## エピローグ

文字数 5,081文字




 その後、おれがどうなったかって?

 知るわけもない。死んだら何もかもなくなるわけだから。

 何もないことすら、感じられなくなるわけだから。

 知るわけもない……はずだった。


        ◇


 気がつくとおれは集団にもまれていた。

 そこは広いロビーのような場所で、大勢の人間でごった返していた。

 大きく掲げられた案内板を見つけて、おれは理解した。

 なんと、おれは「H&Hカンパニー(ヘブン&ヘル・ホールディングスが運営する会社)」が主催する、天国地獄周遊ツアーに参加させらることになっていた。

 どうやら、人は死ぬと、天国と地獄を案内されるらしい。

 案内板を見るかぎり、ツアーが終わった後に、天国行きか地獄行きかを決める、大抽選会が開催される予定だった。


        ◇


 おれは集団と一緒に移動し、天国と地獄を見学してまわった。

 天国が綺麗で、地獄が汚い場所だと想像していたが、どちらも同じくらいの清潔さだった。

 天国は明るくて暖かく、居心地が良いように感じた。

 天国を歩いていると、あちこちから歓喜の声が漏れ聞こえてきた。それは脳の快楽中枢に直接電極を埋め込まれたような、か細い声だった。

――うれしいいいいい

――たのしいいいいい

――気持ちいいいいい

 それは、誰もが幸せそうな素晴らしい光景だった。

 シンプルな音がいくつも重なり合い、壮麗な賛美歌のようにも聞こえる。

 しかし、新参のおれの勘違いかもしれないが、どこか苦しそうにも見える。

 ひょっとすると天国の居心地の良さに、人間は未だに耐えられないのかもしれない。

 よくよく観察すると、誰もが急激に「幸せ」をぶち込まれて、イカれてしまっているようにも見えた。

 きっと目の前にいるこの人たちは、生きている間に、様々な数え切れないほどの苦しみを耐え抜いてきたに違いない。幸せにはあまり慣れていなかった可能性もある。

 用法用量が合っているのか知りたくて、天国の係の存在を探したが、席を外しているのか見当たらなかった。

 天国のルールくらい天国に来た人たち自身に任せても良いような気がしたが、組織で運営されている以上、それができないのかもしれない。

 おれたち周遊ツアー御一行は一様に、判断を保留したくなったような複雑な面持ちで、天国を通り過ぎた。

 歩きながらおれはボンヤリと生前のことを思い返した。

 五感を持ち合わせて生きている間に、自分がどんな心地で目の前の世界を受け止めていたかを、ひとつひとつ思い出そうとしたが、うまく思い出せなかった。


        ◇


 アトラクションとしては、天国よりも地獄の方が迫力があって面白かった。

 明滅しながら燃えさかる炎、人々の豪快な悲痛な叫び声、岩肌に反射する、鬼のような巨大な生き物の真っ黒なシルエット。

 おれたちはツアー向けに用意された通路を歩きながら、地獄を巡っていった。


        ◇


 しかし、地獄か煉獄か忘れてしまったが、そこを巡っている時に、おれはツアーの団体からはぐれてしまい、そのまま取り残されてしまうことになった。

 その時、おれは、ぼーっとしながら、地獄の炎がゆらめく様子を眺めていた。

 それは恐ろしくも美しいものだった。

 どことなく、焚き火を眺めるような、落ち着いた心持ちがした。

 ふと顔をあげると、周囲には誰もいなくなっていた。


        ◇


 おれが、困惑して立ち尽くしていると、野太い声がした。

「おい、お前、そこで何をしている」地獄の現場を管理する、鬼なのか悪魔なのか分からない生き物だった。

 おれはそいつに促されるままに、地獄で苦しむ人々と合流することになった。


        ◇


 おれは、新たな集団とともに、炎の中に突き落とされることになった。

 おれの耳元では、周囲の人間が悶え苦しみながらあげる叫び声が響いていた。

――あれ?

