#9 詐欺師登場、そしてため息をつく

文字数 5,686文字




 おれは風呂から上がり、着替えを済まし、釣り道具を片付けた。

 居間を見ると、男はまだそこにいた。

 よく見ると、猫が男のすぐ脇にうずくまり、静かに撫でられている。

 その光景はおとなしい飼い猫そのものだった。

 おれには懐かないくせに、人には慣れていやがる。


        ◇


 さっそくおれは、永山と名乗る男に尋ねてみた。

「たぶん、人生の繰り返しはしてますよね? 何回目ですか?」

 永山は意外そうにおれを見返し、それから何かを納得したのか頷いた。

「んー、覚えていないねえ」永山はそう言いながら首を傾げた。

「元に戻るきっかけとかって、ありますか?」おれは続けて確認した。

 永山はなにかを思い出すように、斜め上を見た。

「んーとね」永山は一瞬ためらった。

 それから答えた。

「詐欺行為」


        ◇


 おれは、小野山環のときと同じく、台所に立ち、湯を沸かしながらお茶を淹れる準備をしていた。来客のためというより、おれが飲みたかった。

 永山はボンヤリとした表情で居間の畳の上に座っている。

 おれは濃い目に淹れたお茶に氷を入れて冷やした。

「小野山環って人は知っていますか?」おれはお茶を差し出しながら聞いた。

「小野山環? さあ、聞いたことはないな……」永山は答えた。

 どうやら2人は知り合いではないらしい。


        ◇


 聞きたいことはたくさんあったが、何から聞けばいいのか分からなかった。

 とにかく何でも聞くしかない。

「あの、どうやってこの家に入ってきたんでしょうか」おれは尋ねた。

「玄関が開いていた」永山はそう言いながら、お茶を一口飲んだ。

「なるほど……」おれは色々と面倒に感じて、家の鍵を掛けなくなっていた。

「この場所は以前、我々が使っていたんだがね」永山は言った。

「われわれ?」

「ええ、詐欺の事務所として」永山は事もなげに言った。


        ◇


 詐欺と聞くと、いま自分自身が誰かに担がれているんじゃないかと思い、おれは居間の中を見回した。

「懐かしいな。何十年ぶりってところか」永山は懐かしんだ。

「僕らみたいに、何かをきっかけに繰り返しを経験する人って、他にもいるんですかね?」おれは小野山環に聞けなかったことを質問してみた。遠慮はいらないだろう。

「いるよ、そこらへんに。たくさん」永山は眉を上げ、なんだそんなことか、とでも言いたげな表情をしながら答えた。

 おれは頷いた。

「見りゃあ分かる。たいていボンヤリしているか、遠くを見つめるような目をしている」永山はおれの顔を見た。

 おれはボンヤリのほうか? と思った。

「いつから繰り返しに巻き込まれたか、覚えてますか?」おれは聞いた。

「ああ、ハッキリと覚えている」永山は頷いた。

「それはいつですか?」

 それから永山は長々と自身の説明した。


        ◇


 それは、永山が大学生の頃、サークルの先輩に頼まれてのことだったそうだ。

 報酬ははずむからという理由で、両手を合わせてお願いされたらしい。

 暇だった永山は気楽にそれを引き受けた。

 それが詐欺のシナリオだった。フローチャートまで作り、様々なルートを想定した手の込んだものを組み立てていった。永山はそれを楽しみながら書き上げた。

 しばらくして永山は報酬を得た。

 それは優秀なサラリーマンの年収を軽く越えていた。

 金額を見ても、不思議と罪悪感は感じなかった。ただの数字にしか見えなかった。

 そのときに永山は、自分が社会に対して救いようもないくらいに冷たく醒めているのを実感したという。

 そして、一晩寝て目が覚めてみると、永山は高校時代の朝に戻っていた。

 悪い夢でも見せられているのかと考えたが、繰り返しの体験が増えるごとに永山は自分が飲み込まれている状況を理解していった。

 しかし、永山は人を騙さない限り、元に戻されることなく長いスパンを生きていられるそうだ。

 少し羨ましい。


        ◇


「人生を繰り返すのは疲れるものだよ」永山は自分にあきれたように言った。

「過去にしか戻らないんですか?」おれは気になった。

「そうだが?」永山は逆に聞き返してきた。

 そこで、おれは自分の状況を説明した。短い期間に時間があちこちに飛ぶこと。

 永山は驚きながら、目を見開いて頷いた。

「いやあ、そいつは珍しいな。それで、よく気が狂わないな」永山は感心したように言った。

 あなたこそ、と言い返そうと思ったが、おれは黙った。

 改めてそう言われると、自分の頭が馬鹿みたいに丈夫な気がしてきて、素直に頷けなかった。正直、おれにもよく分からない。

