鉄の提案
文字数 5,291文字
武瑠はぽかんとしてしまった。一瞬幽子が何を言っているのか理解できなかったが徐々に飲み込めてくると自分の耳を疑いたくなった。
「お前! 自分から敵陣に飛び込んでどうするんだよ! 何考えてんだ!」
それに対して幽子は得意げにふふんと鼻を鳴らした。
「出雲国造か誰か分かんないけど絶対に私を捕まえてくると思うの。私の霊力暴走のせいでね。例のストーカーは恐らく出雲国造関係の人間だと思うのよ。しかも今日は姿隠し使ってないからバレバレなの。だから裏をかいてやろうと思ったんだけど」
幽子は霊力暴走の件を自分の責任だと考えていた。もっと早く武瑠と相談していたら大事は避けられただろうと本気で思っている。
「だとしても自分からのこのこと行く奴があるか! 何されるか分かったもんじゃねえのに!」
無鉄砲にも程がある。幽子は考えるより先に動くタイプに見えないので武瑠を驚かせるには十分な発言だった。
「あら、連れ去る筈の人間が出雲大社 にいたらすごくびっくりすると思うから、そのすきに大国主様が怨霊だけど私が鎮められることを証明できたら万事解決じゃない?」
「どこがだ!」
武瑠は頭を抱えたくなった。これではほとんど無策ではないか。鴨が葱を背負って来るどころか鍋やコンロまで持ってきそうなくらい相手には好条件過ぎる。そしてこちらにはリスクしかない。
(幽子といると俺の心臓がいくつあっても足りんな……)
「無策で出雲大社に入ってみろ。すぐに捕まって殺されるかもしれないんだぞ……」
幽子は少しムッとして口を開いた。無策ならこんなことは思いつかない。
「策はあるわよ……これしか思いつかなかったけど」
「変な策ならデコピンの刑だぞ」
たじろいた幽子を見て溜飲を下げる武瑠。何やら幽子は目を泳がせていたがやがて話し始めた。
「顕現は出雲大社でしか出来ないんだって大国主様は言ってたわ。そしてそれは恐らく例の本殿のところだと思うの。大国主様のホームグラウンドみたいな場所だから、私自身霊力消費も少ないんじゃないかなって思ったわ。そこで大国主様を慰めようとするつもりなんだけど……」
「却下だ」
冷ややかに武瑠は彼女の意見を切り捨てた。幽子が表情を変えないあたりこうなることは予想できていたのだろう。だが次に幽子が発した言葉に武瑠は瞠目することになる。
「ねえ、天野君。私ずっと不思議に思ってたことがあるの」
「……何をだ」
「金 行 は 木 行 を 完 全 に 抑 え る こ と は で き な い んじゃないかなって」
(相剋の関係なのにそんなことがあり得るのか?)
