第3話 俺の話、聞いてくれるの? 2
文字数 3,179文字
* * *
ヘッブシッッ!
先生ー、寒いよ。暖房ちゃんと入ってる? 保健室がこんなに寒くっちゃ、具合の悪い人が余計に病気になっちゃうっしょ。
……そりゃあ、俺は身体は元気だけどさ。俺の他にも病人?怪我人?いるじゃーん。
え? なに言ってんの、先生。違うって。「まだ」じゃなくて、「もう」だよ。「もう十一月」だよ。もう十一月なんだから、寒いに決まってんじゃん。先週だって、初雪降ったっしょ。北海道の寒さ、なめたらいかんよ。
違うって、先生。北海道人は寒さに弱いの。これ定説。高気密性住宅で、ちょっとでも寒くなったら灯油ストーブがんがん焚いてるんだから。電気ストーブやコタツだけで冬を過ごせる冬なんて、信じらんないね。
先生、内地の出身でしょ? どこ?
……名古屋? 味噌カツ? ……いいすっね、暖かそうなところで。俺も、どっか暖かいところで暮らしてえ。
ああ、悪い悪い。どこまで話したっけ?
* * *
まあ、「一条の光」なんて大層なこと言ったって、単なる幼なじみさね。
それでも俺は、LINEの交換やマンガを貸し借りしたりするだけの淡い友達づきあいでも、十分満足だった。
そりゃあ、夜中に映穂 の髪の甘い匂いなんか思い出したりしちゃって、悶々と眠れぬ夜を過ごしたりしたことも、一度や二度はあったけど。
廊下で映穂とすれ違うとき、一言二言会話を交わすのは、ちょっとした優越感だったよ。
でもさ、クラスの男どもには少しは羨ましがられたりもしたけれど、本気で妬んでいる奴はいなかったね。俺みたいな取柄なしからすれば、映穂は「高嶺の花」っていってもいい存在だったから。
いや、実は妬まれてボコられたりしたらどうしよう、ってな心配も密かにしてたんだけど。無事とわかったら、それはそれで面白くなかったのも事実。
それに、なにより映穂には「高校生のオトコ」がいたからね。誰も、俺なんざ相手に、つまらん嫉妬なんかしたりせんのさ。
そう、その高校生のオトコ。
あの日以来、わりと度々うちに来るようになったもんだからさ。
「彼氏とデートしたりせんの?」って、さり気なーく、本当にさり気なーく訊いたわけ。そしたら、「たけちゃん、もうじき受験だから。今、追い込みで大変なのよ」って、あっさり噂が本当だってこと、認めちまいやがんの。
しかも、もうじき受験ってことは、今高三で、来年は(順調にいけば)大学生……。なんかもう、逆立ちしたって敵いっこねーベさ。
で、俺は、たけちゃんが受験追い込み期間中の暇つぶし、ってわけだったのさね。別にいんだけど。
いや、それでも本当にいいって思ってたんだよ。暇つぶしの相手に俺を選んでくれてうれしいって。……俺って、バカだよなあ。
でもさ、そんな男の純情を一気にぶっ飛ばしてくれたんだよ。映穂って女は。
先週、うちに来てってさー。帰るころには暗くなってたから、俺送っていったんだよ。彼女の家まで。
彼女の家は住宅街にあってさ、同じような家の並ぶ薄暗い路地を、俺たちは他愛もない話をしながら歩いていたんだ。
空気は冷たくて、曇っていたから月も星も見えない夜だったけど、俺は彼女と並んで歩くことに浮かれまくっていたよ。このままずっと一緒に歩いていたい、この道がずっと続けばいい、なんて。でも、歩いていれば彼女の家に着くんだよな。当たり前の話。
そしたらさ、いやがんの。背の高い高校生。映穂の家の前に。
「そのガキが、噂の新しいオトコかよ」
高校生は、低い声でそう言ったね。
映穂は両手で口元押さえてさ、ものすごく驚いたって顔して、あわてて高校生の所に走っていったんだけどさ。
俺、見えちゃったんだよね。真横にいたから。両手で隠した映穂の口元が、にやりと笑ってたこと。
