第69話 現在地

文字数 1,721文字

 蓮さんの病院からの帰り道、車で送らせると言う菊池の誘いを圭司は丁重に断り、電車で横浜へ向かう。久しぶりに電車に乗ってみたかったからだ。街は大きく変わってはいるが、車窓から見える新しい街の隙間に残った古い街並みの夜景がやけに懐かしい。席はちらほらと空いてはいたが、あえて立ったまま窓ガラスに寄りかかり、外を眺めながら横浜まで帰った。

 家に帰りつき、日頃は鎌倉に住む両親とも久しぶりに会った。ステラや圭たちがいることもあり、自分が住んでいた頃よりも随分と賑やかな夜になった。
 
 次の日は土曜日で、圭司とステラは菊池の計らいで音響のいいスタジオを使って圭のデビューアルバムを聞かせてもらった。R&B色の濃いロックをメインにバラードを散りばめたトータルバランスが素晴らしい。圭司が作った曲も二曲入っていて、それらの曲がさらに磨きがかけられて洗練されたアルバムになっていることに深い感動を覚える。
 なるほどな。ギターもドラムも何もかも、プロの世界で一流って奴らはやっぱりすごいや。圭の個性を見事に引き出している。
 自分がたどり着いたアメリカでの現在地が、圭や彼らと違う場所であることの意味を思い知らされたアルバムだった。

「どう?」
 全曲を聴き終わるとすぐに圭が聞いてきた。
「もちろん最高さ」とグータッチを交わす。ステラも「最高!」と賛辞を送ると、
「圭司とステラにそう言って欲しくてがんばったから」と圭は顔をくしゃくしゃにして喜んだ。

 それから三日ほどはとても忙しかった。アルバムの発売イベントで作曲者——音楽を諦めたはずの圭司がだ——としてコメントを求められたり、週刊誌に載せる写真の片隅に立っていたり、今までにないなかなかディープな経験をしながら過ごした。きっともうこんな経験をすることもないだろう。

  ⌘

 実家に帰り、キャンペーンで不在の圭のベッドにゴロリと横になった。今日もパーティに招かれて次から次へとシャンパンを注がれて、少し飲みすぎた——
 コンコン、とノックの音がして「圭司、入っていい?」とステラの声がした。
「ああ、構わないよ」と返事をするとステラが入ってきて、彼女はベッドの端に腰を掛けた。
「明日はお休みだったよね」とステラが言う。
「ああ、やっと誠への義理から解放されるよ。せっかく日本に来たんだから、今度は君を観光でも連れて行こうと思ってるけど、どこか行きたいところがあるかい? 東京とか、なんなら京都とか」
 圭司がそう言うと、ステラはそれにはすぐに返事をせずに何か考えていた。
「まあ、明日までにゆっくり考えておきなよ」
 初めての国だもんな。行きたいところなんてたくさんあるだろう。
「圭司は——」思い出したようにステラが口を開いた。「圭司はせっかく日本に帰ってきたんだから、こっちでしかできないことがあるんじゃないの?」
「えっ?」
「圭のことよ」
「圭のこと?」
「そう。圭の両親を探すこと。日本ならまだ調べられることがあるんじゃないの?」
 圭司ははっと気付かされた。確かにステラの言う通りだ。ニューヨークで調べられることは、ほとんど限界で、ほとんど手詰まりだったが、日本ならまだ何かあるかもしれない。
 でも、一体何から調べれば——
「ひとつだけ大事な手がかりがあると思うの」とステラは続けた。
「大事な手がかり? なんだい、それ」
「十二月一日という圭が預けられた日よ。ストロベリーハウスには二週間以内に迎えにくるって言ってなかったっけ。つまり、その日から二週間に何かあったのか調べられない?」
 十七年前の二週間の出来事を調べる——、そうか、新聞だ。圭司は起き上がった。
「ああ、そうか。身元がはっきりした人間がアメリカで何かあったとしたら、日本なら新聞に載っているかも知れない。そうだ、過去の新聞を調べればいいんだ」
「そうよ。図書館とかに行けば何かわかるかも。明日行ってみない?」
「でも、本当にいいのかい? せっかく日本に来たのに、行き先が図書館で」
「気にしないでいいの。本当は私、そうしたくて日本に来たんだから」ステラがキッパリと言った。
 最初から、ステラは——。なのに俺はそんなこと考えも及ばなかった。圭司はつくづく頭が下がる思いだった。
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