詳しく聞いてみないことには判断がつかないと思った武瑠は目線だけで続きを促した。幽子はこくりと首を縦に振る。
「金行である出雲国造は木行である大国主命を祀ってるけどさ、その祀る方法ってかなり無理矢理だと思うの。祀るってことはこれ以上暴れないで欲しい時や荒ぶった状態……すなわち荒御霊を抑えることが目的なの。謝罪って言い換えた方がいいかもね。でもその謝罪の仕方がよろしくないと思うのよ。日本一大きな宮殿も、幽界の王の座も大国主様はきっと望んでおられない」
鎮魂はあくまでも勝者側の自己満足のためなのかと武瑠は考えた。中々理不尽かもしれない。
「……天照大神側は謝罪しているつもりになっているってことか。それに大国主様はその謝罪に誠意を感じられない、と……一理あるな。謝罪されても気持ちが追いつかないならそのモヤモヤは残るもんだ」
武瑠もうんうんと頷く。幽子を誑かした大国主命を許すつもりはないが少しだけ同情の余地はあるかもしれない。
「大国主様の生前に天照大神に敗北……力でねじ伏せられて、亡くなった後も恣意的に謝罪して許しを請われた大国主様はどんな心地がしたのかしら。勝手に自分達を滅ぼしておいて勝手に謝って一体何様なんだと怒りに打ち震えていたと思うわ。大国主様にできることは永遠に天照大神を許さないことだけよ。それさえも祀られて難しい状態だわ……弱いって悲惨よね」
一旦武瑠から目を逸らして大きく息を吐く幽子。武瑠も似たような気持ちだったがふと思いついたことがあったので幽子に伝えて見ることにした。
「……まるでいじめと同じだな。菅原道真と似ている気がする」
幽子の瞳が面白がるようにきらめく。ちらりと微笑みまで浮かべて。
「日本には彼みたいな人は枚挙に暇がないわね。平将門もそうだし、崇徳院もそうだし……やはり大国主様も彼らと同じ怨霊なのだわ……天野君の怨霊って予測は当たってたわね」
柄にもなくニヤリとしている幽子。この顔は興味深いものを見つけた時の顔だ。武瑠の言葉のどこが彼女の琴線に触れたのかは不明だが悪い気は一切しなかった。
「ほとんどただの思いつきだ……大国主様が違うところは神様だから死してなお復讐が可能というところか」
口元の笑みが消えたが目の光はそのままだ。
「大国主様だから自分の末裔に自分の声を聞けるような人間が産まれるように仕組んだのでしょうね。それすらも殺されて叶わなかったけど今は私がいる」
さらに強く墨色が光る。
「でも、復讐なんてさせない。祟りなんて起こさせない。帝を守りたいのもあるけど、一人ぼっちでずっと幽界にいた大国主様を私は助けたい。復讐なんてしなくたって尊厳を取り戻す方法はあるわ。存 在 そ の も の を 肯 定 す る のよ。天野君が私を肯定したようにね」
ミシャグジ様の件は魂鎮めのつもりは毛頭なかったが結果的に彼を救うことになった。同じことをすれば例え大怨霊でも鎮められると幽子は考えたのだ。というよりもこんな芸当ができるのは幽子くらいのものだろう。
「お前……まさか大国主様の魂鎮 めをしようとしてるのか」
幽子はにっこりとその顔に笑みを浮かべた。
「そうよ。怨霊を祓うんじゃなくて、本当の意味で……大国主様に寄り添って鎮めるのよ」
押し付けるなんて意味がない。しっかりと荒御霊に向き合わないといけないと幽子は確信している。悪霊だって訳あってそうなっただけであって自ら望んでなった訳ではないだろう。必ず原因があって悪霊化するのだ。それを取り除くことができるなら、悪霊を悪霊たらしめる原因の感情を解き放つことができるなら本当の意味で浄化できると、そう思った。感情は、特に怒りは生きるエネルギーそのものだと幽子は大国主命の思いに触れて確信を持てた。
(金行ができるのはせいぜい大国主様を抑えつけるだけ。それなら私が……木行たる私が……いいえ、浅葱の巫女と呼ばれた私なら……きっと大国主様の憂いを払えるわ……)
「金行じゃ鎮魂はできない、か。思い切ったことを言うな。神官はほとんどが金行だというのに」
幽子の発言は目からウロコである。木行である幽子ならではの意見だ。しかもはっきりと金行による鎮魂は不可能と言い切った。
(じゃあ一体今までの鎮魂方法は……)
「別に正しい鎮魂の方法なんて存在しないと思うわ。何せ神様の言葉を聞ける人なんてそうそういないでしょうし、そんな人物を危険視して亡き者にしていたのは金行 が筆頭でしょう。おおかた祀る側の面子が丸潰れになるからそうせざるを得なかったんでしょうが。分からなくて当然よ。私だってミシャグジ様のことがなければこんなこと思いつかないわ」
幽子は肩を竦める。その顔には怒りとも悲しみとも呆れとも見える表情があった。