 おれは思った。

 自分はなんともない。


        ◇


 その流れのまま、いろんな地獄を体験することになったが、おれにはとくに何も感じられなかった。

 長らくそうしているうちに、現場を任されている鬼だか悪魔だかの一人が、おれに向かって手招きしながら言った。

「おい、そこのお前。ちょっと来い」

 おれは呼ばれるままに従った。

「お前、もしかして、こっち側なんじゃないか?」鬼だか悪魔だかは、そう言った。

 その時、鬼だか悪魔だかは、3人ほど集まり相談しながら、しきりに首を傾げていた。

――どうする? あいつ新入りか?

 そんな言葉がうっすらと聞こえてきていた。

 それから、そのうちの一人が、ほれ、っと言いながら、おれに人間を炎に押し込むための、先がYの字に枝分かれしている棒を投げてよこした。


        ◇


 かくして、おれは地獄の番人と同じ業務にあたることになった。もちろん、給料なんてものはなかった。

 あとではっきり分かったが、天国にいる天使たちも、地獄にいる鬼たちも、無給だった。完全にボランティアの状態であることが分かった。

 やりがいがあるという理由だけで集められ、仕事を割り振られ、黙々と業務に従事していた。


        ◇


 どうしておれが地獄の責苦が平気なのか考えてみたが、理由は特に思いつかなかった。

 思い返してみても、おれは生前、天国に行くほどの良い行いも、地獄に落ちるほどの悪い行いも、特にしてこなかった。

 あるとすれば、おそらくその程度の理由だろう。

 おれは仕方なく、そいつらと一緒になって業務にあたった。同じ作業の繰り返しだったため、だんだんと手慣れてくると、何も考えなくても動けるようになってきた。

「すみません、鬼? 悪魔? あなたたちのことは、なんて呼べばいいんですかね?」おれは一緒に仕事をこなしていた一人に聞いてみた。

「ああ、どうなんでしょう。人によりますね。どっちでもいいッスヨ!」そいつはフレンドリーに答えてくれた。

「じゃあ、鬼って呼ぶことにします」おれはそう言いながら、人間たちを炎からはみ出ないように押し込んでいった。

「いいっスネ!」その鬼は同意してくれた。


        ◇


 仕事は退屈だった。

 同じことの繰り返し。


        ◇


 ついに、痺れを切らしたおれは、思い切って自分のアイデアを上司に提案することにした。

 もちろん、自分の意見が通るとは思ってもいなかった。

 新人のくせに生意気だ、なんて文句を言われ、罰せられることになるかと思っていた。

 しかしなんと、おれの提案はあっさりと受諾され、実行されることになった。

 さっそくおれは、地獄の業務全般の「機械化」に取り組むことになった。


        ◇


 おれはまず、地獄の現場の業務を把握し、それを細かく分析していった。

 地獄の現場の仕事それ自体は、たいして複雑でもなかったため、理解するのは簡単だった。

 人間の輸送や、炎への押し込み、その他諸々を機械に任せられるように動線を組み直していった。具体的な設計は、天国に送られることになった元エンジニアを呼び、お願いすることにした。具体的に分からないところは、ベテランの鬼に聞いた。

 天国とのやりとりは、顔の広い先輩の鬼にお願いした。その先輩は仕事を快く引き受けてくれて、おれは感謝と安堵の気持ちに満たされた。


        ◇


 機械そのものは、物品の豊富な天国から取り寄せ、地獄の現場で組み立てた。

 詳しい説明は省くが、導入した機械の動力源は、地獄の責苦を受ける人間たちの叫び声だった。

 どこの会社が考案したものか知らないが、天国に設計書があったのでそれを使わせてもらうことにした。おかげで立派な類似品が完成した。

 そしてここは地獄。人々の叫び声に不足はなかった。

 人間たちは次から次へと現れ、生前のおれのように、何度も繰り返しを味わっているようだった。

 つまり叫び声は実質、無限に用意されていた。

 システムは無事に稼働し、地獄に落ちてきた人間たちをスムーズに処理していった。

 そうして、地獄初の永久機関が誕生した。

 この世界にノーベル賞はないようだったが、代わりにおれは社内の表彰を受けることになった。

 どうやら、この会社が始まって以来の、稀にみる業務改善のようだった。

 どうすごいのか?