「となると、金が手に入ればいいわけか」永山は言った。

「ええ、そうするとリセットされて、どこかしらに戻ります」

「なら、詐欺のコツでも教えておこうか?」永山は提案した。


        ◇


 おれは頷いた。それから首を横に振った。まだこちらにも聞きたいことがある。

「ええと、その前に。どうしてこの家に?」おれは永山の話を遮って聞いた。小野山環には聞きそびれた質問だ。

「ああ、ただ思い出に浸りに来ただけさ」永山は言った。

「それにしても、わざわざ家の中にまで入っている」おれは自分の質問を続けた。かつてどうだったかは知らないが、今はおれの家だ。

 永山はしばらく考え、それから言った。

「正気を保つため、とでも言っておこうか。これまでにもここには何度か来ている。家主に会ったのは初めてだ」


        ◇


――正気を保つ?

 永山はゆっくりとお茶を飲んだ。

「ああ、人間生きていれば、どこかで自分の過去と向き合わなければならない。分かるだろう? 長生きしていればなおさらだ。記憶が混濁してきたら、人生の終わりの合図かもしれない。まったく、人より長生きするのも大変だよ」永山はおれに同意を求めた。

 おれも永山と同じく、人とは比べものにないほどの長い時間を過ごしてきたはずだが、スパンが短すぎるせいか、あまり細かいことにはこだわらなくなっていた。

 おれはそれを説明した。

「なるほど、そう考えると、そいつは便利だな」永山はおれの生活態度に感嘆した。

 もちろん、褒められても嬉しくはない。

 おれは今の状況を受け入れてはいるが、もちろん好き好んでこうなったわけでもない。

「君に比べれば、自分の人生はもう終わりかけている。それを感じるんだ。もう何度か繰り返しを経験すれば、目覚めないだろうな、と。少しくらいなら分かるだろう?」永山はそう言いながら、手元の猫を見つめた。

「ええ、まあ、その感触なら」おれは同意した。


        ◇


「当然、人を騙すのも飽きてくる。騙される人間はだいたい一緒でつまらない。金を稼ぐことにも元々興味はない」永山は言った。

 おれはお茶を一口飲んだ。細かい茶葉が浮いている。少し濃く作りすぎたかもしれない。


        ◇


 それから永山は一万円札を取り出した。

 それをテーブルの上を滑らせながら、おれに寄越した。

「お茶をご馳走になったお礼だ。忘れないうちに渡しておこう」永山は言った。

 おれはテーブルの上の金を眺めた。

「世の中の誰もがこいつを欲しがる。その紙切れのどこに価値がある?」永山はおれに聞いた。


        ◇


――ん?

 おれは金を手にとって眺めた。

 法定通貨の価値は、国が保証しているはずだ。

「しかし法定通貨を保証している国家というものも、あくまで抽象的な概念に過ぎない。象徴こそあるが、実体はない」永山はおれの考えを見透かすように言った。「国を抱きしめたことのある人間はいるか? 国土の端から端まで歩いたことのある人間が身近にいるか?」

 そんな奇特な趣味のやつとはまだ知り合っていない。

「国家というのも結局は約束事でしかない。世の中ってのは、約束に約束を重ねて成立している。最終的に全てココで共有するしかない」永山は自分のこめかみを指差した。

 言われてみれば確かにそうだ。

「だから、とても脆い。誰かが大声で嘘をまくし立てたら、すぐに大勢の人間にその存在を疑われてしまう。そんなわけで、できたてほやほやの国は存在を否定してくる人間を徹底的に許さない。嘘の上手い作家が為政者に脅威とみなされ処刑されることもある。逆に、政治家の悪口を言っても平穏に見過ごされる国があるなら、そいつは成熟している国だと言ってもいい」

 おれは黙って頷いた。

 居酒屋でおっさんたちが管を巻きながら政治批判に興じていられるのは、平和な証か。

「詐欺も通貨偽造も、身勝手に得をするから罰せられるわけじゃない。そいつのせいで本物の存在すら信用されなくなる危険があるからこそ、違反者に対して厳しい罰則が用意されている。その違いが分かるかい?」

「まあ、そうですね」おれは同意した。身に覚えがある話だ。

「誰もが疑心暗鬼になったら、金も使えなくなり、約束も守れなくなり、社会は立ち行かなくなる。それだけのことだ」

「なんと言うか、先生みたいな話しぶりですね」おれは永山を褒めた。「いつか教師を――?」

「いや、それはない」永山は否定した。


        ◇


 永山はため息をついて、お茶を飲んだ。

「たまに虚しくなる。人を騙せる能力があると、社会の底が透けて見える。どんなに稼いだ大金で豪遊しても満たされることはない。よりいっそう自分がどこに立っているのか分からなくなるだけだ」