「誰も……誰も大国主様のことを正面から見ようとする人はいなかったのよ。ずっと幽界で一人だった大国主様は寂しかったと思うわ……いい機会だと思うわよ? 私は大国主様のお気に入りみたいだし、私には大国主様は逆らえないって本人が言ってたし。ほら、私にしかできないよ。大役だけどそれが帝の……天野家のためならやるわ」
鳶色の瞳が幽子を見返す。どこか覚悟を決めた顔だった。
(これは……どこかに縛り付けてないと一人で殴り込みに行きそうだ……妙に自信がついたのは俺のせいでもあるが)
幽子が自己否定しなくなったのは歓迎すべきことなのだが、もう少し自信を抑えたほうが良いと武瑠は考える。元々幽子は真っ直ぐな性格なので余計に向こう見ずになったような気がしてならない。しかも頑固だから自分の考えを覆す様子も見られず、幽子の扱いは難しいなとつくづく思った。
「……どうしても出雲大社に行くんだな?」
武瑠の難しい顔もどこ吹く風だ。
「ええ。もうこうなることは決まってるわ。私の霊力暴走のせいだから」
「違う、と今回は言い切れないな……」
彼は頭をかいてため息をついた。幽子の護衛になって後悔はしたことがないが、今回ばかりは本当に武瑠はあまり役に立たないので役目を遂行できるか怪しかった。
「……分かったよ。俺も同行する。役に立つかは怪しいがお前の側を離れる訳にはいかないんでな」
ついに武瑠が折れた。折れるしかないのが正しいが、幽子はそれを聞いてパアッと表情を明るくさせた。
「え? いいの? 本当に?! ついてきてくれるの?」
(は?)
てっきり反発される想定だったので幽子の反応に首を傾げた。
「わーい! ありがとう! 天野君! 反対されると思ってたから不安だったの」
幽子のだらりと下がっていた両手が武瑠の両手を掴んでぶんぶんと上下に振る。
「これで無茶しても安心ね。嬉しい!」
聞き捨てならない言葉が幽子から聞こえた気がする。
「あほか。無茶はすんな!」
武瑠の怒鳴り声を歯牙にもかけない幽子は不思議そうに武瑠を見返した。
「どうして? 天野君がいるから私は無茶ができるのよ?」
「なっ……!」
信用されているのは嬉しいがそれで無茶をされても困る。舞い上がりたいところだが発言の内容からして無理があった。
(もしかして無茶する前に助けろってことか?)
便利に使われているのは気のせいだと思いたい。
「もう一度言う。無茶はすんな! するなら俺はお前を縛り付けて動かないようにするしかなくなる!」
幽子が鋭く息を吸うのが聞こえてさっと青ざめた。
「そ、そこまでしなくても」
「駄目だ! お前は自分がどれだけ危なっかしいことをしようとしてるのか分からんのか!」
ぐっと頬を両手で挟まれた幽子はもごもごと話すしかなくなった。
「危なっかしいかどうかは分からないけど、背中は天野君に任せられるわ。だって天野君は強いもの」
さっきから幽子に褒めちぎられているのを素直に喜びたいのに状況がそれを許さないでいて武瑠は段々と苛立ってきたがすんでのところで怒りを鎮める。
「強いかどうかは俺も知らん。けど今回は俺はお前を守れないかもしれん……」
「いや、それは多分大丈夫だと思うよ。武瑠」
ドアの向こうから声がして二人はぎょっとしてドアを開けた人物を見る。既に朋樹は部屋に入ってドアを後手に閉めていた。
「兄貴、いつから聞いてた!」
「ごめん。盗み聞きする訳じゃなかったんだけど、俺の部屋まで二人の声が届いてたよ? 姉さんは起きないだろうけど俺は気になっちゃった」
朋樹が幽子に向かってパチっと片目を瞑る。武瑠はそれを苛立たしげに見てそのまま朋樹と目を合わせる。
「そんなに睨むなって。でも幽子ちゃんごめんね? 何かいい雰囲気みたいだけどぶち壊しにかかってさ」
生暖かい目線が二人に注がれる。武瑠は幽子の頬を両手で覆ったままだし、幽子は幽子で武瑠の両手を掴んだままだ。それに気づいた二人はほぼ同時にその手を離す。
「幽子ちゃんの作戦については一部始終聞いてたよ。危険かもしれないけど他に案がないのも事実だ。危険に関してはきっと武瑠が何とかしてくれるんじゃないかな」
幽子の墨色は輝いて星空のようになっていたが武瑠はあまりいい顔をしなかった。
「俺は無理だ。辛うじて今は大国主様を建御名方が抑えてくれるからこいつには憑依してないがいつまで続くかは分からんらしいし、俺自身の霊力だけでこいつの霊力を抑えられるかどうか本当に未知数だ。それに俺は幽界に行く手段がない」
(え? だから大国主様に何度も呼びかけたけど反応がなかったの? じゃあもしかして天野君の幻覚を見たのも建御名方様のお陰?)