それからしばらくの間、映穂は俺のことなんざ眼中にないって感じでさ、高校生を宥めたり、すかしたり。
やっと俺の存在を思い出してくれたかと思ったら、「浩太くんからも言ってよ。あたしと浩太くん、単なる幼なじみだってこと」だとさ。
これだもんね。映穂のやつ、「あたしたち」って言葉さえ使ってくれなかったよ。いや、まったく。
まあ、確かにその通りだったから、俺は素直に認めてやりましたよ。俺と映穂は、まったく単なる幼なじみでございます、って。
それで高校生は納得したみたいだけどさ。そしたら、映穂のやつ、今度は泣くんだよ。
「だって、たけちゃん、最近全然かまってくれないんだもん。だから、あたし、あたし……」
あとは、涙で言葉にならないってやつ。
高校生は、「俺が悪かったよ」とかなんとか言いながら、映穂を抱きしめたね。
辺りはもう真っ暗で、街灯の明かりがスポットライトのように、抱きあっている映穂と高校生の上に落ちててさ。そして、いつの間にか降り始めた、この冬初めての雪が二人の周りをヒラヒラと舞っていやがるんだ。
俺は二人にはなにも言わずに、その場を離れたよ。なにも言う必要はなかったね。完璧に二人の世界に浸ってるんだから。
俺は悔しくはあったけど、せつなかったり、悲しかったりはしなかった。高校生の胸元にうずまっている映穂の表情を想像しちゃうとね。
それにしても、女って本当に化け物だよな。俺と同じ年のくせして、もう駆け引きの術 も、男を使い分ける方法も心得てるんだから。意識してやってるのか、無意識になのかは知らんけどさ。
確かに、映穂が俺を選んだのは大正解。幼なじみってのは本当だし、見るからに人畜無害な男だしさ。噂だけで本命をヤキモキさせるには十分、ってわけよ。
こうして、真っ暗闇の中の一条の光は、あっさりと消えてったわけなのさ。
能天気に語っていたおふくろの夢が破れたことにだけは、ザマァって思ったよ。まあ、おふくろにとっちゃたいした夢でもなかったろうけどね。
え? 別にトラウマになんかになってねーよ。
ていうか、トラウマってもっと後からじわじわと効いてくるもんなんじゃん? まだ早いって。一週間も経ってねえんだから。
なにさ、これがトラウマになって、男に走る展開でも期待してた? たまにそういうの好きな女っているよな。
でもさ、年くえば俺だって高校生になって、たぶん大学生にだってなれるだろ? これからじゃん。女と違って、男は賞味期限が長いんだし。
ああ、悪い悪い。別に、あんたを怒らすつもりじゃなかったんだよ。すまん。
でも、俺まだ十四歳だし。また、新しい光がどこかから射してこないとも限らんだろ。それなのに、暗闇だと思い込んで、目ぇ瞑って光を見ないってのも、バカな話じゃん。もしかしたら、すぐそこまで光がきてるのに、気づいてないだけなのかもしれないし。
まあ、そんなふうに前向きに考えられるようになったのは、今こうやって話しながらなんだけどさ。気持ちの整理がついたっていうか。
さすがに凹んでたんだよ。なんたって、初失恋だし。
でも、もう大丈夫だから――廊下で映穂にばったり会っても、うろたえたりしないし。教室で、佐々木や山口の顔見ても、落ち込んだりしねえ。
あいつら、気ぃ遣ってくれちゃってるんだよね。佐々木は彼女の友達紹介しちゃるってLINEよこすし、山口は頼みもしないのに授業のノートとって持ってきてくれる。
男の友情なんだから、もっとそっとしといてくれっての。……いや、本当はものすごく嬉しかったんだけどね。
ま、そういうわけだから、明日からは、もうここには来ない、たぶん。まっすぐ教室行くさ。
悪かったね、つまんない話を長々とさ。
でも、あんたが聞いてくれて、なんかすっきりしたよ。ありがとう。
……ところで、あんた、昨日もここに来てたよね? 見たとこ、どっこも具合悪そうじゃないけど?
