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 ――そういうことだったのか。西本沙織は最初から僕を頼るつもりだったのか。
 取材メモを全て読み終わった上で、僕は改めて浅井刑事に事件の仔細を聞くことにした。
「浅井刑事、質問がある。遺体の司法解剖(しほうかいぼう)は終わっているのか?」
「もちろん、終わっています。司法解剖の結果――体内から致死量の青酸カリが検出されました」
「遺体の損傷状況から見ても――死因は毒殺で間違いないだろう。問題は『誰が殺害したか』だ」
「それなんですが――死亡推定時刻が午後6時だとしても、その時間帯は現場に誰もいなかったんです」
「なるほど。自死という可能性は考えられるのか?」
「自死ですか。――その可能性はあまり考えたくありません」
 矢張り、この事件は自殺ではなく他殺なのか。しかし――被疑者は悪魔。人間ですらない。荒唐無稽(こうとうむけい)ではあるが、浅井刑事は悪魔を捕まえようとしているのだ。
 でも、他殺である以上――人間が関わっているのは確かだ。悪魔による殺人なんて、あり得ない。そんな事を思っていると――時間切れになってしまった。
「あっ、時間ですね。――捜査本部へと戻らないと」
 浅井刑事は、捜査本部へと戻るらしい。僕は、浅井刑事からスマホの電話番号を受け取った。
「とりあえず、これ――私の電話番号です。何かあったときのためにも、覚えておいてください」
「それじゃあ、僕からも電話番号を送信しておく。役に立つかどうかはさておき――こちらからも、何かあったらすぐに連絡する」
「ありがとうございます。――それでは」
 そう言って、浅井刑事はパトカーに乗った。そして、殺人現場には僕だけが残されることになった。
 それにしても、どうして幸福研究会はポートアイランドをまるごと宗教施設にしようとしたのか。確かに、ポートアイランドは――元々神戸で開催された海洋博覧会のために作られた人工島だ。もちろん、そこには遊園地もあったらしい。しかし――バブル崩壊と震災でその遊園地は閉園。跡地に神戸空港を誘致したものの、矢張り伊丹(いたみ)空港や関西国際空港と比べると便数が少ない。こういう失策が――神戸という街を衰退に導いている原因なのかもしれない。
 僕自体は芦屋に住んでいる人間だが――矢張り、何かあった時には神戸に行かざるを得ない。別に西宮でも良いのだけれど、神戸と比較して――西宮という街は少し田舎に感じてしまう。もちろん、JRさえ使えば、新快速でいつでも神戸に出られることも大きい。
 とはいえ、神戸で栄えている場所といえば事実上三宮ぐらいだ。三宮から一歩でも外れると――ゴーストタウンが広がっているのが現状である。
 少し前に、小説の取材も兼ねて須磨(すま)の方へと向かったが――正直言って、僕の目にはゴーストタウンにしか見えなかった。確か、ランドマークである水族館が改修工事に入っていたのもあるのだが――それを踏まえた上でも、神戸という街は明らかに衰退へと向かっていた。仮に、水族館がリニューアルオープンしても――神戸という街に対する魅力は下がっていくばかりだろう。そんな事を思いつつ、僕は須磨海岸へと向かった。
 須磨海岸では、子供たちがはしゃいでいた。僕は子供が嫌いなので、それを遠目で見るしかなかったのだが――なんとなく、顔が暗そうに見えた。
 神戸の衰退を感じたのは須磨周辺だけではない。神戸と芦屋の境界線上にある六甲アイランドを見ても――衰退は明らかだった。なんというか、長崎県にある「軍艦島」のように――島そのものが廃墟に見えたのだ。しかし、六甲アイランドには工業団地があるので――衰退するにはまだ早いだろう。
 もちろん、ポートアイランドも一歩間違えば廃墟になってしまう。それを防ぐために、神戸市では行政機能をポートアイランドへと移行しつつあった。その中での幸福研究会による宗教施設の増加は――何を意味しているのか。僕にはそれが分からなかった。
 幸福研究会のビルを見上げる。それで何かが分かる訳ではないのだが――相変わらず立派なビルだと感じた。――人影が見える。
 僕は、人影の方へと向かった。そして、声をかけた。
「――君は、一体誰だ」
 人影は、僕の問いに答えた。どうやら、男性らしい。
「ああ、僕の名前は福城泰輔(ふくしろたいすけ)だ。お察しの通り、幸福研究会の信者だよ」
「そうなのか。――まさかとは思うが、最近『人を殺した』ことはないか」
「そんな、僕が人を殺す訳がないじゃないか」
「まあ、そうだよな。質問を変えよう。どうして、君は幸福研究会の信者になったんだ」
「その場のノリというか――大学のサークル活動で誘われて入信したんだ」
「大学のサークル活動か。――そういうモノは、新興宗教の温床(おんしょう)になっているからな」
「ところで、君の名前はなんて言うんだ?」
「僕は――卯月絢奈だ」
「アハハ、女だったか。なら――僕と付き合わないか? 悪い話ではないだろう」
「いや、断る。――僕の好みじゃない」
「そっか。残念。でも――君は興味深い。良かったら、その辺でお茶でもしないか?」
「――教団の務めはいいのか」
「教団の務め? ああ、セミナーみたいなモノならさっき受けたよ。僕はビルから出て帰ろうと思っていただけだ。そうしたら、君が現れたんだ」
「そうだったのか。――仕方がない、君の話を聞くことにしよう」
 そういう訳で、僕は福城泰輔から話を聞くことにした。青色の日産リーフが、彼の愛車らしい。
