文字数 5,803文字

 スマホのアラームが鳴っている。僕はそれをタップして止める。二度寝しようかと思ったけど、そういえば燃えるゴミの日だった事に気付いた。
 仕方がないので、僕はベッドから抜け出してゴミを出すことにした。掃除は苦手だけど、一応これでもゴミ屋敷にならないように努力はしている。
 ゴミ出しを終えて、僕はアパートへと戻った。この時期は、流石に寒い。当然だろうか、今は12月である。
 お湯を沸かして、紅茶を()れた。基本的に寝起きはコーヒーを淹れることが多いのだけれど、その日はあまりコーヒーの気分ではなかった。――たまには紅茶も悪くないだろう。
 紅茶を飲みながら、僕はスマホの画面を見た。
 スマホの画面を見る度に思うのだが、この世の中は――なんだか生きづらい。もちろん、生きづらさを感じているのは僕だけじゃないはず。でも、歳を重ねる毎に生きづらさは増していくばかりだ。それは、僕が――発達障害を抱えているからだろうか。それとも、別に理由があるからなのか。いずれにせよ――今の世の中は僕にとって最低の環境だ。
 そもそも、僕が発達障害だと診断されたのは――中学生の時だろうか。僕は31歳なので、多分15年ぐらい前だったと思う。当時は発達障害に対する理解もなかったので、僕は為す術もなかった。周りからの差別に耐えかねて自殺しようと思ったこともあった。
 しかし――僕は悪運が強い。死のうと思っても死ねないのだ。何度も自傷行為や向精神剤の過剰摂取(オーバードーズ)で病院に緊急搬送されたが、その度に僕は病院から生還している。それは――僕にとって呪いでしかなかった。
 もちろん、死のうと思っても死ねない自分を何度も憎んだ。僕にとって生きていることは――とても辛いのだ。
 そういう事情もあって、僕は友達が少ない。小学生の頃からの付き合いを持った友達は――いるのだろうか? 多分、いないと思う。いたとしたら、相当な好事家だろう。
 スマホの画面を見ていても仕方がないので、僕はダイナブックの電源を入れた。
 一応、僕は小説家もどきの事をやっている。飽くまでも「もどき」なので、本当に小説家という仕事に就いている訳ではない。僕の職業は――多分、リモートワークで働く派遣社員なのだろう。とはいえ、仕事をサボって小説を書く訳にはいかない。やるべき仕事はきちんとやるべきだと――僕は思っている。
 しかし、派遣社員であるが故に――僕はいつ自分の首を切られるのかが分からない。もちろん、ある日突然首を切られてしまうこともあるかもしれない。
 万が一、首を切られてしまった時に僕はどうすればいいのだろうか。普通に考えれば――ハローワークに行って新しい求人を探すべきなのだろう。でも、僕はそれが面倒くさい。人と話すことが――苦手なのだ。そのせいで大企業の面接に何度も落ちて、僕は散々な就活を送ることになった。それが今でもトラウマになっている。
 もっとも、僕が就活に失敗した原因は発達障害とそれに纏わる偏見かもしれない。僕は、芦屋に引っ越す前に豊岡という田舎町に住んでいた。当然だけど――田舎になればなるほど、僕みたいな人間は「不良品」として差別の対象になる。そして――自らの手で命を絶つのがオチだ。
 僕は地元のケースワーカーに相談して、芦屋へと引っ越すことにした。それで何かが変わるかと思えば――「現状よりもマシ」になっただけだった。結局、僕みたいな人間は生きていくべきではないのだ。そう思うと、死にたくなる。
 そういうネガティブな思いをぶちまける手段として、僕は小説を書くことにした。しかし――現実は甘くない。所詮、僕に文才なんてないのだ。
 それでも、僕は今日も小説を書いている。もしかしたら、小説を書いているうちに何処かからオファーが来るかもしれない。
 ダイナブックで小説を書いていると、スマホが鳴った。どうせ広告かスパムだろうと思ってダンマリを決め込もうと思ったが――メッセージの送り主に、僕は思わずスマホの画面を二度見した。
 ――あの、ウッディですか?
 ――私です。西本沙織(にしもとさおり)です。久し振りですね。
 ――今、どこに住んでますか?
 ――もし、神戸に住んでたら、一度ウッディの顔を見たいんです。
 ――もちろん、ウッディがダメならそれで良いんですけど……。
 西本沙織か。――本物なのか?
 僕の中学校時代の渾名は「ウッディ」だった。由来は、僕の名前である「卯月絢奈(うづきあやな)」が訛って「ウッキー」になり、そして『トイ・ストーリー』の主人公であるカウボーイ人形になぞらえて「ウッディ」へと変化していった。名付け親はもちろん西本沙織である。彼女とは中学1年と2年で同じクラスだったが、3年だけ別のクラスだった。なぜクラスが離れ離れになる必要があったのかというと――彼女がバスケの特待生に選ばれたからである。
