## プロローグ

文字数 4,181文字



 前世について話しておこう。


        ◇


 前世のおれは、とある大会社に勤めていた。

 そこは、簡単に説明すると「他社のヒット商品の類似品を作る」会社だった。


        ◇


 きっと誰もが色んな場所でうちの商品を目にしたことがあるだろう。

 むしろ、見たことがない人を探すほうが難しいかもしれない。


        ◇


 例えば、世の中のどこかで何か新しいものが生まれ、ヒットする。

 噂を聞きつけた大勢の消費者たちは、それを求めて押し寄せる。

 しかし残念なことに、あまりの人気にヒット商品は既に売り切れになっている。

 生産も追いついていない。

 転売されるものの値段は元値の倍以上に高騰している。

 そのときに大勢の前に待ち構えているのが、そう、おれたちが準備していた「そっくりの類似品」。

 消費者たちは〈まあ、似ているし、これでいいだろう〉〈ちょっと試したかっただけだし〉なんて呟きながら、その類似品を手に取る。

 お買い上げ、ありがとうございます!


        ◇


 うちの会社は、業種も品目も問わずに手広く類似品を作り上げていた。正確に言うと、それらの製品をいち早くプロデュースする仕事に携わっていた。

 会社独自の膨大な情報網を駆使して、あまねく世界のヒット商品を、どこよりも早くキャッチアップする。情報を手に入れるために、様々な業界にスパイを送り込んでいたり、他社の社員をハメ込むような真似もしていた、という噂もある。

 確証はないが、たぶん、本当だろう。

 とにかく、いち早く情報を手に入れ、分析し、それとそっくり同じものを作り上げる。

 実際に商品を作り上げるのは、その同業種の工場だったり、ライバルのメーカーの生産ラインだったりする。


        ◇

 
 ちなみに会社名は「株式会社明るい未来」。

 宗教法人の呼び名ようにも聞こえるけれど、れっきとした民間企業だ。

 そして会社の理念は「市場に公正で自由な競争を!」だった。

 ヒットを生み出したメーカーの独占は断じて許さない。

 逆にこっちが真似をするのは自由だ、をモットーにしていた。

 ただ、おれが働いている間、うちと似たようなビジネスを展開している同業者は、他に見当たらなかった。

 ようは、うちの会社は独占禁止法の「理念」を独占していた、とも言える。


        ◇


 うちの創業者は、極端に「オリジナル」を嫌う思想の持ち主だったらしい。

 聞くところによると、若かりし頃は、自らのアイデアでひたすらに勝負しようとしていたらしい。

 しかし不運なことに、ことごとくライバルたちに先を越され、同じような商品を幾度となく先に展開されてしまっていた。

 負けが込んだところで、ついに創業者は痺れを切らした。


「自分のアイデアがどこかで盗まれているんじゃないか?」


 そんな妄想めいたものまで考え始めるほどヤバい状況に追い込まれた当時の創業者は、そこで、発想をぐるりと転換したらしい。

「盗まれて泣きを見るくらいなら、盗む側に回ってしまえばいいじゃないか。
この世は自由だ」

 そんなアブノーマルな発想のもと、うちの会社は産声をあげた。


        ◇


 迷妄な理想を掲げながら、もともと尋常じゃない行動力のあった創業者は、たちまち、業界のあちこちで政治的、経済的に幅を利かせるようになる。

 幼少期から、誰かの弱みを握るのが得意だったらしい。なるほど、友達にはなりたくないタイプの人間だ。

 特許を嫌い、関連する人たちの弱みを徹底的に握っていった。

 その道の悪名高いパテントトロールを幾度となく亡き者にしてきた。

 その姿は、特許に自身のアイデアの行く手を阻まれ泣きを見てきた人間たちからすると、勇者そのものだったとも聞く。

 うちの創業者は、人類史上でも稀にみる、剛腕の持ち主だった、とも言える。


        ◇


 ちなみに、うちの社訓は「お前の代わりなら、いくらでもいる」だった。

 ひたすらに類似品を作り上げる会社にとって、うってつけの訓戒だ。


        ◇


 世慣れしている人はここまで聞いて、ピンと来ているかもしれないが、もちろん、うちの会社はいわゆるブラック企業というやつだった。

 就業状態どころか、実際、業務内容も社会的に真っ黒だった。

 しかし、それらを咎めるべき国の役員も、すべてうちに弱みを握られ、同じ社会の内側で囲い込まれていた。

 うちの会社はもう社会全体を巻き込み、割られたばかりの黒曜石のように鋭く黒く、きらびやかに輝いてすらいた。

 しかし、そんな真っ黒な状況でも、まごうことなき資本主義社会の原動力そのものに食い込んではいたせいか、会社には数え切れないほどたくさんの人間が集まって日々仕事をこなしていた。

