屋敷の中で

文字数 3,319文字

扉を開けるとさらにもう一つ門があり、そこから庭が見えた。門をくぐると大きな池と小さな川があり、川には赤い橋がかかっていた。池と川は繋がっている。池には小さな島もあり、こちらもやはり橋がかかっている。いくつかの小ぶりの松の木と灯籠が池の水面に映っており、時折風によって震えていた。控えめに言って美しい庭である。

幽子は庭に向かって歩き出した。池があるのに砂浜を歩いている心地がする。訝しんで足元を見ると自分の足跡が後ろに続いていた。砂は薄く発光しており、左側と奥にある建物をぼんやりと照らしていた。
奥に渡り廊下のようなものが見える。左側の一際大きな建物に繋がっていた。建物の中はよく見えない。

(平安時代の寝殿造みたいね)

きょろきょろと辺りを見回し、何となく後ろを振り返ると重たい音を立てて後ろの門が閉まる。それからはいくら押してもびくともしなかった。

(退路絶たれた)

ドンドンと叩きたいのを我慢して庭に戻り、大きな建物に向かい合う。向かうべきはきっとこちらだと思った。先程から潮風が吹いていてどうも気になる。実際建物に近づくと潮の香りが強くなった。

(海の近くだから松の木しかないのかな?お花とかあればもっと優雅なのに)

一体こんな時に何を考えているのだろう。自分の能天気さに溜息をついて建物を見上げる。
とても開放的なんだな、と彼女は感じた。何せ仕切りが存在しないのだ。代わりに几帳がいくつか端に置いてあった。部屋の一角には置き畳が見える。屋根自体はそれほど高くなく、横に大きい。ここが寝殿なら御帳台がありそうなものだが何故か置かれていなかった。
蔀戸(しとみど)は目の前の階段以外は全てはまっており、御簾も上に上げられて奥まで見渡せる。もう少し見てみたいので、誰に言うともなくお邪魔しますと小さく呟き、靴を脱いで階段を登る。

「あっ!」

波の音が聞こえた。庭の砂といい潮風といい、やはり海に近かったのだ。一段と潮風が強く吹き付けてきた。本来ならこの奥に北の対があるはずだがひょっとしたらないのかもしれない。歩みを進めるといきなり右側の燭台に小さな炎が灯って驚いて足を止める。反対を向くとまた炎が灯る。書見台の上に古びた本が開いておいてあったが、ミミズののたくったような字(と幽子には見えた)で読めない。あと物凄く灯りが暗い。もし読めても明るさの関係で無理だろう。
「えっ」

正面を向くと黒い靴を履いた足が見えた。気配が全くしなかったので思わず後ずさる。ひょっとしたら無断侵入で怒られるだろうか。まさか家主がいるとはつゆほども考えていなかった。踵を返そうと思ったはいいが全く体が動かせない。その人を凝視していると、彼か彼女か分からない御仁の左右にある燭台に火が灯った。

彼は艶のある黒髪を左右に束ねていた。確か美豆良(みずら)と呼ばれる髪型だ。雰囲気が少年っぽくないので平安時代よりも昔の人なのだろうか。
身に纏うのは古代装束。上はゆったりとした白い服で裾は腰よりも長く、腰には黒い紐をしめている。袖も少しだけ彼の手よりも長く、両方の二の腕あたりに赤い紐が巻かれていた。
下はゆったりめな白いズボンのようなものを履いており、膝辺りにも赤い紐が結ばれていいて膝より上は少しだけふっくらとしていた。布が長いから紐がないと床を擦るのかもしれない。

何となくだけど埴輪はこんな感じの人をモデルにしてたのかなと場違いなことを考えていると、彼はこちらをゆっくりと振り返ろうとした。

(まずい!怒られる!)

動けないままガタガタとその場で震える。目も逸らせない。今になって人の家に勝手に入ってしまった罪悪感がずっしりとのしかかってきた。幽子には彼が振り返ってこちらを向く時間がどうしようもなく長く感じられた。





勢いよく体を起こす。夢の残滓(ざんし)がまだ残っている気がしてベットから降りる。体が動かせることにホッとしながら時計を見た。また目覚まし時計がなる前に起床したようだ。もっとも、今日は修学旅行当日。集合時間が登校時間よりも早めなので都合がいい。一応集合時間に間に合うように時刻を早めに調整したのだが。
念のためボストンバッグの中身を検め、忘れ物がないかだけチェックする。今日は何故か幽子が朝食当番なので着替えずに慌てて台所に向かった。






