動き回る歯車

文字数 2,949文字

「幽子ちゃん来てくれてありがとう! やっと私に妹ができたわ! 今までむさい男二人で暮らしてたから本当嬉しい! よろしくね!」

「よ、陽子さん……苦ひいれす……」

いきなり熱い抱擁を受けて幽子は息も絶え絶えだ。明るい女性だが、今のように愛情表現が大袈裟な時がある。しかし幽子はそんな陽子を嫌いになれなかった。むしろ好ましくさえ思っている。

「あら、ごめんね。それにしても幽子ちゃん大きくなったわね。あれから10年経つから当たり前だけど」

陽子の口ぶりに幽子は驚く。小さい頃に陽子のような人と会った記憶はない。

「天野家で私を知らない人はいないんですね。ごめんなさい、あまり昔のことは覚えていないんです」

「いいのいいの。大事なのはこれからよ。ふふ、幽子ちゃんといると元気が出るわ」

荷物を男性陣に運んでもらい、荷解きをしていたら陽子も手伝ってくれた。家に上がってすぐに天野の両親に挨拶をしようと思ったのだが彼らは不在だったのだ。
まさか一人部屋を与えられるとは思っても見なかった。ベットとクローゼットとローチェスト、机と椅子だけのシンプルな部屋だがこれで十分だ。お礼を言いたかったが不在ではどうにもならない。
陽子に聞くと今日は両親の結婚記念日で一日中デートしているとのことで、明日の夜まで帰って来ないそうだ。

(そういえばうちの両親もデートはよくしてるわね……天野家も同じなのか)

家の主に挨拶せずに家に上がることに罪悪感を覚えた幽子だったが、陽子がお茶を淹れてもてなしてくれた。お茶を用意してもらってソファに腰掛けた途端、抱擁されて今に至る。

「ねえ、もう敬語なしでいいのよ。九鬼家とは家族ぐるみの付き合いなんだから」

「ありがとうございます。少しずつ慣れていきます」

微笑んで隣に座る陽子を見た。陽子は癖のないダークブラウンの髪をハーフアップにしていおり、お淑やかなお嬢様みたいだ。瞳は金茶色で、栗色の睫毛か悪戯っぽく瞬いていた。落ち着いた雰囲気はあったが、時々あどけない少女のように見える。不思議な人だ。幽子が男なら陽子に惚れていたかもしれない。

「幽子ちゃん、こちらの事情に巻き込んでごめんなさい。でもあなたのことは全力で守るわ。主に武瑠が担当するでしょうけど」

「あ、天野君が……ですか。陽子さんではなく?」

幽子が怯えた表情をする。陽子は一瞬困ったような顔をしたがすぐに微笑んだ。

「武瑠はあなたの霊力を抑えることが出来る唯一の人だからどうしてもメインで幽子ちゃんを守ることになるわ。そうね……私は暴走した武瑠の霊力を抑えるといった形で幽子ちゃんを守れるけど」

「では陽子さんは火行の霊力持ちですね?」

「その通りよ。朋樹は水行なの。時々爆発した私を宥めてくるわ。私達兄弟は上手いこと回っているのよ。ところで幽子ちゃんは武瑠が苦手ね?」

どくり、と心臓が跳ねる。どうしても彼の霊力は苦手だ。正直近寄られても怖い。出来れば今後関わらないでほしいと本気で考えている。ついでに言うと態度も怖い。霊力云々は関係ないかもしれないが、もし彼に霊力が無かったとしても、幽子はああいった人種を最も苦手としていた。

「……はい。どうしても天野君の纏う霊力が苦手です。私の気質が嫌がっているのと、天野君自身を私は好きになれません」

幽子ははっきりと告げた。本当にあの人は勘弁だ。初対面から印象は最悪だったし、転校したと分かってからは目の前が真っ暗になる心地がした。とにかく近寄られたくないし、近寄りたくもない。

「あら、武瑠は相当嫌われているわね」

陽子は何が面白いのかクスクスと笑ってる。

「あの子大抵の女の子を惹きつけるのにここまでバッサリ切り捨てるなんて幽子ちゃんくらいよ。武瑠を褒めるのは癪だけど顔がいいからモテるのよ。バレンタインは滅べって毎年言ってるもの。贅沢な愚弟ね」

「はあ……」

つい間抜けな声が出た。男心はさっぱり分からない。幽子は男性と付き合ったことはないが武瑠だけは絶対に嫌だと言い切れる。初対面で脅されたことを幽子は根に持っていた。いきなりあんなことを言われたら好きになれる筈がないではないか。

