#6 平屋の一軒家を探索

文字数 6,003文字



『行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。』


        ◇


 家。おれが住んでいる年季の入った平屋の一軒家。

 もっと早くに気にかけるべきだったが、不条理な繰り返しに気を取られて忘れていた。

 いや、本音を言うと、本当は気に掛けないようにしていたところもある。

 もしも家の中におれの境遇をあらわす理由が歴然と存在していることが分かった場合、おれはそこから逃れようもなく、無条件に縛り付けられていることになる。

 それを知ったおれは、本格的に地縛霊のように、心も身体もこの場に留まることしか考えなくなるだろう。

 そうなったらいずれ考えることもやめてしまうだろう。

 おれは真剣にそう考えていた。

 自分が存在している理由なんて、できる限りないほうが好ましい。


        ◇


 そうは言っても、何度も連れ戻されるこの家のどこかに、問題があるような気はしていた。

 しかし、おれはいつからここで暮らしていたのか、それすら思い出せないでいる。

 どうやってこの家を所有することになったのか、それも分からない。

 権利証に記載されていた日付は、現在のカレンダーから見ると4年前ということにはなっている。


        ◇


 例えばの話だが、床下に前の住人の死体でも埋められていた場合、それが呪いの原因になって、おれをこの場所に引き戻している、という可能性も出てくる。

 可能性はなくはない。

 しかし、なぜおれを?

 4年前にこの家の前をたまたま通り掛かったおれは、運悪く虫のように囚われてしまったのだろうか。

 好ましくない想像なので勘弁してほしいが、おれが巻き込まれている状況全体を省みるに、あながち否定できないというのが、なおさら嫌な気分にしてくれる。

 つぶしきれない可能性について考えてしまうと、自然とため息が出てくる。

 ぶっちゃけて言うと、たまに、自分でいることが嫌になる。


        ◇


 そういうわけで、思い立ったが吉日。

 おれは思い切って、家の区画の隅々を点検して回ることにした。


        ◇


 といっても、そんなに広い家ではない。むしろ狭い。

 キッチンとダイニングのようなスペース、居間、それと襖を隔ててもう1部屋。それらが一列に繋がっている。廊下を挟んで、トイレと風呂。それと納戸の扱いをしている応接間。

 それくらいだ。

 ちなみに、おれは縁側と呼んでいるが、居間の庭に続く窓のそばには横長の木製のベンチのようなものがある。それは表面が朽ちて、恐ろしく汚れている。苔も生えていて、素足では直接乗らないほうがいい。

 そいつは材木というよりは、植物に戻りつつあるような風情がある。

 おれはその縁側のボロさ加減を気に入っていたが、眺めるだけにしている。


        ◇


 表面的な捜索はすぐに終わった。

 おどろおどろしい物は、とくになにも見当たらない。怨念のような気配も感じられない。

 もちろん、どこかから悪い気配が漏れていたとしても、おれは感じ取ることはできないだろうが。

 その時に、床下に埋められているかもしれない婆さん、という可能性を思いつき、ためしに畳も持ち上げてみることにした。


        ◇


 家の畳は古く色あせていて、歩くたびに足裏にブカブカと心地よくない柔らかさを感じることができる。

 畳の下の床板も、経年劣化でたわんでいるのだろう。

 おれは試しに、普段布団を敷いている、奥の部屋の畳を一枚めくって持ち上げてみた。

 おかげで、もともとカビ臭い部屋に、さらにふんわりとカビ臭が漂った。

 畳の下は縦長の床板になっていたが、年季が入っていて、ボロボロに見える。

 続いて2枚めの畳を持ち上げた時に、床板にゴルフボールほどの穴があいていることに気がついた。

 ちなみに床板の下というのは、基本的に地面との空間だ。穴が空いているということは、そこが直通している。どおりで頻繁にヒンヤリとした空気を感じていたわけだ。あとで補修しておこう。

