を直しながら、奏音の声は静かに怒っていました。
「でも、これくらいならまだマシだった。五年生の冬頃から、あいつ、わたしの風呂をのぞくようになってね。ババアときたら、あいつじゃなくてわたしを怒るんだよ。色気づきやがって、てさ」
 僕は、ショックで何も言えませんでした。奏音はポテトを齧りながら続けます。
「あんまりむかついたから、おばあちゃんの家に家出したの。でも、おばあちゃんも老人ホームに入る予定だから、ずっとは面倒はみれないって言われた。でも、お金はだしてあげるから、ここに入って寮生活したらいいって。ここ、おばあちゃんの母校なんだ」
 制服を指さしながら、奏音は言いました。小学校卒業まではおばあちゃんの家にいたそうです。
「寮生活は厳しいけど、家に比べたら天国だよ。ほんっと、親ガチャはずれた。蓮くんは当たりで良かったね」
 奏音に笑顔でそう言われたけど、僕の内心は複雑でした。

 その頃から、夕食なしが当たり前の状態になっていました。父親は毎晩のように取引先との接待で食べてくるし、母親と弟は塾の帰りにファミレスで済ませてるみたいです。
 一度家庭科で習った野菜炒めと味噌汁を作ったら、こっぴどく怒られました。新築のキッチンの壁に油染みがつく、って。
 毎日夕食代として五百円をくれるようになったので、総菜を買って食べるようになりました。   炊飯器にご飯だけは残っていたので、めんどくさいときには卵かけご飯で済ますこともあります。
 奏音には親ガチャ当たりって言われたけど、頼りになる先輩もおばあちゃんもいない僕と、どっちが本当に幸せなのかわかんないですよね。

 奏音と琉斗と、三人で遊ぶ日は来ませんでした。
 朝、学校に行く支度をしてたとき、つけっぱなしになっていたテレビから火事のニュースが流れました。全焼した家の中から、男性の遺体が見つかったと。なんの気なしに見た画面の中には、黒く焼け焦げた琉斗の家が映っていました。

 その後の記憶は曖昧なのですが、学校に行くために家を出たのに、気がついたら地下鉄に乗っていました。改札を出るところで、ジャージ姿の奏音と会いました。同じ地下鉄に乗っていたのに、お互い気づいていませんでした。
 駅を出て、二人とも無言で琉斗の家に向かいました。家に近づくにつれ、焦げたような臭いが強くなります。黒く焼けた家の二階の、窓ガラスの割れた琉斗の部屋が見えると、僕の膝はがくがくと震えだしました。
「琉斗!」と奏音が叫びました。
 二階に気を取られていた僕は気づいていなかったのですが、玄関前に制服を着た大人の男の人に囲まれるように、琉斗が立っていました。琉斗は僕たちを見るとクシャっと笑顔を作ろうとしたのですが、それは成功しませんでした。
 僕と奏音は駆け寄ると、三人できつく抱き合いました。
「……俺、昨日着替え取りに来て、部屋で一服して……」
 琉斗がかすれた声で言いました。
「親父とまた、喧嘩になって……タバコちゃんと消さないで、そのまま先輩んちに……」
 琉斗の目から、涙が溢れました。
「……俺が、親父、殺した」
「違う!」
 僕と奏音が、同時に言いました。
 琉斗とお父さんは、昔は仲が良かったのです。本当は母親に引き取られるはずだったのに、「お父さんと一緒にいる」と幼い琉斗が主張して、母親が折れたのだそうです。
 それが、どうしてこんなことになってしまったのでしょう。
 制服を着た男が、琉斗を促して車に乗せました。警察か消防の人と一緒に、現場検証に来ていたのだと思います。琉斗は僕たちとは目を合わさず、そのままおとなしく連れていかれました。
 琉斗の乗った車を見送ったとき、通りの向かい側に先輩と、あの部屋にいた女の子に気づきました。僕は奏音と一緒に先輩のところに行くと、軽く頭を下げました。女の子は涙でぐちゃぐちゃな顔をしていました。
「あの、琉斗はどうなるんですか?」
「わざと火ぃつけたわけじゃねえし、あいつまだ十三歳だし、逮捕されるこたぁねえよ」
 先輩はそう言いながら、慰めるように女の子の頭をポンポンと叩きました。もしかして、この女の子は琉斗のカノジョなのかな、とぼんやり思いました。
「じゃあ、ここに帰ってくるの?」
 半信半疑な様子で、奏音が訊きました。帰ってきても、この家は住める状態ではないし、なによりもうお父さんがいません。先輩も、首を振りました。
「たぶん、児相に送られる。どのくらいいることになるかはわかんねえけど、母親が身元引受人になってくれたら、そっちで一緒に暮らすんじゃねえかな」
「琉斗のお母さん、釧路じゃん。もう、会えないよお……」
 また泣き始めた女の子を連れて、先輩はアパートのほうに歩いていきました。僕と奏音も、もう一度焼けた家を見ると、駅に向かって歩きだしました。
「……初めて学校さぼった」
「わたしも……中学生になってからは初めて」
 二人で顔を見合わせて、ちょっとだけ笑いました。でも、笑顔はすぐに引っ込みました。
「学校、大丈夫?」
「大丈夫じゃないかも。たぶん、当分外出禁止になる」
 ため息が出ました。僕たちは二人ともスマホを持っていません。奏音の寮では禁止されているし、僕は受験に失敗したので買ってもらえなかったのです。電話も、家族以外は取り次いでもらえないとのことでした。
「アナログだけど、手紙書く?」
「うん。あ、でも、男子からだとまずいから、女の子の偽名使ってね」
「……蓮子(れんこ)とか?」
「昭和通りこして大正レトロだね。花蓮(かれん)にしょう。かれんちゃん」
 奏音は僕のノートに、寮の住所と自分の名前、そして僕のペンネームを書いてハートマークをつけました。一瞬気持ちが浮き立ちましたが、すぐにまた沈みました。
「琉斗にも、手紙出せるかな……」
 奏音がポツリとつぶやきます。僕も、同じことを考えていました。
「また今度、あの先輩のところに行ってみるよ。児相でも、釧路でも、住所聞けたらすぐ奏音にも教える」
「頼むわ。……琉斗は、琉子(りゅうこ)かなあ」
「琉の字は『る』とも読めるから、琉花(るか)ちゃんとか、琉璃亜(るりあ)ちゃんとか?」
「琉璃亜ちゃん、いい!」
 僕たちは悲しい出来事は思い出したくなくて、地下鉄の中でも琉斗のペンネームを一生懸命考えていました。
 やがて僕の降りる駅に着いて、手を振って奏音と別れました。
 それ以来、奏音とも会ってはいないです。

 その夜、夢を見ました。
 僕は、自分の部屋に火を放ちました。家は見る見るうちに黒く焼け落ちていきます。僕は逃げ出しました。絶対に、後を振り返ったりはしないと決意しながら。

 爽快でした。
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