「おはよーゆうちゃん。って具合悪いの?大丈夫?」

寝不足なのが紫にバレてしまったようで彼女は慌てて幽子に駆け寄ってきた。

「ゆかりんおはよう。具合は悪くないよ。隈はできてるかもだけど」

「隈もあるけど顔色も悪いよ? 心配になってきたよ……」

紫は幽子の顔をペタペタと触ったと思ったら頬をむにゅっと摘む。幽子が何やら言っていたが上手く聞き取れずにいたので頬から手を離した。

「大丈夫だよ。ありがとう。それよりも面白いことが分かったの」

ニコニコとしている幽子には隈があるがそれが霞むほどうきうきしている。それを見て紫は小さくため息をついた。

「もー。さては古事記のために夜更かししたね?」

「ちょっと違う。確かにギリギリ夜更かしかもしれないけど、今日は夢見が悪くて」

ちなみに布団に入ったのは10時くらいだ。ギリギリ夜更かしではない、はずである。

「夢って、前話してたあの夢のこと?」

「うん。実は人様の家に無断侵入しちゃって」

紫が飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。咳き込んで周りを見る。教室には人が疎らで幽子達の話を聞いてる者はいないだろう。気まずいと言えば気まずいが人が少ないのはありがたかった。

「ごめん。何か変なこと言った?」

幽子は紫の背中をさする。面白いことも妙なことも言った覚えは幽子にはないが彼女に対して申し訳無さで一杯になった。

「ううん、大丈夫。突拍子もなかったからびっくりしただけ」

幽子が突拍子のないことを言うのはよくあることだが、未だに慣れずにいる紫である。

「予想してなかったからね。で、何が面白いの?」

「大国主命についてだよ。何と彼は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の子孫だった」

紫は目を瞬かせていたが、何テンポか遅れて声を上げる。

「えっ、天照大神と血縁関係だったの?国譲り迫られたのに?」「そうみたい。せっかく大国主命は出雲、伯耆(ほうき)、因幡、播磨、北陸と信濃まで治めてたのにね。文字通り大国の主よ。その国全部よこせって言われるなんて酷いよね」

紫は顎に手を当てる。

「あんまり血縁とか関係なかった時代だったのかな。てっきり土着の神様かと思ってたよ」

「私もそう思ってた。そしてあの有名な国譲りの話になるのね」

「有名なの? 実は私は古事記読むまで国譲り知らなかったよ。まさか話し合いで国譲りしてたとは思わなかったな。天照大神側は武甕雷(たけみがずち)を派遣して、国よこせって大国主命に迫ってたからただの話し合いではなさそうだけど」

幽子は考え込むように視線を左に彷徨わせていたが、やがて頷いた。

「確かに恫喝に近い感じがするよね。または強請ったというか。事代主(ことしろぬし)建御名方(たけみなかた)は抵抗してたね。事代主は国譲り迫られて稲佐(いなさ)で自害したけど」

「武甕雷と建御名方の力比べのことかな。結局建御名方は負けて諏訪の地から一歩も出ないようにしたって」

「そうそう。それで天照大神側は最後通牒をつきつけた」

「中つ国は私の子孫が統治するから、あなたはあの世のことをしなさい、だね」

「そこで大国主命は観念して霊界にとどまった」

「ゆうちゃんそこまで知ってるのね。でも大国主命はだいぶ抵抗したと思うな。きっと古事記には書かれてないけど。苦労して平定した国をあっさり渡す君主はいないだろうし」

二人は同時に何度も頷いた。

「うん。きっと古事記は天照大神側の視点だから美談にしたんだと思うよ。でないと統治した正当性が失われてしまうもの」

「じゃあ大国主命は抵抗の末殺されたのかな。または囚われて処刑されたとか」

「書いてないから確かめようがないけど、あり得ない話じゃないよね。要はこれ幕末と似ている状況なのかも」

「明治維新よね?あれも国譲りみたいなものだし、多くの血が流れたって」

「じゃあさ、大国主命って負けた側の神様だよね?ひょっとしたら結構まずい神様?」

頭を突き合わせて考えていると、集合時間になったらしい。バスに乗り込むためにボストンバッグを担ぎ、紫と一緒に校庭へ向かった。
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登場人物紹介

九鬼幽子(15歳)


霊力が兄である颯太よりも少なく、両親とはあまり上手くいっていない。自分の名前が嫌い。好奇心旺盛で、興味を持ったものに関しては散々調べて理解するまで追い求めるタチである。しかし人間関係や自分自身の感情の機微には疎く、友達と呼べる人間は少ない。

生まれた時から妖怪や鬼といった者達と相性が良い。

木行の気質を持ち、雷と風を操れる。鋏が苦手で金属アレルギー持ち。黒髪黒目。

天野武瑠(15歳)


|出雲国造《いずもこくそう》の分家の末弟。金行の霊力が強力で、それを買われて幽子の監視兼護衛を務めている。一見社交的だが実際は表面的にしか付き合えないので寄ってくる人達に辟易している。幽子とは契約上の関係だがそれほど嫌には思っていないようだ。

金行の気質を持ち、刀や槍などの武器の扱いにも長けている。術式を刻むエキスパートの側面をもつ。姉が苦手。

焦げ茶の髪に鳶色の瞳。

天野朋樹(あまのともき)(17歳)


天野家の次男。冷静沈着な性格で、主に姉である陽子のブレーキ役に徹している。頭脳明晰で、何かと幽子とは話が合うようだ。我慢強い性格でもある。少し話が難しいのが弱点。

意外と苦労人。

水行の気質を持ち、水や氷、水蒸気も操れる。月とも相性がよく、相手を眠りにさそったりもできるらしい。黒髪黒目。

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