#12 人生最後の休日

文字数 4,350文字




『さもあれ、ただ走り出でて舞ひてん、死なばさてありなん』


        ◇


 おれは暇をつぶすために『宇治拾遺物語』を読んでいた。

 本の中には、下ネタも多いが、暇をつぶすには最適な小話で溢れている。

 その中で、おれはあるセリフを目にして驚愕した。

 それは、いわゆる『こぶとり爺さん』の話に出てくるセリフだった。

 爺さんの気持ちを、ざっくりいまの言葉で言うなら、こうだろうか。

「何もかもどうだっていいや、死んでもいいから踊りたい!」

――死んでもいいから踊りたい?

 なかなかクレイジーな爺さんだ。頭のネジがぶっ飛んでいる。

 ある夜の山奥、鬼たちが奏でる音楽を耳にした爺さんは、いてもたっても居られなくなる。

――こんなのもう、走って出ていくしかないっしょ!

 そうして爺さんは、鬼たちが集結している大宴会に飛び込み、数え切れないほど集まった大勢の鬼たちの前で、踊り狂う。

 当然、鬼たちはその様子を見てどよめく。おい、一体何なんだコイツは!

 こんなにイカれた爺さんを、鬼たちが気に入らないハズもない。

 爺さんは、鬼界隈でも稀にみるほどの大絶賛を受け、また宴会をする時には必ず来てくれ、とオファーを受ける。

 異界の住人たちすら巻き込んで魅了してしまう、超人的な爺さん。

 世にも稀にみる名作だ。


        ◇


 あいかわらず、おれは暇にまかせて居間に寝転んでいた。

 猫も変わらず居間のテーブルの下にいる。

 外に追い出して家を閉め切ったにも関わらず、おれが帰ってみると、この猫は布団の上でくつろいでいた。

 おれは家のどこかに抜け穴があるのかと思って探してみたが、とくに見当たらなかった。

 きっとコイツは何かをやらかして、元に戻ったのかもしれない。

――まさか、金銭でも稼いだのか?


        ◇


 おれは猫に申し訳ないことをしたようにも思った。

 おれが触れたせいで、繰り返しに巻き込まれてしまったのかもしれない。

 しかし、試しに謝罪してみたところ、特に感想はなさそうだった。

 猫はおれの声に反応して、即物的な視線を投げ掛けてきただけだった。

 人間の心にも興味はないらしい。

 こいつは怒りもしなければ、悲嘆に暮れもしない。

 悟りきっているのか、脳天気なのかも分からない。


        ◇


 おまけに、おれは猫に名前すら付けずにいた。

 試しにいろいろと考えてみたが面倒に感じたので、名前は付けないことに決めた。

 飼い猫は名前がないままだと、いつか人間の言葉を話せるようになるらしい。

 どこかでそんな話を聞いたことがある。

 いずれコイツも、「吾輩は――」なんて皮肉たっぷりに人間社会を観察しながら喋り出すかもしれない。

 それはそれで楽しみだ。


        ◇


 そして、いまなお、おれは繰り返しの中にいる。

 たまに釣りに出かける以外は、ほとんど外出することもない。

――訳のわからない、この繰り返し。


        ◇


 考えようによっては、繰り返しのたびに本を読めば、世界中の書物を読み漁ることもできる。

 しかし、おれはそうしようとは思っていない。

 世界中の古今東西の情報を漁れば、この繰り返しから脱出する方法も見つけられるかもしれない。

 そうは言っても、琴美おばちゃんとの約束もある。

 もちろん、それも最終的にはおれの一方的な思い込みにしかならないが。


        ◇


 そんな理由で、おれは細細と知識を蓄える程度に留めることにした。

 別に、ファウスト博士になりたいわけでもない。

 知識を溜め込みすぎて、脳みそがどうなるのかも分からない。

 ある日突然頭皮が割れて、知識がたっぷり溶け込んだ変な汁が出てきても、困るだけだ。


        ◇


 そんなわけで、おれは静かに暮らしていた。

 どこぞのご隠居と同じだ。

 社会への悪口も言い放題だ。関わりがないから角が立つこともない。

 庭を見つめて、とりとめもなく思う。

 時間がどうやって流れてきたかもよく思い出せない。


        ◇


 それでも、最近あった話をひとつしよう。

 おれがこの前、久しぶりに公園を散歩していると、変な爺さんに声を掛けられた。

 平日の昼間に出歩いていると、よくあることだ。

 暇を持て余した立派な無職仲間。お互い、社会からの用事もない。

 話を聞いてみると、どうやらその爺さんは、老人ホームから何度も出禁をくらっているらしい。

 理由を聞いてみると、どうやら老人ホーム内で「10年後の夏にまた会おう」みたいな歌詞のある曲を大音量でリピート再生しまくったそうだ。

 当然、それを耳にしたほかの老人たちは希望を失い、顔を真っ青にし、さめざめと泣き始めた。

――10年後に、自分たちは生きていないだろう……。

 その爺さんの意図は強烈だった。

――だらだら生きていないで、わしらは自分の死と向き合わなきゃならん。

 さらに、『楢山節考』を他の老人と顔を突き合わせながら音読しようとしたところで、明確な迷惑行為とみなされ、退場を命じられたそうだ。

「目先の金のことしか考えられなくなるくらいなら、わしらはとっとと死ぬべきだ。どうせもう、いつ死んだって変わらないのだから」

 この爺さんは、しぶとく生きそうだな、と思いながらおれは話を聞いていた。

 爺さんはピンピンしていた。自分から社会に殴り込んでいくような、強い気概を感じさせる。

 明確な目的があるからかもしれない。

――自分と同じ老いぼれどもに、現実に直視させてみせる!