武瑠はそう言って項垂れるが朋樹は武瑠の隣に座って呆れたような声で話しかけた。幽子は武瑠の言葉にわななく。
「武瑠忘れたの? 天野家の特徴を。もう少しちゃんと勉強するんだね」
特大のため息つきなその発言に武瑠の顔は盛大に曇る。
「いいかい? 武瑠、お前は……」
朋樹が武瑠に耳打ちした。幽子は持てるだけの聴覚を動員させたが全く聞こえない。
「いや、だからそれがどう幽界と関係があるんだよ」
「武瑠は不勉強だな。だから……」
さらに朋樹の耳打ちが続く。
「そんなことができるのか?」
「やってみる価値はあると思うよ。それにもう縁があるんだろ? できないと考えるのは早計だと思う」
顔を突き合わせている二人に幽子は全く追いつけないでいる。
「分かったよ、やってみたらいいんだろ?」
「俺が見届けるから大丈夫」
「怒られないか心配なんだが」
「それはないと思うよ。建御名方もお前にはついてるんだし」
ばしばしと朋樹が武瑠の広い背中を叩いた。そして二人は幽子に向き合う。
「というわけで幽子ちゃん、今日は武瑠とここで寝てくれない?」
『?!』
二人の叫びは声にならなかった。
「お前! 自分から敵陣に飛び込んでどうするんだよ! 何考えてんだ!」
それに対して幽子は得意げにふふんと鼻を鳴らした。
「出雲国造か誰か分かんないけど絶対に私を捕まえてくると思うの。私の霊力暴走のせいでね。例のストーカーは恐らく出雲国造関係の人間だと思うのよ。しかも今日は姿隠し使ってないからバレバレなの。だから裏をかいてやろうと思ったんだけど」
幽子は霊力暴走の件を自分の責任だと考えていた。もっと早く武瑠と相談していたら大事は避けられただろうと本気で思っている。
「だとしても自分からのこのこと行く奴があるか! 何されるか分かったもんじゃねえのに!」
無鉄砲にも程がある。幽子は考えるより先に動くタイプに見えないので武瑠を驚かせるには十分な発言だった。
「あら、連れ去る筈の人間が
「どこがだ!」
武瑠は頭を抱えたくなった。これではほとんど無策ではないか。鴨が葱を背負って来るどころか鍋やコンロまで持ってきそうなくらい相手には好条件過ぎる。そしてこちらにはリスクしかない。
(幽子といると俺の心臓がいくつあっても足りんな……)
「無策で出雲大社に入ってみろ。すぐに捕まって殺されるかもしれないんだぞ……」
幽子は少しムッとして口を開いた。無策ならこんなことは思いつかない。
「策はあるわよ……これしか思いつかなかったけど」
「変な策ならデコピンの刑だぞ」
たじろいた幽子を見て溜飲を下げる武瑠。何やら幽子は目を泳がせていたがやがて話し始めた。
「顕現は出雲大社でしか出来ないんだって大国主様は言ってたわ。そしてそれは恐らく例の本殿のところだと思うの。大国主様のホームグラウンドみたいな場所だから、私自身霊力消費も少ないんじゃないかなって思ったわ。そこで大国主様を慰めようとするつもりなんだけど……」
「却下だ」
冷ややかに武瑠は彼女の意見を切り捨てた。幽子が表情を変えないあたりこうなることは予想できていたのだろう。だが次に幽子が発した言葉に武瑠は瞠目することになる。
「ねえ、天野君。私ずっと不思議に思ってたことがあるの」
「……何をだ」
「
(相剋の関係なのにそんなことがあり得るのか?)