ねえ、今度はあんたの話を聞かせてよ。聞くだけなら、なんぼでも聞いちゃるからさ。
ヘッブシッッ!
先生ー、寒いよ。暖房ちゃんと入ってる? 保健室がこんなに寒くっちゃ、具合の悪い人が余計に病気になっちゃうっしょ。
……そりゃあ、俺は身体は元気だけどさ。俺の他にも病人?怪我人?いるじゃーん。
え? なに言ってんの、先生。違うって。「まだ」じゃなくて、「もう」だよ。「もう十一月」だよ。もう十一月なんだから、寒いに決まってんじゃん。先週だって、初雪降ったっしょ。北海道の寒さ、なめたらいかんよ。
違うって、先生。北海道人は寒さに弱いの。これ定説。高気密性住宅で、ちょっとでも寒くなったら灯油ストーブがんがん焚いてるんだから。電気ストーブやコタツだけで冬を過ごせる冬なんて、信じらんないね。
先生、内地の出身でしょ? どこ?
……名古屋? 味噌カツ? ……いいすっね、暖かそうなところで。俺も、どっか暖かいところで暮らしてえ。
ああ、悪い悪い。どこまで話したっけ?
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まあ、「一条の光」なんて大層なこと言ったって、単なる幼なじみさね。
それでも俺は、LINEの交換やマンガを貸し借りしたりするだけの淡い友達づきあいでも、十分満足だった。
そりゃあ、夜中に
廊下で映穂とすれ違うとき、一言二言会話を交わすのは、ちょっとした優越感だったよ。
でもさ、クラスの男どもには少しは羨ましがられたりもしたけれど、本気で妬んでいる奴はいなかったね。俺みたいな取柄なしからすれば、映穂は「高嶺の花」っていってもいい存在だったから。
いや、実は妬まれてボコられたりしたらどうしよう、ってな心配も密かにしてたんだけど。無事とわかったら、それはそれで面白くなかったのも事実。
それに、なにより映穂には「高校生のオトコ」がいたからね。誰も、俺なんざ相手に、つまらん嫉妬なんかしたりせんのさ。
そう、その高校生のオトコ。
あの日以来、わりと度々うちに来るようになったもんだからさ。
「彼氏とデートしたりせんの?」って、さり気なーく、本当にさり気なーく訊いたわけ。そしたら、「たけちゃん、もうじき受験だから。今、追い込みで大変なのよ」って、あっさり噂が本当だってこと、認めちまいやがんの。
しかも、もうじき受験ってことは、今高三で、来年は(順調にいけば)大学生……。なんかもう、逆立ちしたって敵いっこねーベさ。
で、俺は、たけちゃんが受験追い込み期間中の暇つぶし、ってわけだったのさね。別にいんだけど。
いや、それでも本当にいいって思ってたんだよ。暇つぶしの相手に俺を選んでくれてうれしいって。……俺って、バカだよなあ。
でもさ、そんな男の純情を一気にぶっ飛ばしてくれたんだよ。映穂って女は。
先週、うちに来てってさー。帰るころには暗くなってたから、俺送っていったんだよ。彼女の家まで。
彼女の家は住宅街にあってさ、同じような家の並ぶ薄暗い路地を、俺たちは他愛もない話をしながら歩いていたんだ。
空気は冷たくて、曇っていたから月も星も見えない夜だったけど、俺は彼女と並んで歩くことに浮かれまくっていたよ。このままずっと一緒に歩いていたい、この道がずっと続けばいい、なんて。でも、歩いていれば彼女の家に着くんだよな。当たり前の話。
そしたらさ、いやがんの。背の高い高校生。映穂の家の前に。
「そのガキが、噂の新しいオトコかよ」
高校生は、低い声でそう言ったね。
映穂は両手で口元押さえてさ、ものすごく驚いたって顔して、あわてて高校生の所に走っていったんだけどさ。
俺、見えちゃったんだよね。真横にいたから。両手で隠した映穂の口元が、にやりと笑ってたこと。