「すべてが、ただの形のない約束だから?」おれは言った。

「そういうこと」永山はおれを褒めた。

 おれは頷いた。詐欺師候補の優等生になれた気分だ。

「それに比べて、騙されている人間を羨ましく思っているよ。誰もが生き生きとしていて、自分の気持ちや置かれた状況を何ひとつ疑っていない」永山は肩をすくめた。


        ◇


 おれは話の続きを待ちながら、お茶を一口飲んだ。

「いや、愚痴っぽくなって申し訳ない。詐欺のコツを教えるんだったな?」

「ええ、別に構いませんけど」おれは断った。

「なに、たいした話でもないさ。詐欺師にもっとも必要とされるのは、想像力だ。とにかく思いやりの心を忘れないこと。相手の立場になって、相手ならどう思うか、どんな風に言葉を受け止めるかを真剣に考える」永山の顔は真剣だった。

「それじゃあ、ふつうに親切な人ですね」おれは笑った。

「親切心は人が生きていく上で欠かせないものだ。もちろん詐欺師にとっても。相手を見下してもいけない。誰に対しても、立派に決断力を持った一人の人間として、尊重すること」

 おれは頷いた。そう考えると詐欺師は一般人よりも想像力豊かで良識的な気がしてくる。

「そして、詐欺のシナリオを考えるときに大事なこと。それは、信頼関係の構築でも、スムーズな進行でもない。それ以前の大前提がある」

 永山はためを作った。

「『あなたはこの話の主人公です』そう相手に囁くように話を組み立てる。それが一番重要だ」


        ◇


――主人公?

「『これはあなたの人生です。そしてあなたは、この人生の主人公です』そう言われるだけで、人は逃れようのない役割と責任を感じる。普段の生活で役割を感じていない人間ほど、効果てきめんだ。あとは、葛藤を与えて、決断を迫る」

「それだけで?」おれは聞いた。

「それだけだ。本当に便利な言葉だ。主人公にさえなってもらえば、金を支払わせることも、人助けをしてもらうことも、精神的に圧迫して自殺に追いやることだって簡単にできる――」

「ちなみに、おれは騙せそうですか?」おれは聞いた。なんとなく気になった。

 永山は渋い顔をしながら考えた。

「うーん、君みたいなタイプはだめだねえ。主体性が感じられない。それに、あんまり人の話を真に受けないでしょう?」

「ええ、まあ……」おれは答えた。本物の詐欺師にそう言われたなら受け入れるしかない。

 どうやらおれは、詐欺のターゲットとしては失格らしい。

 おれは安心して胸をなでおろした。

 同時に、それはそれで人としてどうなのか? という疑問も残った。

 まるで噛んでも味のしないガムにでもなったような気分だ……。


        ◇


「主人公にされたターゲットが金を振り込むために玄関から飛び出したときの頭の中の充実ぶりを知ってもらいね。その高揚感だけは紛れもなく本物だ。こちらとしては、高揚感を感じた分だけは、別に金を請求したいくらいだ」永山はそう言って笑った。

「なんだか社会ってうまくできてますね」おれは感心して言った。

「騙される人間は、騙されるべくして騙される。社会の仕組み上、仕方のないことだ。暇なら君も試してみるといい。誰かを主人公に仕立て上げる。思いやりと親切心を忘れないこと」

 おれは頷いた。

「時宜を得るのも大事だ。社会が人間不信のムードであれば詐欺はやりやすい。ターゲットを絞る時に余計なことを考えなくて済むからな。それに、人間不信な人間のほうが、出方が分かりやすくて扱いやすい。特別な出会いも演出しやすい」

 おれは頷いた。そりゃそうだろう。

「まあ、無理に詐欺に手を出す必要もない。幸いにして詐欺の業界は、後継者不足で悩むことがない。いつでも優秀な人材がどんどん集まってきてくれる」永山はそう言って、グラスのお茶を飲み干した。

 おれはそれを見ていた。

「いや、思い出探訪のつもりが、思いがけず長話をしてしまった」

 永山は立ちあがった。

「ずいぶんと正直な詐欺師なんですね」おれは正直に言った。

「詐欺師だって、戯言くらい素直に話すさ」永山はそう言って笑った。


        ◇


 玄関口で永山は振り返って言った。

「ああそうだ、あの一万円札が本物かどうかは、自分で見極めてくれ」

 そうして永山は家から出ていった。


        ◇


 おれは居間に戻ると、お茶の残りを飲んだ。

 あいかわらず人の話を聞かされるのは疲れる。

 それからテーブルの上の紙幣を眺めた。

 本物だった場合、おれは元に戻される。

 偽物だった場合、このまま明日がやってくる。


        ◇


 布団に行くのも面倒で、おれはそのまま居間で寝転んで昼寝をした。

 海に飛び込むように、おれは呆気なく眠りに落ちた。
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