詳しく聞いてみないことには判断がつかないと思った武瑠は目線だけで続きを促した。幽子はこくりと首を縦に振る。
「金行である出雲国造は木行である大国主命を祀ってるけどさ、その祀る方法ってかなり無理矢理だと思うの。祀るってことはこれ以上暴れないで欲しい時や荒ぶった状態……すなわち荒御霊を抑えることが目的なの。謝罪って言い換えた方がいいかもね。でもその謝罪の仕方がよろしくないと思うのよ。日本一大きな宮殿も、幽界の王の座も大国主様はきっと望んでおられない」
鎮魂はあくまでも勝者側の自己満足のためなのかと武瑠は考えた。中々理不尽かもしれない。
「……天照大神側は謝罪しているつもりになっているってことか。それに大国主様はその謝罪に誠意を感じられない、と……一理あるな。謝罪されても気持ちが追いつかないならそのモヤモヤは残るもんだ」
武瑠もうんうんと頷く。幽子を誑かした大国主命を許すつもりはないが少しだけ同情の余地はあるかもしれない。
「大国主様の生前に天照大神に敗北……力でねじ伏せられて、亡くなった後も恣意的に謝罪して許しを請われた大国主様はどんな心地がしたのかしら。勝手に自分達を滅ぼしておいて勝手に謝って一体何様なんだと怒りに打ち震えていたと思うわ。大国主様にできることは永遠に天照大神を許さないことだけよ。それさえも祀られて難しい状態だわ……弱いって悲惨よね」
一旦武瑠から目を逸らして大きく息を吐く幽子。武瑠も似たような気持ちだったがふと思いついたことがあったので幽子に伝えて見ることにした。
「……まるでいじめと同じだな。菅原道真と似ている気がする」
幽子の瞳が面白がるようにきらめく。ちらりと微笑みまで浮かべて。
「日本には彼みたいな人は枚挙に暇がないわね。平将門もそうだし、崇徳院もそうだし……やはり大国主様も彼らと同じ怨霊なのだわ……天野君の怨霊って予測は当たってたわね」
柄にもなくニヤリとしている幽子。この顔は興味深いものを見つけた時の顔だ。武瑠の言葉のどこが彼女の琴線に触れたのかは不明だが悪い気は一切しなかった。
「ほとんどただの思いつきだ……大国主様が違うところは神様だから死してなお復讐が可能というところか」
口元の笑みが消えたが目の光はそのままだ。
「大国主様だから自分の末裔に自分の声を聞けるような人間が産まれるように仕組んだのでしょうね。それすらも殺されて叶わなかったけど今は私がいる」
さらに強く墨色が光る。
「でも、復讐なんてさせない。祟りなんて起こさせない。帝を守りたいのもあるけど、一人ぼっちでずっと幽界にいた大国主様を私は助けたい。復讐なんてしなくたって尊厳を取り戻す方法はあるわ。
ミシャグジ様の件は魂鎮めのつもりは毛頭なかったが結果的に彼を救うことになった。同じことをすれば例え大怨霊でも鎮められると幽子は考えたのだ。というよりもこんな芸当ができるのは幽子くらいのものだろう。
「お前……まさか大国主様の
幽子はにっこりとその顔に笑みを浮かべた。
「そうよ。怨霊を祓うんじゃなくて、本当の意味で……大国主様に寄り添って鎮めるのよ」