 西本沙織という人間は、ドブネズミのような僕とは正反対のポジションにある人間だった。文武両道というか――頭の回転が早く、誰からも相手にされなかった僕にも優しく接してくれていた。どうして彼女と友人になったのかというと――ただ単に、好きなアーティストが同じだったという理由である。音楽の授業でたまたま隣の席になって、「好きなアーティストが誰か」と聞かれた。僕は口籠(くちごも)りつつ答えたら、彼女も同じアーティストが好きだと答えた。
 それから、彼女とは行動を共にするようになった。なんとなく、安心感を覚えていたというか――西本沙織という人物といることによって、僕は精神の安定を保っていた。しかし、進路の都合でクラスが別々になってしまい――その時点で僕という人格は破綻した。結局、高校は特別支援学校に行かざるを得なくなり――僕の輝かしい青春時代は中学2年生でエンディングを迎えることになった。
 そういう事情もあって、周りからは「卯月は勉強が出来ない」と馬鹿にされていたが、体育以外の成績は周りが言うほど悪くなかった。特に理科と英語に関して言えば通知表で3以下を取ることがなかった。――内申点がモノを言う世界ではそんな事は通用しないのだけれど。
 ちなみに、国語は――それなりの成績だった。まあ、可もなく不可もなくといったところか。とはいえ、僕はメフィスト賞作家の小説ばかり読んでいたので、クラスからは変人扱いされていたのだが。
 メフィスト賞作家でも特に好んで読んでいたのは舞城王太郎(まいじょうおうたろう)清涼院流水(せいりょういんりゅうすい)だった。一応、京極夏彦(きょうごくなつひこ)もメフィスト賞の中に入るのかもしれないが――彼の場合は飽くまでも「メフィスト賞の礎を築いた作家」でしかない。いずれにせよ、僕は講談社ノベルスに殴られて育った人間なのかもしれない。
 講談社ノベルスに殴られて大人になった結果、僕は何度かメフィスト賞にチャレンジしては玉砕していった。玉砕した挙げ句、僕は数年前に講談社に対して原稿を送ることを諦めた。そして――アマチュアの小説家として生きていくことにしたのだ。
 もちろん、アマチュアの小説家ということは――印税は貰っていない。僕の主戦場は、飽くまでも小説ポータルサイトである。まあ、ざっくり言ってしまえばボランティア活動みたいなモノかもしれない。
 最近は、そういう小説サイトからヒット作が出る事が多いのだが――正直、僕みたいな泡沫(ほうまつ)作家は日の目を見ることもなく死んでいくのだ。
 仕方がないので、僕は西本沙織のメッセージに対して返信した。
 ――本当に西本沙織なのか?
 ――スパムじゃないだろうな?
 ――それはともかく、僕は今芦屋に住んでいる。
 ――沙織ちゃんなら、いつでも大歓迎だ。
 ――返事、待ってるからな。
 とりあえず、これでいいか。返事を待ちつつ、僕は小説を書いていた。――もちろん、ちゃんと仕事もしている。
 西本沙織からの返事はすぐに来た。多分、10分も経っていないだろう。
 ――それなら、ウッディと会えるわね。
 ――そうだ、今日の夕方、三宮で飲まない?
 当然、僕はメッセージに対して「OK」のスタンプで返信した。多分、気付いているだろう。それにしても、急にどうしたのだろうか。仮に恋愛相談とかだったら――嫌だな。僕に答えられるはずがない。
 そんな事を思いつつダイナブックの画面を見つめていると、あっという間に時刻は夕方へと向かっていった。仕事の終業時間は午後5時なので、時計を確認した上で、社用のチャットに終業報告を送信した。今の会社に勤めて丸5年が経つけど――このままで良いのだろうか? そんな事を思いながら、僕は仕事で使用しているパソコンの電源をシャットダウンした。
 普段、三宮に出る時はバイクに乗ることが多いのだが、絶対にアルコールが入った状態になるのは分かっていたので――阪急で三宮に出ることにした。芦屋川駅は特急が止まってくれないけど、片道15分なら普通電車でも悪くはない。
 当然だけど、三宮駅を降りた先は――神戸でも屈指の繁華街である。最近は衰退しつつあるものの、矢張り芦屋や西宮から考えると、神戸という場所は立派な都会である。
 阪急三宮駅の東口で、西本沙織は待っていた。
 頭髪制限が厳しかった中学校の時よりも髪は伸びているが、テクノカットのように切り揃えられた前髪は確かに西本沙織のモノだった。彼女からは、相変わらず「優等生」のオーラが出ていた。
 西本沙織は、中学生の時と変わらない声で僕に話しかけてきた。
「ウッディと会うのって、何年振りかしら?」
 僕は、その質問に答えた。
「17年振りぐらいかな。多分、クラスが離れ離れになってから連絡が疎遠になっていたかもしれない」