 言い逃れができないくらい立派な嫌がらせの考えに、思わずおれは感嘆した。

 老人界隈にも新たな風が吹き始めているようだった。


        ◇


 過激な爺さんは別にして、おれの日々はのんびりと続いた。

 やることがないのだから仕方がない。

 社会が用事を思いついてくれないかぎり、暇な人間は増える一方だ。

 おれは居間で寝転びながら、そんなどうしようもなさについて思いを巡らせていた。

 集団にできないことは、個人個人でなんとかするしかない。

 誰かを恨んでもしょうがないし、誰かに恨まれても答えようもない。

 そういう意味では、恨みっこなしだ。

 そんなこんなで、おれは繰り返しながら、ぼんやりと平穏に過ごしていった。


        ◇


 さて、そうしているうちに、ついにその日がやってきた。

 ものすごく眠い朝。

――いわゆる、人生最後の休日だ。


        ◇


 おれは布団から出ずに、ぼんやりと天井を見つめていた。

 起きて何かをする気もない。

 ここ最近は、寝そべりながら、人生について考えていた。

 主人公気取りのほうじゃなく、もっと漠然としたほうの人生だ。


        ◇


 主人公気取りの人生の場合、全員に主観があって、それぞれが思い思いに動き回る。

――人生はゲームみたいなものだ。

 誰かは人生をゲームに例える。

 じゃあ、おれの場合、どういうゲームなのか。

 最終的に、世界の全貌が明らかになることもなく、同じような時間と場所をぐるぐるしてみただけだ。

 前世を含めてみたところで、類似品を作ってみたり、散歩をしてみただけだ。

 こんなチュートリアルだけで終わるような、おれの人生は一体何なのか。


        ◇


――もしかして、おれの人生は無料体験版なのか?

 だとしたら、ゲームという例えに納得できる部分もある。

 たしかに、おれは生まれる前に、誰かに金を払ったような記憶もない。

 訳も分からず生まれてきただけだ。そもそも覚えていない。

 生まれる前に課金をしていたら、今頃、タワマンに住んだり高級車を乗り回したりしていたのかもしれない。

 今度その機会が合ったら、課金アイテムについて調べてみよう。

 他のプレイヤーたちから、すぐに認識してもらえるだろう。

 おっ! あの人、生まれる前に課金したのかな!


        ◇


 もっと漠然とした人生のほうは、そもそも、人生には意味があるのか、ないのか、みたいな話だ。

 そしておれは、自分なりに、ある事実を突き止めた。

――意味がある、ってどういう意味だ?

 なんだか、すげー、究極的にボンヤリした疑問だ。

 意味の意味について考えてみると、なんだか自分で自分のおっぱいを揉んでいるような気分になる。

 なかなか立派な自作自演だ。


        ◇


 もしもいつの日か、世界中の天才たちが集まって、人生には意味がない、と結論づけられたとする。

 しかし、ここで気がつく。

 意味がない、という言葉には意味がある。

 意味があるから、誰かに伝わる。


        ◇


 そして人類は、人生には意味がない、という事実を伝えるためにさえ、必死で意味のある言葉を互いに投げかけ合う。

――励まし合っているのだろうか?

 この期におよんで、意味のある言葉でしか、やり取りできないでいる。

 遠目から眺めると、それは非常におめでたい光景に見える。


        ◇


 正直、おれは意味があるとか、ないとか、そんなことには興味がない。

 意味という言葉について考えるなら、もっとふさわしい言葉が用意されている。

――意味不明。

 そう、おれの人生はまったくの、意味不明だった。

 生まれてから死ぬまで、なにがなんだか、さっぱり分からないままだ。


        ◇


 それでも、誰かと意味のある言葉をやり取りすることはできた。

 どうでもいいくらい些細な約束事だが、それでも構わない。

 きっとおれはこのまま、永久に気絶することになる。

 その後は、完全に意味のない状態が待っている。

 それはそれで、楽しみでもある。


        ◇


「何か言い残したことはないか?」薄れゆく意識の中、誰かがおれの耳元で言った。

 おかしいな。おれの近くに居るのは猫だけだ。

 もしかして、猫はついに喋れるようになったのかもしれない。

 おめでとう、晴れて化け猫の仲間入りだ。

「おい、何か言うことはないのかと聞いている」猫は催促した。気が短いのかもしれない。「人生はどうだった?」

「おれには、なにがなにやら、さっぱり」おれは答えた。


        ◇


 こうしておれは静かに自分の人生の幕を閉じた。

 享年26(たぶん)。

 実際に過ごした年数、不明。

 5億年くらいは、経ったか?

 それにしても、なかなか意味不明だった。

 若くして死んだようにも感じるが、飽き飽きするほど生きたようにも感じる。

 人生なんていつ死んでも、そんなもんか……。

――え? 連載を打ち切られた漫画みたいな終わりかただって?

 いや、申し訳ないが、おれは打ち切られた漫画については詳しくないから、何を言っているのかよく分からない。

――え? なんでガチで死んだはずなのに、いまは誰が話しているのかって?


        ◇


 さあ? おれにも、なにがなにやら、さっぱり――。
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