推察の中で

文字数 3,765文字

一つずつボストンバッグを持ってもらい、幽子もキャリーケースを引きずる。二人とも幽子に歩く速度を合わせてくれたが、武瑠とは距離を取った。彼の纏う金行の気質が怖いからだ。

「身体が痛いのは本当みたいだな。でも夢を見たからってどういうことだ?」

武瑠が話しかけると幽子はびくっと身を震わせる。心なしか距離を取られているような気もしたが、次の幽子の言葉でそれは吹き飛んだ。

「それが、また夢に大国主命が出てきて」

「おい! それやばいじゃねえか! 何でそれを早く言わないんだ!」

幽子が首をすくめた。きつく発言したつもりはなかったが、武瑠は幽子が自分の言動でこれほど怯える理由が分からなかった。

「ご、ごめんなさい」

「武瑠やめないか。お前はガタイが良いんだから少し声を荒らげても威圧されると思われるんだ」

朋樹が武瑠をじろりと睨んだ。

「俺は普通に話してるだけだ。で、内容は?」

「大国主命が幽界の王となった経緯を教えて下さった。でもものすごい怨嗟と苦悩が私を襲って……私は夢の中で全身に傷を負ったの。あちこち痛むのはそのせい」

「そういうことか。経緯を聞いたのは怨嗟の原因を調べる為か?」

幽子は頷いた。

「国譲りの神話なんだけど、古事記とは一部違ってた。大国主命は抵抗の末に処刑されたんだとおっしゃったわ」

「処刑だと?! 国譲りは話し合いで決まったんじゃないのか?」

朋樹もこれには驚いたらしい。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた。

「そりゃ勝者が書いた歴史なんだから多少の捏造はあるでしょうよ。古事記の場合の捏造はあたかも話し合い、つまり無血で解決したところね」

武瑠は考え込んだが、やがて得心が言ったようで頷いた。

「なるほどだから怨霊なのか。非業の死を遂げた者は怨霊化して祟るからな。天照大神はそれを恐れて祀ったのが真相か……。俺たちは大国主命が怨霊ということは知っていたが、その理由までは聞かされたことはない。お前とんでもない奴と相性がいいんだな」

大国主命をとんでもない奴呼ばわりするのはきっと武瑠だけだろうと幽子は少し呆れたが、構わず続ける。

「最初会ったときは禍々しい感じはなかったんだけどね。今は見えない壁のせいで、大国主命に近寄れなくなったけど……そうか、祀られてるのは祟りを防ぐためだったのね。まさか荒御魂だったとは……」

武瑠は幽子の発言を聞いて思い出したように口にした。

「俺がある程度お前と大国主命の繋がりを斬ったからな。ついでに簡易的な封印もしたぞ。そんな風に作用するのは知らなかったが」

どうやら幽子は大国主命と隔てられているらしい。彼は少しだけ胸を撫で下ろした。

「大国主命が日本一高い建物に住んでいることも、参拝者にそっぽを向いてるのも、客分の神様が大国主命を牽制してるのもね。なぜなら彼は最大級の怨霊だから、あの手この手で現世に来ないようにした。もし……もし現世に来たら祟るから……」

静かに二人の会話を聞いていた朋樹が口を挟んできた。

「確かに外国では王族より高い建物に住む人はいなかった。いたら潰されて取って代わる。けど日本はそうでない。怨霊を恐れているって考えると確かに辻褄が合うね。そして日本中の神様が集まるのは大国主命のところで天照大神の所ではない。つまり大国主命は最高神である天照大神よりもずっと巨大な存在、というわけか……天照大神はあんまり最高神らしくないような気もする」

うんうんと頷く朋樹。朋樹も事情は知っているらしい。

「そんな大きな存在ならどうして古事記には書いてないんだ? 明らかに重要なことじゃねえか」

幽子は少し躊躇いを見せたが、やがて囁くように言葉を紡ぐ。

「天照大神を正当化するならそんな風に書かざるを得なかった。それでも実質最高神に祀りあげたのは祟りを恐れたからでしょう。大国主命は確かに有力な神様だけど、生前よりも死後の方が地位が高いと思う。ほら、早良親王が廃太子になって亡くなったら祟ったから親王を止めて、諡して帝にしたってことがあったよね?それと同じじゃないかな」

「怨霊信仰だな。しかしそれは早良親王の時代から存在してそれ以前はなかったんじゃないか?天照大神は敵ながら天晴れって思って出雲大社を建立した可能性もあるぞ」

「一理あるね。それだと謎が残るけど」

「どの辺りだ?」

「天照大神の子孫が敗者である大国主命を祀っている点」

武瑠と朋樹は首を傾げた。

「勝者が敗者を祀るのはこの国では珍しいことじゃないけど、勝者の子孫が敗者を祀るのって変よ。敗者の子孫が祀るならともかく、そんな例は他に聞いたことがない。藤原家の子孫が菅原道真を祀っているのと同じくらいおかしいわ。私はそこまで祟りを恐れたんじゃないかと思ってる」

武瑠と朋樹が難しい顔をして何やら考え込んでいたが、先に口を開いたのは武瑠だった。

「歴史書に書いてあるってことが真実とは限らない訳か。お前は怨霊信仰は古い時代もあったと思っているんだな?」

「信仰は一朝一夕でできるものじゃ無いからよ。史料にあるからこの時代から何かしらの信仰があったって何か胡散臭いって感じる。必ず原型は資料に書かれる以前にあったって考える方が自然なの」

武瑠は目を見開いた。ここまで自分の解釈を言える人間を見たことがなかったからである。武瑠は教科書の内容を全て信じている訳ではないが、ここまで疑って歴史を勉強したことはついぞない。