 その穴に指を突っ込んで引き上げてみると、板ごと動くことが分かった。

 おれは思い切って床板を持ち上げて、床下を確認することにした。


        ◇


 床下は暗かった。

 おれは戸棚の中に懐中電灯を見つけ、試しに電源を入れてみた。問題なく明かりは点いた。

 床下を照らすと、すぐ下に地面が見えた。

 首を突っ込めるように隣の床板をもう一枚外し、おれは恐る恐る中を覗き込んでみた。


        ◇


 床下は思いのほか綺麗だった。幸いにして、ネズミの姿も見当たらない。

 顔を突っ込んでいると、じっとりとしたカビと土の臭いが鼻についた。

 木造の家屋は古びてくると、自然の一部になっていくのかもしれない。

 目の届く範囲で確認したが、土を一度掘り起こして、埋め直したような跡も見当たらない。

 おれは早々に顔を上げようとした。

 しかしその時、どこからともなく、ニャア、ニャアと猫のような鳴き声が、微かに耳に届いた。


        ◇


 おれは慌てて床下に首を突っ込み、再び暗闇の中を電灯で照らした。 

 じっくりと目を凝らしながら、何かが身動きするのを待った。

 しかし、いくら待っても生き物らしき姿は見当たらない。

 気のせいだったのかもしれない。

 おれは諦めて、床下から顔を上げ、床板と畳をもとに戻した。


        ◇


 結局、それらしいものは何も見つからなかった。

 がっかりというよりは、安堵した。

 何か不穏なものが出てきても困るだけだ。


        ◇


 ひと仕事を終えて安心したおれは、居間に寝転び、くつろいだ。

 外は初冬で、すでに木枯らしが吹きはじめていた。

 暖房をつけようか迷うほどの、冷たい空気が流れてくる。

 そのとき、再びニャアと猫のような鳴き声が聞こえた。

 その声は、どうやら床下ではなく、庭の方から聞こえた。


        ◇


 庭を確認するために、おれは外に出た。

 庭と言っても、そこは塀と家の間の小さなスペースでしかない。

 おれは、庭の様子も一応確認したが、変わったところは見当たらなかった。

 よく分からない背の低い木が一本と、よく分からない草が何種類か生えている。

 何かが埋められていそうな凸凹もとくにない。

 庭の土を掘り起こして、婆さんの遺体が出てきたとしても、どうしようもない。余計なことはしないほうがいいかもしれない。たとえ居たとしても、土の中で黙って眠り続けておいてほしい。

 そして再び、ニャアと小さな鳴き声が届いた。


        ◇


 その声の主は、塀と家の後ろの狭い隙間にいた。

 おれが隙間を覗き込むと、小さい2つの目が光りながら、こちらを見返していた。

 小柄な猫が、こちらを見ていた。

 ぬかるみにでも飛び込んできたのか、全身が泥まみれで汚れている。


        ◇


「ほれ」おれは適当に手招きしてみた。

 その小柄な猫は、こちらを見つつ、当然のように無視した。

 おれはすぐに諦めて、部屋に戻った。

 鳴き声のもとが判明しただけで十分だ。


        ◇


 それからおれは再びくつろぎながら、庭と縁側もどきを眺めていた。


 結局おれは暖房をつけて、換気のために窓を少し開けた。

 暖房の匂いをかき消すように、窓の隙間から冷たいキリッと張り詰めた空気が入ってくる。それが心地よい。

 うとうとしかけると、縁側もどきにさっきの泥だらけの猫が飛び乗った。

 おれは無視して、庭を眺めていた。


        ◇


 一瞬の眠りに落ちて、再び目を開けると、猫は部屋の中に入って、うずくまっていた。

 目の前の畳には泥の塊が落ちており、こすりつけた痕跡もある。

「おい」おれは猫を叱りつけ、両手で持ち上げた。

 もともとどこかで誰かに世話をされていた猫なのか、抵抗はしなかった。

 おれはそのまま猫を風呂場に連れていき、ぬるま湯で泥を流した。


        ◇


 泥汚れを落としていくと、そいつがもともと白色の猫だったことが分かった。白いと言っても、体毛はくすんだ白さだった。

 おれは猫の汚れを隅々まで落としていった。首輪はついていなかった。

 その割に、人に扱われることに慣れているのか、嫌がるような身動きもしない。

 必死で足と耳と鼻と尻尾の先をこすったが、そこの泥はなかなか落ちなかった。

 よくよく見ると、どうやらこいつは身体の端々が茶色くなっているようだった。

 適当なタオルで身体を拭き上げ、おれは猫を開放した。

 猫は警戒しながら、勝手に部屋の中を歩き出した。


        ◇


 その猫は、どことなくシャム猫のような色味ではあったが、シャム猫にしては品位を感じさせるような趣がまるでない。

 きっと、どこかの雑種なのだろう。

 猫は家の中をウロウロした後、もといた居間にたどり着くと、さっきと同じようにうずくまった。

 外に出る気が無くなったみたいだった。

 コイツはどこかに帰る場所はあるのだろうか。

――困ったな。

 そう思いつつも、猫のことは無視して、おれは居間に戻った。

 部屋の中で陰湿に糞でもされたら、問答無用で外に追い返そう。そう思うことにした。


        ◇


 おれは猫のことは放っておきながら、再び居間でくつろいでいた。

 もう家にまつわる怨霊について心配する必要もない。


        ◇


 それからおれは、一軒家について、前世のことを少し思い返した。

 前世のおれは、とにかく何でもヒット商品の類似品を売りさばく会社で働いていたこともあり、不動産の商品も担当して売っていたことがある。

 具体的には、高級な高層マンションの間取りを平屋の一軒家で作り直し、それを受注しながら売りさばいていた。


        ◇


 ターゲットは、富裕層に憧れている、低・中所得者層だった。

 本物のマンションの十分の一以下の費用で、同じ間取りを手に入れることが出来る。都市部のタワマンを無理に購入する必要がない。問題は、地理的なネームバリューがないことと、窓からの見晴らしが良くないということ。