 おかげで、地獄の受け入れ可能人数が、尋常じゃないくらいに増えた。

 桁が数桁増えた。

 受付係が、天国行きか、地獄行きかの判断にいちいち悩む必要もなくなった。

――生前は聖人だった? まあ、とりあえず、全員地獄に行ってもらいましょうか。

 地獄は稀にみるほどの大盛況ぶりを見せた。

「すげえな、おい」ベテランの先輩の鬼は感嘆した。

 そのお陰か、おれは仲間の鬼たちからの信頼も一気に集めることになった。


        ◇


 地獄のオートメーション化に成功し、やることのなくなったおれと鬼たちは、ぞろぞろと小高い丘のような場所に登り、そこに寝転びながら、効率的に炎に落とされていく人々を眺めていた。

 ここでは給料も発生しない上に、さらには就業規則なんていうものも存在しなかった。

 裁量はすべて現場に任されていた。

 そう言ってしまうと、どうやってこの会社の経営が成り立っているのか、不思議に思う人もいるかもしれない。収支はどうなっているのか。

 聞くところによると、収入源は主に、天国や地獄を信望する信者たちからの多額の寄付金で成り立っているらしい。

 現実世界とは異なる世界を求める、世界中の人々から活動資金が集まるため、金なら尋常じゃないくらい、潤沢にあるらしい。経営努力も必要なく、いわゆる殿様商売という状態に近いと言ってもいいかもしれない。

 もちろん、死後に人類全員が地獄に行くこと、暇を持て余した社員たちが天国でごろごろしていることは、社外秘にしている。

 もうひとつ、聞くところによると、『神曲』を書いたダンテという人間は、ここ、つまりH&Hカンパニーの元職員だったらしい。どうりで地獄について詳しいわけだ。

 おれは色々と納得した。もしかしたら、ここで無給だったことを根に持っていて、別の世界で、この会社の機密情報を公開したのかもしれない。


        ◇


 効率化に成功し、手持ち無沙汰になったおれたちは、暇を持て余すことになった。

 ベルトコンベアに運ばれて、システマティックに人々が炎に落とされる様子は、リズミカルで、音楽的ですらあった。

 人々が生前、どんな悪事を犯してここに来ることになったのかは知らないが、問答無用で炎に突き落とされて、痛いだの苦しいだのと泣き叫ぶ様子は「こいつらまだ生きているんじゃないか?」と思わせるほど生き生きとしていている。それはそれで、見ていて微笑ましい気持ちにもなった。

 そして炎に落とされる人の中にも、ごく稀に、見どころのある人間がいた。

 彼らは、たいてい地獄の炎をものともせずに踊り狂っていた。

 それを見つけるのは、ベテランの鬼の役目だった。

「おい見ろよ。あいつはこっち側だな」

 そうして新たな有望な人材を確保していった。

 地獄の現場が、人事部の役割も担うことにもなった。


        ◇


「いやー、やることがなくなって、一気に楽になったっス」鬼の一人が感慨深げに言った。

「んー」おれは、ぼんやりと地獄の炎を眺めながら、返事をした。おれは地獄の効率化の新たなアイデアを練っていた。天国の業務改善も提案してみたい。試しに天国の一部を漫画喫茶かネットカフェのようにしてみても良いかもしれない。

 アイデアならいくらでも思いつく自信があった。いまでは組織のトップに期待もされている。

「暇だし、天国に遊びに行きません? 何でもあって、楽しいらしいっスヨ!」その鬼は言った。

「そうなの?」おれは思わず聞き返した。だとすると、業務改善の新たなインスピレーションを得られるチャンスかもしれない。

 気さくな鬼は、おれの新参ぶりを見て、くすくすと笑った。

「魚とか泳いでる? 米が取れたりもする?」おれは確認した。

「当たり前じゃないですか。何でもあるんスから!」鬼はフレンドリーに笑いながら言った。

「よおし、行こうぜ」おれは立ちあがった。

「お、いいっスネ!」鬼たちも立ちあがった。

「食わせたいものがあるんだ」おれは言った。

「なんスカ?」鬼は聞き返した。

「鯛茶漬け。知ってる?」おれは言った。


        ◇


 なんだかんだ言って、おれはどこにいても楽しめているような気がする。


        ◇


 こうして、地獄に落ちても平気だったおれは、気づいたら業務改善を任されることになっていた。





おしまい。
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