「天野君は嫌いです。近寄って欲しくないしデリカシーないし怖いです」

陽子は頭を反らせて笑った。目には少し涙が見えた。

「武瑠ったら全然幽子ちゃんに相手にされてないじゃない!こんな面白い子は武瑠にはもったいないわ」

ついにはテーブルを叩いてしまった陽子。余程彼女のツボを刺激してしまったのか。

「もったいないって何ですか?」

「内緒よ。もーおかしい。幽子ちゃん可愛いわ」

「か……かわ……」

可愛いなんて言われたことがない。ついでに何がどうもったいないか幽子は全く分かっていなかった。



4人で朋樹の作った昼食を食べ、再び幽子の荷物を運び込む。

「幽子さん荷物これだけでいいの?」

朋樹が幽子に尋ねた。物が少なくて驚いているのだろうか。

「はい。元々そんなに物がないので」

「女は物持ちだと思ってた。服よりも本がたくさんだったぞ」

どすんと音を立ててバックを床に置きながら武瑠が口にした。

「本さえあればいいの。他に欲しいものなんてないわ」

きっぱりと幽子が言った。おしゃれにも興味はない。肩口までしか髪を伸ばさないのは、自身の髪が細くてよく絡まるので、長くすると朝が大変だからであって、この長さが気に入っているわけではない。化粧もしないし、基礎化粧品も使わない。かぶれやすい体質なので使うのが怖いのだ。金属アレルギーなのでアクセサリーも限られる。彼女はとことんおしゃれに向いていない体質であった。

「ふーん。お前変わってんな」

「よく言われるわ。変わってても誰にも迷惑かけてないから問題ないし」

本の仕分けをしながら答えた。よく揶揄われていじめられたこともあったが、正直どうでも良かったし、いちいち相手にしたくなかったのである。その態度で相手をさらに怒らせたこともあったが幽子は徹底して無視した。

「いいんじゃねえの。周りに無理に合わせなくても」

武瑠は何気なく言っただけだが幽子は顔を上げた。初めて武瑠と目を合わせた気がする。

「そう……なの?」

呟いたつもりがはっきり武瑠には聞こえてたらしい。仏頂面だったがその言葉は幽子の心を打った。

「そりゃそうだろ。嫌いな奴がいてそいつが隣にいるのを許さないって思う方が悪い。迷惑かけてないなら己を突き通しても何ら問題はねえ。突っかかってくるのは単にいちゃもんをつけたいだけの馬鹿な奴。要は暇なんだよそいつらは」

「……うん」

「本当に分かってんのかお前」

武瑠はため息をついた。幽子は両親、兄、クラスメイト達の自分に向けるため息をずっと聞いてきたが武瑠のは少し彼らと違う気がする。きっと気のせいだろう。

「お前自信なさすぎ。自信つけないと妙なものに目をつけられるぞ。俺にお前を殺させるな」

幽子は下を向いた。仕分けの手も止まる。その手は小さく震えていた。

「悪い……言いすぎた」

ばつの悪そうな表情をした武瑠を幽子は見ようともしない。武瑠は小さく息を吐いた。

「ううん……本当のことだから」

武瑠は手にした教科書を軽く幽子の頭に置く。幽子は小さく声を上げて顔を上げた。

「お前は落ちこぼれじゃない。俺を信じろ」

幽子は困ったような顔をしていたが、やがて小さく頷いた。

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登場人物紹介

九鬼幽子(15歳)


霊力が兄である颯太よりも少なく、両親とはあまり上手くいっていない。自分の名前が嫌い。好奇心旺盛で、興味を持ったものに関しては散々調べて理解するまで追い求めるタチである。しかし人間関係や自分自身の感情の機微には疎く、友達と呼べる人間は少ない。

生まれた時から妖怪や鬼といった者達と相性が良い。

木行の気質を持ち、雷と風を操れる。鋏が苦手で金属アレルギー持ち。黒髪黒目。

天野武瑠(15歳)


|出雲国造《いずもこくそう》の分家の末弟。金行の霊力が強力で、それを買われて幽子の監視兼護衛を務めている。一見社交的だが実際は表面的にしか付き合えないので寄ってくる人達に辟易している。幽子とは契約上の関係だがそれほど嫌には思っていないようだ。

金行の気質を持ち、刀や槍などの武器の扱いにも長けている。術式を刻むエキスパートの側面をもつ。姉が苦手。

焦げ茶の髪に鳶色の瞳。

天野朋樹(あまのともき)(17歳)


天野家の次男。冷静沈着な性格で、主に姉である陽子のブレーキ役に徹している。頭脳明晰で、何かと幽子とは話が合うようだ。我慢強い性格でもある。少し話が難しいのが弱点。

意外と苦労人。

水行の気質を持ち、水や氷、水蒸気も操れる。月とも相性がよく、相手を眠りにさそったりもできるらしい。黒髪黒目。

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