ひざらし

文字数 1,229文字

 公園の車止めに、腰かけている人がいた。
 歩道との境に三つ並んだ、石の車止めだった。円柱形で、腰を下ろすにはちょうどいい大きさだ。
 その人は、真ん中の円柱に、歩道を向いて座っている。
 公園は横断歩道の目の前にあり、赤信号で立ち止まった私とは、ちょうど向き合うかたちになった。
 信号と言っても田舎道のことで、通る車もなく、他に歩く者もいない静かな昼下がりだ。
 梅雨のあいまのよく晴れた日で、日射しはすでに真夏めいて強く、日傘を広げなければ目が眩みそうなほどだった。
 すぐ後ろは木立の陰で、涼しげなベンチも置いてあるというのに、その人はふりそそぐ陽光のただなかに身をさらし、動こうともしていない。
 コンクリートの地面に反射した光を受けて、ぼうぼうと白く霞んでさえ見える。
 信号が変わって歩き出すと、その人の姿がはっきりとしてきた。
 大柄の身体をもてあますように前屈みになり、広げた足に両手をだらりとのせている。
 ──あ、父さん。
 被った野球帽から広い額がのぞき、その下には白毛混じりの太い眉。いくぶん細めたような目が確かに私に向けられた。
 手を振ろうとして、はっと思いとどまった。
 父は、四年前に死んだのだ。
 横断歩道を渡りきった時、そこにいたのは父とはまるで似ていない老人だった。
 ポロシャツにフィッシャーマンベストに野球帽。格好だけは、父が好んでしていたものと同じだったけれど。

 妙な見間違いをしたものだ。
 しかし、家に帰ってよく考えてみても、あの一瞬、はっきりと見えたのは父の顔だった。
 時間がたつにつれて記憶は鮮明になり、父にまぎれもなかったと思えてくる。
 これまでも雑踏の中や自転車の後ろ姿など、父に似た姿は見かけたことはあった。父の年代の人は、同じような服装をしていることが多く、体型が似ていればみな父に見えてしまうのだ。
 だが、と考える。
 そのうちの幾つかも、父だったのだろうか。

 霊感というものは、まったく持ち合わせていないはずだった。
 父の初七日の夜、ベランダで何かがぶつかるような大きな音がした、と母は言った。
 ──お父さんが、出て行ったんだよ。
 私には聞こえなかった。
 四十九日には、読経の最中、花瓶の花がひとりでに動くのを母や妹が見た。
 ──父さんが合図して行ったんだね。
 私は見ていなかった。
 なぜ、私にだけ気配を示してくれないのか。怒りさえした。
 けれど、今まで気がつかなかっただけで、さまざまな所に父はいたのかもしれない。

 たしかに愛しい人の霊は、夕暮れの川辺とか、薄闇の街角などよりも、日ざらしの中にいた方がふさわしい気がする。
 眩しさに瞬きしているうちに消えるのだ。
 こんど会ったら微笑んでやろう。
 もう少し、待っていてね、父さん。
 父と同じ病名で余命宣告を受けてきた。
 いずれ私も父と並んで、此岸を眺めているのだろうか。
 白い光の中で。
 


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