「車はあるのか?」
「バイクならある。それで――待ち合わせ場所はどこだ?」
「そうだな。――ここはサイゼリヤでどうかな?」
「悪くないな。その話に乗るよ」
「分かった。じゃあ――フラワーロードのサイゼリヤで待っているから」
 フラワーロードのサイゼリヤか。――あそこだな。僕は早速バイクを走らせて、福城泰輔の待ち合わせ場所へと向かうことにした。
 それにしても、どうして福城泰輔は僕を恐れていないのか。何か裏があるのか。それとも、本当に僕に対して好意を寄せているのか。――まあ、好意を寄せる事はないだろうけど。
 サイゼリヤに着くと、福城泰輔が席を確保していた。面倒事を避けるためにも――僕は適当にピザとエスカルゴを注文した。ちなみに、彼はラムステーキを注文していた。
 それから、僕は彼と話をすることにした。
「例の殺人事件について――何か知っているのか?」
「もちろん、刑事事件になっているぐらいだから――知っている。遺体の発見場所が教団のビルの前だったから、みんなが疑心暗鬼になっているのが現状だ。当然だけど――僕は殺人を犯していない」
「その言葉、信じていいのか?」
「まだ、僕の事を疑っているのか」
「当然だ。君も――容疑者の一人だからな」
「――確かに。『幸福研究会の信者』ということだけで僕を疑うのは当然か。刑事さんにも散々話を聞かれたけど――僕は潔白(けっぱく)だ」
「刑事さんって――浅井刑事のことか」
「そうだ。――浅井刑事を知っているのか」
「浅井刑事とは――事件現場で会った。なんというか、ハキハキと話す女性という印象だった」
「それ、僕が感じた印象とほとんど同じだな。彼女も――僕を疑っているらしい」
「それはそうだな。ところで、幸福研究会ではどういう活動をしているんだ?」
「えーっと、さっきも話したと思うけど――教団の務めは『セミナー』というカタチで行われることが多い。まあ、要するに――『教祖からのありがたい話』を聞くんだ。その他にも、アニメ制作に関わっている信者やスマホアプリをプログラミングしている信者もいる」
「随分と現代的だな。――まあ、布教ビデオという名の映画は見たことがあるけど」
「なるほど。僕たちが作った映画を見たのか。正直言って――あんなモノで信者を増やそうとしている方が間違っていると思うが」
「――もしかして、教団に対して不満があるのか」
 ――福城泰輔が、教団に対して不満を持っている? 僕は、改めて彼にそのことを聞いた。
「それで、不満とは一体何なんだ?」
「矢っ張り――『新興宗教の信者』というだけで大学のクラスメイトから変な目で見られるし、教団へのお布施は月に10万円要求されることもある。僕は大学生だから、バイトをしてお布施を稼いでいるが――バイト代だけではとても生活できないのが現状だ」
「そうか。――脱会したいと思ったことはあるのか?」
「脱会は何度も思った。でも――その度に信者から脅された。そして――集団リンチを受けたこともあった」
「――大変だな」
 新興宗教に関して、よく「信じる人は騙される」とは言うが――矢張り、福城泰輔もその1人なのか。僕は、彼の悲しそうな顔をずっと見つめていた。
 陰気臭い話をしながら食べる料理は、あまり美味しいと思わない。ぶどうジュースで冷めたピザを流し込みつつ、僕は話を続けた。これ以上彼に対して幸福研究会の話を振るのは気まずいので――家庭関係とか、そういう話を振ることにした。
 結果だけ言えば――彼は僕と同じく幼い頃に両親が離婚していた。そして、母親方に引き取られることになった。
「幸せになりたい」という一心で幸福研究会に入ったものの――そこで待っていたのは「幸福」どころか「不幸」だった。まあ、そんなところだろう。
 そうこうしているうちに、宴もたけなわになった。
「これから――どうするんだ」
「僕はアパートに戻ります。――家、灘区の方なんですよ」
「そうか。僕は――芦屋だ」
「なるほど。――途中まで一緒ですね」
「それはそうだが――僕の足はバイクだ」
「そうでしたね。――それじゃあ、僕はこれで失礼します。また、どこかで会えると良いですね」
「そうだな」
 そう言って、僕は福城泰輔と別れることにした。しかし――なんだか厭な予感がする。もしかしたら、彼とは二度と会えないんじゃないかとか――そういう予感がしていた。
 芦屋までバイクを走らせている中で、僕は件の殺人事件について考えていた。矢張り、今のところ考えられる犯人は――パズズしかいない。「人間の犯人」という可能性が考えられなかったのだ。
 他に犯人がいるとしたら――矢張り福城泰輔だろうか。そういえば――彼に対する不在証明(アリバイ)を聞いていなかった。これは、僕のうっかりミスかもしれない。――矢っ張り、探偵失格だ。
 やがて、バイクはアパートへと辿り着いた。なんだか、今日は長い1日だったな。スマホを見ると、時刻は午後11時を少し回っていた。
 とりあえず、僕はダイナブックで福城泰輔に関する情報をサクッとまとめて――西本沙織にメールを送った。多分、「僕が幸福研究会の信者と話をした」ということは貴重な情報源になるだろう。
 メールに対する返事は、なぜかメッセージアプリを経由して送られてきた。
 ――ウッディ、幸福研究会の信者に会ったのね。
 ――これは確かに貴重な情報かも。
 ――私も独自で情報をまとめているけど、矢っ張り上手くいかないのよね。
 ――このままだと、講談社をクビになるかもしれない。