押し付けるなんて意味がない。しっかりと荒御霊に向き合わないといけないと幽子は確信している。悪霊だって訳あってそうなっただけであって自ら望んでなった訳ではないだろう。必ず原因があって悪霊化するのだ。それを取り除くことができるなら、悪霊を悪霊たらしめる原因の感情を解き放つことができるなら本当の意味で浄化できると、そう思った。感情は、特に怒りは生きるエネルギーそのものだと幽子は大国主命の思いに触れて確信を持てた。
(金行ができるのはせいぜい大国主様を抑えつけるだけ。それなら私が……木行たる私が……いいえ、浅葱の巫女と呼ばれた私なら……きっと大国主様の憂いを払えるわ……)
「金行じゃ鎮魂はできない、か。思い切ったことを言うな。神官はほとんどが金行だというのに」
幽子の発言は目からウロコである。木行である幽子ならではの意見だ。しかもはっきりと金行による鎮魂は不可能と言い切った。
(じゃあ一体今までの鎮魂方法は……)
「別に正しい鎮魂の方法なんて存在しないと思うわ。何せ神様の言葉を聞ける人なんてそうそういないでしょうし、そんな人物を危険視して亡き者にしていたのは
幽子は肩を竦める。その顔には怒りとも悲しみとも呆れとも見える表情があった。
「誰も……誰も大国主様のことを正面から見ようとする人はいなかったのよ。ずっと幽界で一人だった大国主様は寂しかったと思うわ……いい機会だと思うわよ? 私は大国主様のお気に入りみたいだし、私には大国主様は逆らえないって本人が言ってたし。ほら、私にしかできないよ。大役だけどそれが帝の……天野家のためならやるわ」
鳶色の瞳が幽子を見返す。どこか覚悟を決めた顔だった。
(これは……どこかに縛り付けてないと一人で殴り込みに行きそうだ……妙に自信がついたのは俺のせいでもあるが)
幽子が自己否定しなくなったのは歓迎すべきことなのだが、もう少し自信を抑えたほうが良いと武瑠は考える。元々幽子は真っ直ぐな性格なので余計に向こう見ずになったような気がしてならない。しかも頑固だから自分の考えを覆す様子も見られず、幽子の扱いは難しいなとつくづく思った。
「……どうしても出雲大社に行くんだな?」
武瑠の難しい顔もどこ吹く風だ。
「ええ。もうこうなることは決まってるわ。私の霊力暴走のせいだから」
「違う、と今回は言い切れないな……」
彼は頭をかいてため息をついた。幽子の護衛になって後悔はしたことがないが、今回ばかりは本当に武瑠はあまり役に立たないので役目を遂行できるか怪しかった。
「……分かったよ。俺も同行する。役に立つかは怪しいがお前の側を離れる訳にはいかないんでな」
ついに武瑠が折れた。折れるしかないのが正しいが、幽子はそれを聞いてパアッと表情を明るくさせた。
「え? いいの? 本当に?! ついてきてくれるの?」
(は?)
てっきり反発される想定だったので幽子の反応に首を傾げた。
「わーい! ありがとう! 天野君! 反対されると思ってたから不安だったの」
幽子のだらりと下がっていた両手が武瑠の両手を掴んでぶんぶんと上下に振る。
「これで無茶しても安心ね。嬉しい!」
聞き捨てならない言葉が幽子から聞こえた気がする。
「あほか。無茶はすんな!」
武瑠の怒鳴り声を歯牙にもかけない幽子は不思議そうに武瑠を見返した。
「どうして? 天野君がいるから私は無茶ができるのよ?」
「なっ……!」
信用されているのは嬉しいがそれで無茶をされても困る。舞い上がりたいところだが発言の内容からして無理があった。
(もしかして無茶する前に助けろってことか?)