「確かに、私も進路で忙しかったからね。それはともかく、なんとなくウッディの顔が見たいと思ってメッセージを送ってみたの。まさか本当にウッディから返事が来るとは思わなかったわ」
「それで――どんな用事だ」
 もしも本当に恋愛相談だったらどうしようか。僕は、そんな事を思いながら西本沙織の話に対して耳を傾けた。
 彼女の話は――思ったよりも深刻なモノだった。
「ウッディ、よく聞いてほしいの。実はね、最近神戸の某所である女性の遺体が見つかったの。多分、ウッディも名前を聞いてビックリすると思うけど――遺体の身元は吉野架純(よしのかすみ)よ」
 吉野架純という名前に対して――僕は聞き覚えがあった。確か、中学3年生の時の同級生か。それにしても、どうして西本沙織は僕に対して相談を持ちかけたのか。僕はそれが不思議だった。
 彼女は話を続けた。
「それでね、私は週刊誌の記者としてこの事件を追ってたのよ。あっ、言うのを忘れてた。私、こう見えて『週刊現代』の記者をやってんの」
 西本沙織が――週刊誌の記者? 僕は聞き返した。
「『週刊現代』って、講談社の週刊誌だよな。一体どういうことだ」
「私、あれからバスケ選手の道を諦めたの」
「どうして、バスケ選手を諦めたんだ?」
「私、好きでバスケ部に入ってた訳じゃなかったのよね。ただ『背が高い』って理由だけでバスケ部に入部させられたようなモノよ。私が本当に目指してたのは――雑誌の編集長よ。それも、『メフィスト』とか『群像』とか、そういう文芸雑誌の編集長。でも――現実は甘くなかったわ。結局、私はゴシップ誌の記者としてこうして講談社で働いているって訳」
「それで、どうして僕に相談を持ちかけたんだ? 殺人事件なら――兵庫県警に相談を持ちかけるべきだろう」
 僕の質問に対して――西本沙織は意外な答えを返した。
「ウッディは信じてくれないと思うけど、この事件が――悪魔の仕業だとしたら?」
「ちょっと前に『悪魔のせいなら無罪』というホラー映画を見たことがあるけど、本当にそういう事があり得るのか?」
「あり得るのよ。ほら、この遺体の写真を見て」
 そう言って、西本沙織はタブレットで僕に吉野架純だったモノの写真を見せてきた。確かに、吉野架純だったモノは――不自然な死に方をしていた。血は流れていないし、かといって暴行された形跡もない。当然だけど、犯された形跡も見当たらなかった。
 西本沙織は、話を続けた。
「これ、私の見解なんだけど――吉野架純は悪魔に殺害されたんじゃないかって思って。それも――パズズっていう悪魔よ」
 パズズといえば、バビロニア神話に伝わる悪魔か。昔見た悪魔祓いの映画でも、ラスボスとして悪魔祓いの前に立ちはだかっていたのを覚えている。パズズは元々熱風を司る魔神であり、映画ではとある少女に取り憑いていて悪さをしていた。しかし――アレは映画の話だ。現実において、悪魔が取り憑いて死に至るという事態はあるのだろうか。
 そんな事を思っていると、西本沙織は意外な話を持ちかけてきた。
「突然だけどさ、ウッディって小説書いてるでしょ?」
「どうして、沙織ちゃんがそれを知っているんだ」
「ネットに載ってた小説を読ませてもらったわよ? ペンネームでバレバレよ」
 確かに、僕は「卯月夏彦」というペンネームで小説を掲載している。由来は、言うまでもなく京極夏彦だ。しかし――あの作風とペンネームで僕が女性だと気づく人は少ないだろう。
「ウッディってさ、あの時からずっと京極夏彦を真似た小説を書いてたじゃん。なんというか――推理小説に怪奇小説を組み合わせたようなヤツ。『若さ故の過ち』とか言わせないわよ? それでさ、ウッディとはある『取引』をしたい訳」
「取引? それって――事件を解決したら、講談社での小説の発売を確約するとかそういう取引じゃないよな」
「ピンポーン! 流石ウッディ、勘が鋭い」
「矢っ張り、そうだったか。それならお断りだ。僕はもう講談社からデビューする夢を捨てたんだ」
「そうは言うけどさ、矢っ張りウチも人員不足っていうか――作家不足らしいのよね。文芸第三出版部の方から聞いたけど、正直メフィスト賞だけじゃ作家が足りないのよ。それで――ウッディのツテを頼ったって訳」
「なるほど。――仕方ないな、ここは沙織ちゃんに協力するか。ただ、僕が講談社からデビューするかどうかは飽くまでも沙織ちゃんが決めることじゃない。それを決める権限があるのは――多分、文芸第三出版部の編集長だ。それだけは頭に入れておいてくれ」
「サンキュ。頼りになるわ」
 そういう訳で、僕は西本沙織からアルバイトを頼まれることになった。もっとも――これはアルバイトなんかじゃなくて、タダ働きに近いようなモノなのだけれど。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)
  • Phase 01 女子シングル フリープログラム

