第8話

文字数 1,710文字

 そう。木島はこれから唯を手にかけるつもりなのだろう。
 どうしてこんなことに。
 唯を好きだといいながらも彼女を殺そうとする木島の気持ちが少しも理解できない。こわいというよりも、ただ混乱して、まともに頭がはたらかない。
 彼に近付いてはいけなかった。たぶんそうなのだろう。でももう遅い。
 ふいに、唯の髪に触れていた木島の手が止まる。びく、と唯は身を竦めた。息を殺して木島のようすを窺う。
 彼は身じろぎもせず、じっとその場に固まっているようだ。
「だれ?」
 警戒をにじませた声で木島が問う。
「だれかそこにいるね」
 木島の言葉に驚いて唯は目を開ける。あたりの気配に耳をすませてみたが、唯にはひとがいるのかどうかもわからない。
「だめだよ。その子はきみには渡せない」
 暗闇のなかから、そう声が聞こえた。知っている声だ。
「明日香?」
 思わずつぶやいてから唯ははっとする。そばで木島が訝しげにその名前を反芻すると、声がした方角に向かって明かりを投げかけた。懐中電灯だ。なかなか対象をとらえられずに宙をさまよっていた明かりは、やがて目的の人物を見付けてそちらを照らし出す。
 眩しそうに手をかざしてしかめた白い顔。
 羽野明日香だった。
「きみは」
 驚いた声で木島がつぶやく。
「眩しいから、その明かり、ちょっとずらしてくれる?」
 明日香の言葉に、木島は明かりをずらして、今度は明日香の全身を点検するように上下に照らす。明日香は黒っぽい服を着ている。スカートがとても短い。
「尾けてきたのか」
「うん、まあ、そういうこと」
「なぜ?」
「高校時代、クラスメイトが行方不明になったでしょう? 彼女がどこに埋められているか、知っているよ」
 明日香がそういうと、木島はふたたび明かりをうえへ向けて明日香の顔を照らした。
 しばらくそうしていたが、急に、木島はおかしそうに笑い出す。
「ああ、そういうことか」
 妙に納得した口ぶりでいうと、そんな格好をしているから気付かなかったよ、と笑いのにじんだ声でつづける。
「きみ、そういう趣味だったのか」
「いけない?」
「いや、そんなことはないよ。ぼくは他人の趣味嗜好に興味はないからね。ああ、でも、今回は見逃してもらえないわけか」
「そういうこと」
 明日香がうなずくと、木島は懐中電灯を持ったまま明日香のほうへと近付いていく。
 だめ、明日香が危ない。
「明日香、逃げて!」
 唯が叫ぶのとほぼ同時に空気を裂くような鋭い音がして、あたりは暗闇に包まれた。なにかが地面に落ちて壊れる音、固いものがぶつかり合う鈍い音がして、低い呻き声が聞こえた。
 そして、静寂。
「明日香?」
「大丈夫だよ」
 すぐに返事があって唯はほっとする。だれかが遠ざかっていく足音がして、それとはべつにこちらへ近付いてくる人物が明かりを点す。その眩しさに、唯は顔を背けて目を閉じる。
「ちょっと我慢してね。すぐに助けてあげるから」
 明日香だ。毛布にくるまっていた唯の手足の戒めを解いて、怪我はないかと尋ねてくる。唯はうなずいて身体を起こす。明日香の手が背中を支えてくれた。
「木島くんは?」
「もうここにはいない。安心して」
「どうして……」
 悲しいわけでもないのに涙があふれてくる。どうやら助かったらしい、ということと、なぜか明日香が来てくれたことで気が緩んだのだろう。唯はしばらく泣きつづけた。明日香に聞きたいことがたくさんあったけれど、涙を流しきってしまうまでまともに口をきけそうにない。
 そのあいだ、明日香は明かりを消して黙ってそばにいてくれた。唯が泣きやんで少し落ち着くと、明日香は彼女をうながしてその場を離れた。
 自分がいったいどこにつれてこられたのかわからなかったが、周囲には木が生い茂り、近くに人家があるような気配はない。道はずっと下り坂だったので、おそらく山のなかだろうと見当を付ける。ひらけた場所に停められていた明日香の車に乗り込む。
「アパートまで少し距離があるから、着くまで寝てていいよ」
 そういう明日香の声を聞いたときには、すでに唯はうとうとしはじめていた。
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