第25話 夢のカリフォルニア

文字数 1,947文字

 夜中にハッと目が覚めて、圭司はそれが夢だったと気づき汗を拭った。アメリカに来てから10年をとっくに超えたが、未だに日本で別れた紗英の夢をときどき見ることがある。自分ではもう未練があるとは思っていないが、なぜか日本の夢を見る日は必ず紗英が出てくるのだ。
 違うことといえば、以前はけんか別れした時の紗英の怒った顔が夢に出てきていたが、この頃はなぜか笑っている。

 圭司は大学生の頃からプロのミュージシャンを目指してデュオのグループで活動していた。学校近くの和定食屋「蓮さん」でバイトしつつ、いろんなオーディションを受けたりもしたが、思うようにデビューできなかった。その頃に紗英と知り合い付き合い始めた。
 20代後半でアメリカに渡りたいと思うようになったが、相方はそこまでの夢は追えないといい、結局相方である誠とは別れ、圭司はソロで活動を始めた。
 当時、圭司がよく歌っていたのが「カリフォルニアの青い空」という曲だ。その爽やかな曲調を真似てギターを鳴らし、いつしか本当にアメリカの青い空に憧れを抱いた。英語は意味もわからない程度の語学力しかないが、ギターの腕には自信があったのだ。
 30歳を過ぎてまだ夢を追い続ける圭司は、10年近く付き合ったままだった紗英とよくけんかをするようになった。紗英は落ち着いた穏やかな生活が欲しかったようだが、圭司はいつまでもアメリカしか見えていなかったのだ。
 そしてある日、つまらないことでけんかしてついに紗英と別れたのを期に、圭司はアメリカにひとりで渡った。カリフォルニアからスタートして、だんだんと厳しい現実にやっと目が覚め、気がついた時には4年間が過ぎ、ニューヨークにあるボブのレストランの厨房で和食のコックとして働くようになっていた。
 そのレストランのオーナーはボブ・ストックトンという。当時アメリカで始まりつつあった和食ブームを自分の店でも取り入れようと和食が作れるコックを募集したところ、圭司が応募してきたのだ。
 このボブの作戦は功を奏し、彼のレストランは繁盛を極めた。圭司が働いた5年ほどでボブはニューヨークに3店舗を構えるまでになったのだ。ボブは和食路線の功労者である圭司にとても感謝し、ボブの出資で圭司に小さな店を持たせてくれた。店は独立採算であるが、もしうまくいかなければ早めに店をたたんで、圭司は再びボブのレストランで働けるという破格の契約だ。それが圭司の店「ロックオブジャパン」だった。
 アメリカに来てから英語が理解できるようになるにつれ、「カリフォルニアの青い空」が爽やかなカリフォルニアの青い空を歌った曲ではなく、アメリカでの成功を夢見てスペインから西海岸へ渡り、なかなかうまくいかなかった作曲者アルバート・ハモンドの打ちひしがれた気持ちを歌った曲だと知った。そしてそれは、圭司の心そのままの歌だったのだ。

「ねえ、圭司。この曲なんて曲?」
 いつものようにヘッドホンで音楽を聴いていた圭が片耳の方をはずして圭司に聞いた。
「ん?」
 圭司が耳を近づけると曲はちょうどサビの部分だった。
 ——南カリフォルニアには決して雨は降らない。だけど誰も教えてくれなかったんだよ。ここにも土砂降りの雨が降ることがあることを。
「カリフォルニアの青い空という曲だ」
 チクリと胸を刺す痛みを感じながら圭司が圭に教えると、よっぽど気に入ったのか彼女は最近圭司から教えてもらっているギターを取り出して弾きながら歌っている。自分は最初勘違いしていたが、英語がわかる圭は、どんなふうにこの曲を捉えているのだろうと圭司は思った。彼女にもいつか憧れの地ができるのだろうか。

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「私の名前を日本語で教えて」
 圭がそう言い始めたのは3人の路上クリスマスコンサートの後のことだ。
「日本語の名前?」
「そう。圭司の持ち物に日本語で名前を書いてるでしょ? 私の名前も日本語で書けるようになりたいの」
 それを知ったらこれから何か楽しいことが起こりそうだというような、キラキラした顔をして圭が言うので、圭司は少し考えて「高橋 圭」と紙に書いた。「圭」という漢字はもちろん当て字だが、圭が覚えやすいように圭司と同じ漢字を使って彼女の名前当てたのだ。漢字には書き順というのがあることを教えると、圭はそこにペンがあると音楽を聴きながらでも毎日自分の名前を練習をしていて、ステラに自分の名前を披露した。
 圭が日本語で自分の名前が書けることを羨ましく思ったらしく、ステラまでもが自分の名前を漢字で書けと圭司に言い出して困った。仕方なく圭司が調べるうちに「ステラ」がラテン語が語源の「星」を意味することを知り、圭司はステラには「星」という漢字を教えるととても喜んでくれた。残念ながら苗字は思いつかなかったが。
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