便利に使われているのは気のせいだと思いたい。
「もう一度言う。無茶はすんな! するなら俺はお前を縛り付けて動かないようにするしかなくなる!」
幽子が鋭く息を吸うのが聞こえてさっと青ざめた。
「そ、そこまでしなくても」
「駄目だ! お前は自分がどれだけ危なっかしいことをしようとしてるのか分からんのか!」
ぐっと頬を両手で挟まれた幽子はもごもごと話すしかなくなった。
「危なっかしいかどうかは分からないけど、背中は天野君に任せられるわ。だって天野君は強いもの」
さっきから幽子に褒めちぎられているのを素直に喜びたいのに状況がそれを許さないでいて武瑠は段々と苛立ってきたがすんでのところで怒りを鎮める。
「強いかどうかは俺も知らん。けど今回は俺はお前を守れないかもしれん……」
「いや、それは多分大丈夫だと思うよ。武瑠」
ドアの向こうから声がして二人はぎょっとしてドアを開けた人物を見る。既に朋樹は部屋に入ってドアを後手に閉めていた。
「兄貴、いつから聞いてた!」
「ごめん。盗み聞きする訳じゃなかったんだけど、俺の部屋まで二人の声が届いてたよ? 姉さんは起きないだろうけど俺は気になっちゃった」
朋樹が幽子に向かってパチっと片目を瞑る。武瑠はそれを苛立たしげに見てそのまま朋樹と目を合わせる。
「そんなに睨むなって。でも幽子ちゃんごめんね? 何かいい雰囲気みたいだけどぶち壊しにかかってさ」
生暖かい目線が二人に注がれる。武瑠は幽子の頬を両手で覆ったままだし、幽子は幽子で武瑠の両手を掴んだままだ。それに気づいた二人はほぼ同時にその手を離す。
「幽子ちゃんの作戦については一部始終聞いてたよ。危険かもしれないけど他に案がないのも事実だ。危険に関してはきっと武瑠が何とかしてくれるんじゃないかな」
幽子の墨色は輝いて星空のようになっていたが武瑠はあまりいい顔をしなかった。
「俺は無理だ。辛うじて今は大国主様を建御名方が抑えてくれるからこいつには憑依してないがいつまで続くかは分からんらしいし、俺自身の霊力だけでこいつの霊力を抑えられるかどうか本当に未知数だ。それに俺は幽界に行く手段がない」
(え? だから大国主様に何度も呼びかけたけど反応がなかったの? じゃあもしかして天野君の幻覚を見たのも建御名方様のお陰?)
武瑠はそう言って項垂れるが朋樹は武瑠の隣に座って呆れたような声で話しかけた。幽子は武瑠の言葉にわななく。
「武瑠忘れたの? 天野家の特徴を。もう少しちゃんと勉強するんだね」
特大のため息つきなその発言に武瑠の顔は盛大に曇る。
「いいかい? 武瑠、お前は……」
朋樹が武瑠に耳打ちした。幽子は持てるだけの聴覚を動員させたが全く聞こえない。
「いや、だからそれがどう幽界と関係があるんだよ」
「武瑠は不勉強だな。だから……」
さらに朋樹の耳打ちが続く。
「そんなことができるのか?」
「やってみる価値はあると思うよ。それにもう縁があるんだろ? できないと考えるのは早計だと思う」
顔を突き合わせている二人に幽子は全く追いつけないでいる。
「分かったよ、やってみたらいいんだろ?」
「俺が見届けるから大丈夫」
「怒られないか心配なんだが」
「それはないと思うよ。建御名方もお前にはついてるんだし」
ばしばしと朋樹が武瑠の広い背中を叩いた。そして二人は幽子に向き合う。
「というわけで幽子ちゃん、今日は武瑠とここで寝てくれない?」
『?!』
二人の叫びは声にならなかった。