「よくそんなの思いつくな。お前の考えは荒唐無稽に感じるが妙に納得はいく。たまに歴史書って訳わからない箇所があるもんだし」

幽子は首を横に振って続ける。

「私の推測よ。単におかしいって思ったことは調べないと気が済まないタチだから。あまり間に受けないでもらうと助かるわ。むしろ否定して欲しいところね。教科書に書いてないことだし学会でも定説になってないし」

幽子は肩を竦める。だが朋樹は違う感想を持ったようだった。

「俺も幽子さんの言ってることは一理あると思う。今までおかしいと思っていたことが一気に氷解したからね」

「えっと、他の方には言わないで欲しい、です」

まさか朋樹に支持されるとは思わず、幽子はうろたえた。その様子を見て朋樹は安心させるように微笑む。

「約束する。天野家の面々なら話してもいいかな?幽子さんの役に立つかもしれないから」

一体何の役に立つのだろうかと幽子は首をかしげたが、そんな疑問はすぐに泡となって幽子の心に揺蕩う。

「あ、はい。そのくらいなら大丈夫です」

「ありがとう」

幽子は今までの話を思い返して、ずっと疑問に思っていたことを口にした。

「あの、もし私が完全に大国主命に魅入られたらどうなるんでしょうか?」

その質問をした途端、二人の足が止まった。幽子も驚いてその場に踏みとどまる。

「そうなった時はお前を殺すか、二度と出られないようにするしかないな」

武瑠がちらりと幽子を見る。彼女の頭の中でその台詞が何度も再生され、その顔色がみるみるうちに青ざめる。あの時に言われたことは冗談でも何でもないことに気づき、瞳に怯えの色が走った。

「そん……な……」
「武瑠、そんな言い方はないだろ」

朋樹が武瑠の頭を叩いたその瞬間、

「こら! 武瑠! 女の子に向かってそうやって脅すなんて猿以下よ! 今すぐそんな乱暴な言い方はやめなさい!」

声のした方を見ると、家のドアの前で仁王立ちした女性が真っ赤になってこちらを見ていた。武瑠はぎょっとしていたが幽子はそんな彼に気づかなかった。

「姉貴……いつからいたんだ」

武瑠の声が若干震えているのは気のせいだろうか。

「あんたが幽子ちゃんに殺すとか言ってるところからよ! 何てこと言うのよ! そもそも武瑠がへましなかったら完全に魅入られることなんてないわ! さてはあんた自信ないんでしょ?」

「はあ? 本当に殺す訳ないだろ! 言葉の綾だ!」

女性はますますその眉を釣り上げる。

「言っていいことと悪いことがあるわ! 分別がつかないようなら当主になんてならなくてよろしい!」

「さすがに今のはお前が悪いぞ。もっと人を思いやれるようになってくれ」

朋樹も呆れてため息をついた。武瑠はそっぽを向いている。幽子はおろおろするばかりだ。

「幽子ちゃんごめんなさいね。うちの愚弟が酷いこと言って」

「誰が愚弟だ、誰が……」

ブツブツ呟く武瑠をよそに女性は深く頭を下げた。

「いえいえ、どうか頭を上げて下さい。私は何とも思っていないですから」

両手を胸の前で振る。何とも思っていないのは嘘だが頭を下げられる程ではないと感じたのだ。

「幽子ちゃんは優しいかもしれないけど、嫌だなって思ったらはっきり嫌だって言わないとだめよ? 特にこのぼんくらははっきり言わないと分かんないわよ。自分を大事になさい」

女性は腕を組んで幽子を諭す。武瑠が抗議の声を上げたが彼女はどこ吹く風だ。何となくだがこの姉弟は大して仲が悪くなさそうだとぼんやりと考えていた。

「……ありがとう、ございます」

予想外の返答に幽子は驚いた。こんなこと人生で一度たりとも言われた記憶がないからだ。

「じゃあ中に入っておいで。私は天野陽子。朋樹と武瑠の姉です。ここが天野家よ。幽子ちゃんを天野家は歓迎します」

陽子はドアを開けてくれた。何か温かいものが幽子の心に染み込んでゆく。

「はい、お世話になります」

幽子は深く一礼し、二人の後に続いた。

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登場人物紹介

九鬼幽子(15歳)


霊力が兄である颯太よりも少なく、両親とはあまり上手くいっていない。自分の名前が嫌い。好奇心旺盛で、興味を持ったものに関しては散々調べて理解するまで追い求めるタチである。しかし人間関係や自分自身の感情の機微には疎く、友達と呼べる人間は少ない。

生まれた時から妖怪や鬼といった者達と相性が良い。

木行の気質を持ち、雷と風を操れる。鋏が苦手で金属アレルギー持ち。黒髪黒目。

天野武瑠(15歳)


|出雲国造《いずもこくそう》の分家の末弟。金行の霊力が強力で、それを買われて幽子の監視兼護衛を務めている。一見社交的だが実際は表面的にしか付き合えないので寄ってくる人達に辟易している。幽子とは契約上の関係だがそれほど嫌には思っていないようだ。

金行の気質を持ち、刀や槍などの武器の扱いにも長けている。術式を刻むエキスパートの側面をもつ。姉が苦手。

焦げ茶の髪に鳶色の瞳。

天野朋樹(あまのともき)(17歳)


天野家の次男。冷静沈着な性格で、主に姉である陽子のブレーキ役に徹している。頭脳明晰で、何かと幽子とは話が合うようだ。我慢強い性格でもある。少し話が難しいのが弱点。

意外と苦労人。

水行の気質を持ち、水や氷、水蒸気も操れる。月とも相性がよく、相手を眠りにさそったりもできるらしい。黒髪黒目。

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