それからしばらくの間、映穂は俺のことなんざ眼中にないって感じでさ、高校生を宥めたり、すかしたり。
やっと俺の存在を思い出してくれたかと思ったら、「浩太くんからも言ってよ。あたしと浩太くん、単なる幼なじみだってこと」だとさ。
これだもんね。映穂のやつ、「あたしたち」って言葉さえ使ってくれなかったよ。いや、まったく。
まあ、確かにその通りだったから、俺は素直に認めてやりましたよ。俺と映穂は、まったく単なる幼なじみでございます、って。
それで高校生は納得したみたいだけどさ。そしたら、映穂のやつ、今度は泣くんだよ。
「だって、たけちゃん、最近全然かまってくれないんだもん。だから、あたし、あたし……」
あとは、涙で言葉にならないってやつ。
高校生は、「俺が悪かったよ」とかなんとか言いながら、映穂を抱きしめたね。
辺りはもう真っ暗で、街灯の明かりがスポットライトのように、抱きあっている映穂と高校生の上に落ちててさ。そして、いつの間にか降り始めた、この冬初めての雪が二人の周りをヒラヒラと舞っていやがるんだ。
俺は二人にはなにも言わずに、その場を離れたよ。なにも言う必要はなかったね。完璧に二人の世界に浸ってるんだから。
俺は悔しくはあったけど、せつなかったり、悲しかったりはしなかった。高校生の胸元にうずまっている映穂の表情を想像しちゃうとね。
それにしても、女って本当に化け物だよな。俺と同じ年のくせして、もう駆け引きの
確かに、映穂が俺を選んだのは大正解。幼なじみってのは本当だし、見るからに人畜無害な男だしさ。噂だけで本命をヤキモキさせるには十分、ってわけよ。
こうして、真っ暗闇の中の一条の光は、あっさりと消えてったわけなのさ。
能天気に語っていたおふくろの夢が破れたことにだけは、ザマァって思ったよ。まあ、おふくろにとっちゃたいした夢でもなかったろうけどね。
え? 別にトラウマになんかになってねーよ。
ていうか、トラウマってもっと後からじわじわと効いてくるもんなんじゃん? まだ早いって。一週間も経ってねえんだから。
なにさ、これがトラウマになって、男に走る展開でも期待してた? たまにそういうの好きな女っているよな。
でもさ、年くえば俺だって高校生になって、たぶん大学生にだってなれるだろ? これからじゃん。女と違って、男は賞味期限が長いんだし。
ああ、悪い悪い。別に、あんたを怒らすつもりじゃなかったんだよ。すまん。
でも、俺まだ十四歳だし。また、新しい光がどこかから射してこないとも限らんだろ。それなのに、暗闇だと思い込んで、目ぇ瞑って光を見ないってのも、バカな話じゃん。もしかしたら、すぐそこまで光がきてるのに、気づいてないだけなのかもしれないし。
まあ、そんなふうに前向きに考えられるようになったのは、今こうやって話しながらなんだけどさ。気持ちの整理がついたっていうか。
さすがに凹んでたんだよ。なんたって、初失恋だし。
でも、もう大丈夫だから――廊下で映穂にばったり会っても、うろたえたりしないし。教室で、佐々木や山口の顔見ても、落ち込んだりしねえ。
あいつら、気ぃ遣ってくれちゃってるんだよね。佐々木は彼女の友達紹介しちゃるってLINEよこすし、山口は頼みもしないのに授業のノートとって持ってきてくれる。
男の友情なんだから、もっとそっとしといてくれっての。……いや、本当はものすごく嬉しかったんだけどね。
ま、そういうわけだから、明日からは、もうここには来ない、たぶん。まっすぐ教室行くさ。
悪かったね、つまんない話を長々とさ。
でも、あんたが聞いてくれて、なんかすっきりしたよ。ありがとう。
……ところで、あんた、昨日もここに来てたよね? 見たとこ、どっこも具合悪そうじゃないけど?
ねえ、今度はあんたの話を聞かせてよ。聞くだけなら、なんぼでも聞いちゃるからさ。