第7話

文字数 1,792文字

 唯は意識を取り戻した。
 目を開いているはずなのに視界は暗く、冷たい風に吹かれて木々の梢がざわめく音が聞こえる。どうやら戸外にいるらしい。
 唯は毛布にくるまれて寝かされている。自分がどこにいるのか、なにをしているのか把握できなかった。布のようなもので口が塞がれており、手足もなにかで拘束されている。寒くはない。身じろぎをすると、すぐそばで声がした。
「目が覚めました?」
 木島の声だ。ぼんやりと思い出してきた。
 仕事が終わってから、珍しく木島に誘われて一緒に食事をした。店を出て、彼の運転する車に乗り込んだところまでは覚えている。
 そのあとの記憶はない。
 なぜ自分が今、手足を拘束されて転がされているのか理解できない。理解したくないような気がする。
「暴れないでくださいね。まあ、少々騒いだところでだれも気付かないとは思うけど。ぼくは騒がしいのがあまり好きじゃない」
 淡々といいながら、木島は唯の口を覆っていた布を外した。唯は大きく息を吐く。大声で叫んで助けを求めるべきなのかもしれないが、どのくらい危険な状況なのかがわからない。次の瞬間、木島が「冗談ですよ」といって戒めを解いてくれるのではないかという期待もあった。だが、その願いはすぐに打ち砕かれた。
「窮屈でしょうけど、しばらくのあいだ我慢してください。もう少ししたら痛みもなにも感じなくなりますから」
 やさしい口調で木島がささやく。ぞっとした。
「なにをするつもり?」
 そう問いかけた声は掠れて震えていた。木島はそれには答えず、唯の頬をそっと撫でる。冷たいてのひらだった。
「震えていますね。僕がこわい?」
 わずかにためらったあと、唯は正直に小さくうなずく。木島は短く息を吐いた。
「自分でもね、よくわからないんですよ。どうしてこんなふうなのか。いろいろと本を読んでみたりもしたけど、やっぱりわからなかった。自分がおかしいのか、それとも周囲の人間のほうがおかしいのか。水沢さんは、そんなふうに感じることはありませんか。はっきりとはわからないけど、自分とほかの人間はなにかが違う。そんなふうに感じたことがありませんか?」
「ごめんなさい。抽象的すぎて、よくわからない」
 木島が微かに笑う気配がした。
「そうですか。なんとなく、水沢さんならわかるんじゃないかと思っていたんですけど。残念」
 そうつぶやいて、彼は唯の髪を撫でる。ぐっすりと眠る小さな子の頭を撫でるような、やさしい手付きだった。
 煙草を吸っていたときの木島の指を思い出す。細くて長い、繊細な指をしていた。その指で、唯の髪を撫でるだけではなく、たぶんもっと恐ろしいことを彼はしようとしている。
 それだけは、なぜかはっきりとわかった。
「このまえの話を覚えていますか。ぼくが、弟にひどいことをしていたという」
「うん」
「あれも、ぼく自身はひどいことをしているつもりはなかった。ぼくは弟がかわいかった。決して、憎らしくていじめていたわけじゃない。だけど、ぼく以外の人間にはそれがわからなかった。弟でさえ、ぼくが彼に悪意を持って接していると思っている。どうしてだろう。ぼくはね、水沢さん、好意を持った相手を殺したくなるんですよ。おかしいでしょう? いや、ぼく自身はそれをおかしいとは思っていなかった。だって、小さいころからずっとそうだった。それがふつうだと思っていた。ほかの愛しかたをぼくは知らないんですよ」
 そういう木島はとても冷静で、感情がたかぶっているようすはまるでない。内容にそぐわない淡々としたものいいに唯は言葉を失う。
 なにがふつうで、なにがふつうでないのか。唯にはわからない。
 だけど、今の木島の告白を聞いて、彼に共感することはできない。彼の在りかたは唯には受け入れられない。彼を理解することはとても難しい。そう感じた。
 唯は黙っていた。
 木島も沈黙する。
 風に揺れる木立のざわめきと自分の鼓動だけが聞こえてくる。とても静かだ。
 相変わらず視界は真っ暗であたりのようすは見えない。木島の指が唯の髪をくしけずるように撫でつづける。その感触だけが、今の唯の世界のすべてだった。
 そして、世界の終わりを告げる鐘を鳴らすように、木島が小さくささやいた。
「水沢さん、ぼくはあなたに好意を持っている。この意味がわかりますね?」
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