  • 1
  • 2
  • 3
  • Phase 02 悪魔が来たりて人殺す

  • 4
  • 5
  • 6
  • Phase 03 非実在被疑者

  • 7
  • 8
  • 9
  • Phase 04 3人の被疑者

  • 10
  • 11
  • Phase 05 悲しみの果てに僕が見つけたモノ

  • 12
  • 13
  • 14
  • Final Phase 僕が生きている理由(ワケ)

  • Epilogue

登場人物紹介

卯月絢奈(うづきあやな)

主人公。売れない小説家見習い。女性だが一人称は「僕」。

メンヘラ気質でありすぐネガティブに物事を考えてしまう。

友達は少ないが西本沙織とは仲が良い。

西本沙織(にしもとさおり)

講談社で働くゴシップ記者。担当は『週刊現代』。

絢奈に対してある事件の解決を依頼したことにより物語が始まる。


文芸第三出版部への異動を希望している。

浅井仁美(あさいひとみ)

兵庫県警捜査一課の刑事。

絢奈とは事件現場で知り合う。


曰く「卯月さんは昔の友人に似ている」とのことだが……?

福城泰輔(ふくしろたいすけ)


幸福研究会の信者。何者かに刺殺される。

金子敦美(かねこあつみ)


「幸福研究会被害者の会」のメンバー。

紫村克彦(しむらかつひこ)


「幸福研究会被害者の会」のメンバー。

羽島慶太(はしまけいた)


フリージャーナリスト。幸福研究会の動向を追っているようだが……?

守時博章(もりときひろあき)


兵庫県警捜査一課の警部。仁美の上司。

大山流法(おおやまりゅうほう)


幸福研究会の教祖。

店長(てんちょう)


???

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み