 ――いや、それは忘れて。ともかく、福城泰輔の証言は、こちらで上手くまとめて記事にするつもりよ。
 ――多分、紙じゃなくてネットニュースに掲載すると思う。
 なるほど、ネットニュースか。それなら拡散力も強いだろう。――彼女の判断は正しいと思う。
 僕の証言がネットニュースとして掲載されたのは、彼女にメールを送って1時間ぐらい経ってからだった。――日付変更線を狙ったスクープなのか。
 記事には、一文の狂いもなく僕の証言がそのまま記載されていた。恐らく――彼女が講談社へと原稿を送ってすぐに、掲載許可が降りたのだろう。ネットが普及した今なら――こういうこともすぐにできる。「情報化社会」と言われて久しいが、矢張り、今の時代――影響力があるのは紙の新聞やテレビよりも、ネットなのかもしれない。
 僕は、改めて彼女にメッセージを送信した。
 ――記事、読ませてもらった。
 ――多少の誇張はあったとしても、これが事実だ。
 ――そうだ、沙織ちゃんの都合さえ良ければ明日会えないか。
 ――返信を待っている。
 これでいいか。しかし、彼女は不眠不休で記事を書いている。一体、いつ休んでいるのだろうか?
 そんな事を思っていると――浅井刑事からメッセージが送られてきた。
 ――ネットニュースに掲載された信者の証言、読みました。
 ――まさかとは思いましたが、卯月さんが関わっていたのですね。
 ――その証言、もう少し詳しく聞かせてもらえませんでしょうか?
 ――今日はもう遅いので、明日で良いですよ?
 ――それでは。
 僕は――浅井刑事から信頼されているのか。いずれにせよ、僕が事件の鍵を握っているのは確かだ。というよりも――無理矢理鍵を握らされたようなモノなのだけれど。
 もちろん、福城泰輔の証言も小説の中へと組み込むことにした。そうしないと――僕の小説は先細りしてしまう。先細りしないためにどうやって話を膨らませるかが、小説家の力量だ。
 翌日。僕は――有給休暇を取って浅井刑事と会うことにした。要するに、「福城泰輔の証言を詳しく説明してほしい」とのことだった。仕方がないとはいえ、兵庫県警本部まで出向くのは――気が重い。
 兵庫県警本部では、黒いスーツを着た女性が待っていた。彼女が――浅井刑事なのだろう。
「卯月さん、お待ちしておりました。早速ですが、信者の証言について聞かせてもらえないでしょうか?」
「分かった。――どこかに、個室はないのか」
「取調室でよろしければ――用意しますが、どうしますか?」
「頼む」
 僕は、別に罪を犯した訳でもないのに――取調室へと案内された。まあ、2人だけで話がしたかったので妥当といえば妥当なのだが。
 浅井刑事が僕に話を振る。当然だけど、僕は緊張していた。普段、面と向かって人と話すことなんてなかったから当然だろうか。
「それでは、信者の証言についてお聞きいたします。卯月さんは、『事件現場で福城泰輔という幸福研究会の信者の証言を聞いた』と言いました。それは間違いないでしょうか?」
「間違いない。確かに――僕は福城泰輔と事件現場で接触した。しかし、残念ながら――彼が殺人を犯したという確証は持てない」
「それはどういうことでしょうか?」
「彼と接触したのは、丁度『セミナー』と称する教団の務めを終えた時だった。多分、帰宅するところだったのだろう。その後、彼とはイタリアンレストランで色々と話をしたが――どうも、入信したことを後悔しているらしい」
「後悔している? どういうことでしょうか?」
「彼は――その場のノリで幸福研究会に入信させられたんだ。月に10万円のお布施を教団に対して払うためにアルバイトもしているらしいが――正直、それだけでは食べていけないとのことだった」
「お布施ねぇ……。そういうモノって、大体高額というか――莫大な金額を要求されますよね。度々それでトラブルになるという相談はよく寄せられています。――もっとも、私たち捜査一課の管轄外なんですが」
 浅井刑事は、僕の話に対してなんだか引っかかるような感触を覚えていた。もしかしたら――この殺人事件は、「悪魔による殺人事件」ではない可能性があるかもしれないのだ。というか――現実世界において、悪魔が殺人を犯すことはあり得ない。そんな事があり得たら――この世の中は、前世紀どころか18世紀ぐらいの思考回路で止まっていることになる。なんとしても――「人間による殺人」をこの手で証明させないといけない。しかし、僕にそんな権限がある訳ではない。そういう権限を持っているのは――多分、兵庫県警なのかもしれない。
 僕は、浅井刑事との話を終えた上で――西本沙織のスマホに連絡した。
 ――さっき、兵庫県警の刑事さんと話を付けてきた。もちろん、例の信者と接触したことに対する話だ。
 ――『週刊現代』に掲載できる程の実入りがあるから、今すぐ会えないか。
 ――直接沙織ちゃんが逗留しているホテルへと向かうから、部屋番号を教えてくれ。
 メッセージに対する返事はすぐに来た。多分、5分も経っていなかっただろう。
 ――ホテルまで来てくれるのね。ありがたいわね。
 ――部屋番号は601番よ。
 ――ホテルの所在地は三宮というか、新神戸に近い場所だわ。
 ――緑の看板のホテルが見えてきたら、それだから。
 なるほど、そこか。僕は、バイクに跨って西本沙織が待つホテルへと向かうことにした。現在時刻は、午前11時だった。
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  • Phase 01 女子シングル フリープログラム

