第9話 もう楽しみしかないよ 1

文字数 1,485文字

 もうね、ほとんど痛みないさ。ほら、ほら!
 うん。歩くときは、まだ当分松葉づえ離せないけどさ。
 ……うん。前みたいには、もう走れない。

* * *

 もう少し、足の調子が良くなったら教室行くから、もうしばらくここに通わさせてね。三年の教室、四階なんだもん。この足で階段上るの、マジ辛いわ~。
 それにしてもさ、保健室に(れん)くんいてくれて助かったわ。スポーツ推薦で高校行くつもりだったから、ほとんど勉強してなかったのさ。蓮くんの塾のテキスト、マジわかりやすくて助かる~。
 そうなのさ。推薦ほぼ決まってたんだよ。しかも特待生で! 青森の高校ね。あたしも寮生活をする予定だったんだよ。でも、もうね。この足じゃ無理さ。ちょっと悔しい……いや、めっちゃ悔しいけど、こればっかりはしゃーないわ。
 高校は、公立一本だね。ほら、うち母子家庭だから、あんまりお金のかからないところで。あーあ、青森行けてたら、授業料も寮費も免除になる予定だったのに。ほんとに惜しかったわ。

 かけっこだけは昔から得意だったんだ。
 運動会で一等とると、パパもママも喜んでくれるからさ、それだけは一生懸命に頑張った。
 うちの両親仲悪くてさ、二人そろってニコニコしてくれるのなんて運動会の時くらいだったからね。そりゃ一人娘としては、家庭円満のために頑張るよ。
 でも小学生がなんぼ努力したところでね。結局四年生のときに離婚しちゃった。原因は、たぶんパパの浮気、みたいな? 詳しいことは教えてくれなかったけど。あたしは、ママと一緒におばあちゃんの家に引っ越したさ。
 まあでも、家の中で喧嘩してる人がいなくなっただけ、気持ちは楽になったな。転校した学校でも、すぐ友達できたし。今度はママとおばあちゃんを喜ばせるために、頑張って走ったよ。
 で、五年生の時に市の陸上競技大会に参加してさ、記録出しちゃったんだよね。400メートル1分03!
 ……ピンときてないでしょ。でもこれ、小学生女子としてはすごい記録なんだよ。マジで。

 おばあちゃん、あたしが中学上がるころに病気で死んじゃった。おじいちゃんは、だいぶ前に死んでるからね、今はママと二人暮らし。
 中学生になってからは当然陸上部に入って、朝から晩まで走ってた。
 先生にフォーム直してもらったり、他の速い子と競い合ったり。ぐんぐんタイムが縮んでいくのが、自分でもわかるんだ。毎日本当に楽しかった。
 ママもね、毎日仕事して疲れているのに食事にも気を遣ってくれて。「遥香(はるか)ちゃんだけが、ママの生きがいなのよ」なんてさ。
 あたしも、「オリンピックで金メダルとって、ママにあげる!」なんつったりして。
 なんだかね、幼稚園児みたいな夢みてたよね。

 ……いつからだったろう。ママもあたしにばかりかまってないで、恋でもすればいいのになあって思うようになったのは。

 朝晩のジョギング、ストレッチ、ダッシュ練習、スタート練習。冬場は筋トレして、体幹鍛えて。
 好きだから、苦じゃなかったよ。でも、たまーにさ、友達と遊びに行きたいなんてこともあるじゃん?
 顧問の先生は理解あるんだよね。試合近いときは無理だけど、週一日は必ず練習休んで中学生らしく遊んだり、勉強したりしろって。そういうことも大切だって。
 でも、ママはそういうのわかってくれない。休みの日でも、ママが自転車で伴走してくれながらランニング。ママだって夜勤明けで疲れているはずなのにさ。
 近所の人からは「いいお母さんね」って言われるし、あたしのために一生懸命になってくれてるのはわかってるから、ありがたいんだけどさ。
 なんか重いっしょ、そういうの。

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