 しかし、これが意外に売れた。

 富裕層と同じ動線で生活をしてみたい人の需要を掘り起こしたのかと思ったが、購入者には、既にマンションを所有しているような富裕層も多かった。

 田舎の見晴らしのいい台地に建て、高層マンションとは違った住宅の楽しみ方をしている例もあった。

 金を持っている人間は、思いついた遊び心をそのまま実行できる。

 いつか前世の山岡先輩は、真剣な顔でアドバイスしてくれた。

 「いいかお前ら、タワマンに住むような金持ちには気をつけたほうがいい。おれの知り合いから聞いたんだが、奴らは住んでいる世界が違いすぎる。話も合わない。それにそいつら、毎日高い位置から遠くの景色ばっかり見てるから、尋常じゃないくらい視力が良いらしい。危険もすぐに感知して近づかない能力もある。やっぱり同じ人間じゃない」

 深夜2時のファミレスでそんな話を聞かされた前世の学生時代のおれと、同じ話を聞かされていた吉田君は、眠気と闘いながらその話に頷いていた。


        ◇


 そのうちドラマで平屋の一軒家が起用されると、受注件数は如実に増えた。

 ドラマの登場人物たちは、自然体でリビングでくつろいでいた。

 もちろん、演出家に求められての演技だ。

 世の中の人々は、自身の憧れを投影するものを求めている。


        ◇


 同じ動機で、うちの会社はアパレルにも着手していた。

 作る商品は決まっていた。

――世界中のセレブリティが着たものと似たものを売る。

 それだけだった。

 服自体からお洒落の定義を決めるのは難しいが、社会的な成功者であるセレブリティが着ているものは、勝手に世間からお洒落なものとして認識されていく。

 奇抜なファッションには当然、美的感覚が要求されるが、その前提にも「アーティスト系のセレブが着てもおかしくなさそうなもの」という感覚が共有されている。そこを踏み外さずに着こなして初めて、奇抜でお洒落なファッションとして認知される。


        ◇


 おれの知るかぎり、世の中でお洒落なものとして広く認知されているものは、たいてい社会的成功と結びついているようだった。

 かつて、着るものにこだわらないコンピュータオタクたちが世界規模でビジネスの成功を収めたときには、お洒落に無頓着なことがお洒落、という価値観すら共有された。

 そうなってくると、なんでもありだ。

 ライフスタイルと銘打って製品を売るビジネスは簡単だった。

 基本的にファッションモデルたちは服を身にまとい、余裕を感じさせる佇まいをしている。

 誰も人生という崖っぷちに必死にしがみついているような悲しい人間と自分を重ね合わせたいとは思わない。

 真似をしたくなるものを、そのまま仕上げればいいだけだ。

 人の虚栄心が尽きることはない。

 うちの会社は、特定のセレブの弱みも握っていたらしく、自社の製品と似たような服を着てもらうように、裏で要求していたこともあるらしい。

 類似品が先にあり、オリジナルが後から付いてきていた。

 そうやって、世の中の人たちが欲しがるものを作り上げていった。


        ◇


 おれが前世の思い出に耽っていると、目の前の猫が再び立ち上がり、部屋の中をうろうろし始めた。

 猫は居間をぬけて、隣の部屋に侵入していった。布団を探しているのかもしれない。ついさっき畳と床下を調べた部屋だ。

 おれは振り向くと、猫の動向を目で追っていった。

 猫は探索を終えたのか、それから板張りの天井の一点を見上げながら動かなくなった。

 天井裏?

 おれはふと思った。

 床下は確認したが、天井の裏側がどうなっているのかの確認はまだだった。


        ◇


 どうせなら家の中の一通りを確認したいと思ったおれは、居間のテーブルを隣の部屋まで動かし、上に乗っかり、天井の板を押し上げてみた。固定されていないのか板は簡単に動いた。

 もしかしたら、ミイラ化した誰かの遺体が隠されているかもしれない。

 おれは新たな疑念を抱きながら、懐中電灯を片手に天井裏に顔を突っ込んだ。


        ◇


 天井裏には暗い空間が広がっていた。

 小さな子供なら屈みながら入り込めそうなスペースがある。

 おれは天井の埃が舞わないように、息を殺しながら暗い空間を見つめた。

 おれは、あちこちに明かりを照らしながら、遺体か、隠し財産か、何かを封印している御札が貼られていないかを、じっくりと確認していった。

 そのとき、玄関の方でゴロゴロと何かを引きずるような物音がした。



        ◇


「ただいま〜」

 仕事で疲れて帰ってきたような女の声だった。

 その声の主は、玄関のドアを開けて、ずかずかと家の中に入ってきた。
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