#5 せまりくる死の予感

文字数 3,830文字




 おれの思索の日々は続いた。


        ◇


 日々の流れる体感速度は変わらないが、ここ最近、元に戻される時の調子に変化を感じ始めた。

 その感触は、繰り返しの最中の一瞬に訪れた。それは死の瞬間のような、必死に微かな光を追いかけても距離の縮まることのない、切迫した一瞬だった。


――このまま目覚めないかもしれない


 そんな考えが目覚める直前、その一瞬によぎる。


        ◇


 どう説明すればいいだろう。

 死ぬほど眠い真冬の朝を、想像してみてほしい。

 布団の中は温かくて、外はものすごく寒い。居心地がいいけれど、そろそろ起きる時間が迫っている。あなたは幸運なことに、まどろみながら、今日という日がなんの予定もない休日であること思い出す。

 あなたには2つの選択肢が用意されている。

 ①起きる

 ②眠り続ける

 あなたはどちらかを選び、布団から出るか、二度寝に入ることになる。


        ◇


 ここ最近のおれには、新たに3つ目の選択肢が浮かび上がっている。


 ③このまま息をひきとる


 選択カーソルが勝手に3番目を選びそうになっているところを、おれの意識はかろうじて回避する。

 なんとか目覚めたおれは、深く息を吐き出すことになる。

 あぶねえ、と心の中で叫びながら、うっすらと疲れすら感じている。


        ◇


 起き上がったおれは、ゆっくりと息を吐き、それから身体が勝手に息を吸い込むまで、ゆっくりと待つ。そうして再び息を吸い込んだ時に、自分がまだ生きていることを実感する。息をして生きている。

 最近、そうやって自分が生きていることを、わざわざ確認するようになった。

 またひとつ習慣ができた。


        ◇


 そんな死の間際のような経験が何度か続いた。

 そのたびに、すぐに起きて活動しようとは思えなかった。

 しばらく部屋に寝そべりながら、おれは一瞬間に感じた死の感触を思い返していた。


        ◇


 この頃のおれはご隠居どころか、廃人と呼んでも差し支えないかもしれないが、誰とも関わりはないので気にはしていない。

 社会性溢れる啓蒙的な人間がおれの様子を見たら、大いに心配してくれるかもしれない。

 しかし、釈明すべきことは用意してある。

 生きることに前向きになれなくて、困っているわけではない。

 前を向くと自分の死が悠然と待ち構えている。

 それだけだ。

「どうします? あなたが死んで、いま生きて感じとっている何もかもが消滅するんですよ? あなたの主観の映像そのものが無くなって、それが無くなったことにも一切気づけないんですよ? それってどういう状態なのでしょうかね?」

 啓蒙的な人は、黙って立ち去ってくれるだろう。


        ◇


 転生は一度、繰り返しは何度も体感していたが、それでもおれは自分の意識が永久にブラックアウトする事態は一度も経験したことがない。

 そう考えると、一切何も残らない死を体験したことのある人間は、この世にもあの世にもいないと言える。

 一切何も残らないのだから、当然、意識や霊魂すら存在することがない。

 世界中のすべての人間に共通項があるとするならば「自分の死を経験したことがない」ということに尽きるだろう。

 そう考えると、全世界はすでに一つの認識の共有を達成していて、どこか平和的にすら見える。


        ◇


 しかし、自分が死んで消滅する状態は、想像しようにもできなかった。

 永久に意識がない、とはどういう状況なのだろう。

 他人の死なら分かる。それを見届けることもできる。

 ただ、自分の死となると、一体何がどうなることなのかすら、まるで分からない。

 肉体が死滅して無くなることは分かる。そしておそらく五感のすべてが無くなる。

――で?