  • 1
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  • 3
  • Phase 02 悪魔が来たりて人殺す

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  • Phase 03 非実在被疑者

  • 7
  • 8
  • 9
  • Phase 04 3人の被疑者

  • 10
  • 11
  • Phase 05 悲しみの果てに僕が見つけたモノ

  • 12
  • 13
  • 14
  • Final Phase 僕が生きている理由(ワケ)

  • Epilogue

登場人物紹介

卯月絢奈(うづきあやな)

主人公。売れない小説家見習い。女性だが一人称は「僕」。

メンヘラ気質でありすぐネガティブに物事を考えてしまう。

友達は少ないが西本沙織とは仲が良い。

西本沙織(にしもとさおり)

講談社で働くゴシップ記者。担当は『週刊現代』。

絢奈に対してある事件の解決を依頼したことにより物語が始まる。


文芸第三出版部への異動を希望している。

浅井仁美(あさいひとみ)

兵庫県警捜査一課の刑事。

絢奈とは事件現場で知り合う。


曰く「卯月さんは昔の友人に似ている」とのことだが……?

福城泰輔(ふくしろたいすけ)


幸福研究会の信者。何者かに刺殺される。

金子敦美(かねこあつみ)


「幸福研究会被害者の会」のメンバー。

紫村克彦(しむらかつひこ)


「幸福研究会被害者の会」のメンバー。

羽島慶太(はしまけいた)


フリージャーナリスト。幸福研究会の動向を追っているようだが……?

守時博章(もりときひろあき)


兵庫県警捜査一課の警部。仁美の上司。

大山流法(おおやまりゅうほう)


幸福研究会の教祖。

店長(てんちょう)


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