 人は道義よりも、利益を優先する。

 それはもう、清濁併せ呑むありさまで、社会そのものの姿だったと言ってもいい。

 前世のおれも新卒で入社したそんな大勢の中の一人だったわけだ。


        ◇


 まあとにかく、そうやってうちの会社は回っていた。


        ◇


 そんな素晴らしい会社の中で、おれは何も気にせず、のびのびと働いていた。

 ちなみに前世では、昼休憩というものを取ったことがない。

 4週6休? そんな言葉も聞いたことがない。

 社会が動き続ける限り、仕事はひっきりなしにあった。

 会社内では処理しきれないほどだった。

 休日も関係なく仕事をしていた。

 休んでいる暇があったら働け。文句なら無料だ、いくらでも言ってみろ。

 おい知ってるか? 社会はお前なんかより全然デカイんだからな。

 そんな軽口が飛び交っていたっけ。


        ◇


 そして新しく入ってくる後輩たちは、すぐに辞めていった。


        ◇


 ある時、仕事の帰りに、後輩と一緒に飯を食った。
 それから、いつもどおりに終電に乗って一緒に帰っている最中、後輩はおれの隣で膝から崩れ落ちた。同業者がたくさんいたのか、終電の車内はスーツ姿の人間で溢れていて、おれたちはつり革をつかみながら立っていたところだった。

「もう、無理です。限界です。毎日毎日、身を粉にして、朝から晩まで働いているのに、僕らはなんにも得られません」

「お、おう。急に大丈夫か?」おれは心配した。

 その日は雨が降っていて、電車の床は傘から滴り落ちる雨粒で濡れていたが、後輩は気にせず床にへたり込んでいた。

「先輩だって、こんなに自分のすべてを犠牲にしているのに……。僕らが作っているもの、分かっていますよね?」

「おう、もちろん」おれは答えた。

「他社のヒット商品の類似品」後輩は言った。

「そ、そうだな」おれは相槌をうった。

「僕らの仕事って、本当に必要なんですかね? 骨身を削ってまで作り上げるべきものなんでしょうかね?」後輩はおれの顔を見上げながら尋ねた。半分泣いていた。

「まあ、市場原理には合致しているからなあ」その頃のおれはやけに悟っていて、働きながらも、世の中はそういうものだ、としか考えていなかった。

「僕はもっと、こう、人のためになる仕事がしたいです」後輩は自身のビニール傘にすがりつきながら言った。

「なるほど、そういうもんだろうなあ……。まあ、頑張って立ち上がりなよ」おれは後輩に手を差し伸べて、その身体を引っ張り上げた。


        ◇


 翌日から、その後輩は来なかった。

 社訓のおかげもあって、退職も一切の滞りもなく進められたようだった。

「人のためになる仕事をしたい」後輩はそう言った。

 おれは「そういう考えもあるのだな」と思いながら、自分の仕事を続けた。

 うちの商品が社会のニーズに応えている以上、誰かのためにはなっていると思いながら。

 おれは自分の仕事を続けた。

 もちろん、人のためでもなく、自分のためでもなく、誰のためでもなく。


        ◇


 そうしているうちに、ひとつの事件があった。

 とある製品のリリース3日前。

 協業もしているクライアントが、商品開発の企画をまるごとやり直したい、と言ってきた。

 今回できあがった製品が安直な類似品すぎて、下手をすると自社の名前に傷がつくかもしれない。せめてパッケージだけでもやり直せないか。そんな要望だったと思う。

 もちろん製品はすでに出来上がっていて、各所から発注を受け付ける段階だった。

 普段なら到底飲み込めない、ありえない要件だった。いままで掛けてきた金が全てパーになる。受け入れて企画が流れるだけじゃなく、うちの会社が大幅に割を食う話だ。

 しかし、元々そのクライアントの担当者との仲がすこぶる悪く、かつ、他の案件で気が立っていたうちの上司は、割増しの要求をふっかけた上で、高らかにこう言った。

「企画ならいくらでも壊してみろよ。うちの下請けなら3日で立て直してみせる」


 そうしておれは担当者として、ECを担当していた下請けに報告・相談をしに、直接出向くことになった。

 ちなみにパッケージのデザインを担当したデザイナーはその下請けの下請けに位置していた。

 たしか夜の9時過ぎだったと思う。

「すみませーん。毎度お世話になっております!」おれは声をあげた。下請けの事務所は開いていたが、真っ暗だった。

 事前に連絡は通っていたので、誰かしらは待機しているはずだった。

「すみませーん。やり直しの件なんですけどー」おれは再び声をあげた。

 その時、おれの背後で物音がした。

――まいどまいど、こき使いやがって、ちくしょう、人を何だと思ってやがる。

 そんなことを、ぶつくさ言う声が聞こえたかと思うと、おれは耳元でこう言われた。

「いいかげんにしろ!」

 まるで漫才の最後の締めくくりみたいなことを言われて、おれはその場にばったり押し倒され、そのまま息絶えた。脇腹に立派な刃物が思いっきりねじ込まれていた。

 それが前世のおれの最期だった。


        ◇


 それからおれは長くて暗いトンネルの中を、転がるように進んでいた。

 もはや自分の意志ではなかった。

 トンネルを進むのは、奇妙な感触だった。

 強烈な眠気に巻き込まれるような、抵抗できない力に支配されていた。

――これが死の間際の光景なのか。

 そんなことを暢気に思っていたくらいだった。


        ◇


 そして気がつくと、おれはいまの世界で普通に生活をしていた。

 職業をもたない暇な人間として。
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