 その後の光景が想像つかない。

 自分の死を見届ける自分自身がいなくなるわけだから、それがどういう状態なのかを自分で知ることができない。


        ◇


 死ぬことを永眠と言うくらいだから、永遠に熟睡しているようなことか。

 永遠に熟睡と言うと、怠惰を超越した気楽さすら感じられる。

 自分の意識が無い状況を想像しようにも、生きている限り自分のこの意識の中で想像してしまうため、想像できていることにならない。

 言いたいことが分かるだろうか? とても難しい。

 うまく説明できないが、いま、ここにある、この意識、が無くなるとはどういうことなのか分からない。

 それでも順番に誰かに死は訪れてはいる。

 そうしているうちに、いつか自分の主観的な映像が消える瞬間が訪れ、居なくなったことすらわからないくらいに、居なくなってしまうわけだ。

 モニターの中の映像が真っ暗になるどころか、モニターそのものがなくなる。


        ◇


 おれは転生も繰り返しも経験し、さらには不本意に殺されることも経験している。

 そんな人間は、なかなかいないだろう、と自負すらしている。

 しかし、いつでもおれの意識は繋がっていて、再び目覚めることができた。

 目覚めることによって記憶の前後関係を振り返り、繋がっていることを自覚できた。

 それでも、いつか転生も繰り返しも発動しない死を迎えるのだろう、という不安は頭の隅では感じ続けていた。

 それがおれの考える本当の死だった。


        ◇


 あまり直接的に死について考えすぎたかもしれない。

 死について考えすぎると、今生きていることすら不可思議に思えてきて、人によっては底知れない恐怖を感じて、身動きできなくなってしまうかもしれない。

 しかし、安心してほしい。

 そんな恐怖への対処法はきちんと用意されている。


        ◇


 死の不安を解消するために、人類が数百万年かけて編み出した、とっておきの対策がある。

 これは唯一の方法と言ってもいいかもしれない。


――死については、あまり考えないようにする。自分の死については特に。


 正直、これに限る。

 直接的に考えるのは、もうよそう。


        ◇


 死は直接的に考えても仕方がない。

 拭いようのない恐怖や不安にかられるだけだ。

 真面目はよくない。正面から直視してはいけない。

 求められているのは、むしろ、死というテーマを前にして、テキトーで壮大な話をでっち上げるくらいの、知恵と勇気と、それを受け入れる度量の広さを持つことだ。


 天国? 極楽? 地獄? あの世、この世? 転生? 幽霊? 霊魂?


 申し訳ないが、それらの壮大な話に、ツッコミどころは数え切れないほどある。

 そりゃそうだ。

 答えられない問いに、無理に答えようとしているのだから。

 誰も経験したことのないことを、想像だけを頼りに説明しようと試みているのだから。

 どうか、大目に見てやって、ツッコまないであげて欲しい。

 それを真剣に考え、専門の職業としている人間も世界中に大勢いるのだから。


        ◇


 おれにだって気になることはたくさんある。

 小学生の頃から、話を耳にするたびに疑問を抱えている。

・そもそも、生きたまま行きたいと思わない天国に、死んだからといって急に行きたいだろうか? たくさんの人が不本意に連れて行かれた場合、そこは不自由な世界にならないだろうか?

・どちらに進むかを迫られるからには、天国と地獄を運営しているのは、同じ経営母体なのか? 両者はどうやってやり取りをしているのか?

・天使も悪魔も鬼も、やることがあって忙しそうだが、給料は出ているのか? 給料もねぎらいも無いとすれば、それこそ地獄の一環じゃないか?

・地獄に落ちた人々を苦しませるための業務は、機械化して、コストを下げ、効率化を図ることができるのではないか? 機械化したほうが、血も涙もなく、よりいっそう地獄的にならないだろうか。手始めに、ベルトコンベアと人々を押し出す機械を持ち込むべきだ。

 もっとあるが、このくらいにしておこう。


        ◇


 死について直接的に言及するのは良くなかったかも知れない。

 健全な社会生活を営んでいる人にとっては安易に触れるべき内容ではなかっただろう。

 誰かを不安にさせたかもしれない。

 それでも、もう一度だけ考えてみよう。


――死はいつか必ずおとずれる。


 そう言われている。

 いつか必ず……。

 ただ、飲食店にそんな予約を申し出る人間がいたら、迷惑な客であることは間違いない。


        ◇


「ちなみに何名様のご予定ですか?」飲食店の店員は仕方なく尋ねる。

「1名分ですけど……」死は答える。死らしい、ずいぶんと覇気のない声だ。

 もちろん、飲食店はそんな迷惑な客のことなど念頭に入れていられない。

 担当したアルバイトの店員は、すぐさま店長に相談し、店長が代わりに対応する。

「いつでも来店していただけたら、アラカルトで対応しますので、どうぞ気軽にいらして下さい」

 そう断りながら、いつもの仕事に業務に専念する。

 店には他にも贔屓にしてくれているお客はたくさん居る。

 そういうことだ。


        ◇


 それでも不安だというのなら、どうかおれのことを思い出して、心を落ち着かせてほしい。

 転生? 繰り返し? 元に戻される? 

 まるで意味が分からない。自分でもまったく理解できていない。


        ◇


 むしろ、この状況を説明できる人がいたら、是非ともおれの家に遊びに来てほしい。

 あり金すべてを使い果たして、もてなしをしよう。

 来れるなら来てみてくれ。

 深呼吸しながら待っている。
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